重要な意思決定
19668月

プリンス自動車工業と合併(村山工場の発足)

背景

トヨタとのシェア競争と量産拠点の不足

1960年代半ばの国内乗用車市場において、日産自動車は販売シェア28%で第2位に位置し、首位のトヨタ自動車(同32%)を追う構図にあった。日産自動車はトヨタと比較して乗用車の量産拠点の新設で出遅れており、生産能力の面でトヨタに対する劣勢が鮮明になりつつあった。 一方、プリンス自動車は高級乗用車「グロリア」を主力とする独立メーカーであったが、高級車路線に特化したことでシェアは8%(国内4位)にとどまっていた。加えて、1960年代に政府が推進した「資本の自由化」により、海外メーカーの参入が現実味を帯びるなか、国内自動車メーカーの再編圧力が高まっていた。

決断

シェア拡大と村山工場の取得を狙った合併

1966年8月に日産自動車(川又克二社長)はプリンス自動車工業を合併した。合併比率は日産自動車1:プリンス自動車2とし、実質的に日産自動車によるプリンス自動車の取り込みであった。合併直前のシェアの単純合算では、日産28%+プリンス8%=36%となり、トヨタの32%を上回る計算であった。 合併における最大の狙いは、プリンス自動車が保有する村山工場(東京都武蔵村山市)の取得であった。プリンス自動車は1962年に乗用車量産のために敷地面積40万坪の大規模工場を新設しており、日産自動車は合併を通じて村山工場を取り込むことで、乗用車の生産能力を一挙に拡大する狙いがあった。

結果

シェア1位の奪取には至らず

合併により日産自動車は生産拠点を拡充し、車種ラインナップにプリンスのグロリアやスカイラインを加えることで商品力を強化した。しかし、合併後もトヨタ自動車が「カローラ」の販売を急拡大したことで、日産自動車が目指した国内シェア1位の奪取には至らなかった。 結果として、トヨタ1位・日産2位の構図が定着し、国内乗用車市場におけるシェア競争は長期にわたってトヨタが優位を維持することとなった。川又社長は「この狭い市場に何十社もメーカーがあるのは無理であり、再編成はもっとシビアに推進されなければならない」と述べたが、業界再編の主導権を握るまでには至らなかった。