岩越忠恕
日産自動車・元取締役社長
社長就任 1973年11月
生年月日 1906年1月1日
学歴 東京帝国大学経済学部商業学科
出自 東京乗合自動車
社長就任までの出自
出自
1931年に東京乗合自動車へ入り、1937年に日産自動車へ移った。1952年11月に取締役となり、取締役副社長を経て1973年11月に社長へ就任した。入社から社長就任まで36年をかけた生え抜きで、創業家のような資本の裏づけは持たない。就任前後の大株主は日本興業銀行6.94%、日産土地建物5.34%、富士銀行4.49%と、銀行と生命保険会社が上位を占めていた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1973年11月、川又克二氏の後任として社長に就任した。日産の対米輸出は1958年5月の乗用車輸出に始まり、1964年度には7万2000台と生産台数の2割・日本の総輸出台数の過半を占める業界首位に達していた。就任前年度にあたる1973年3月期の売上高は1兆1764億円、経常利益854億円。1952年11月の取締役就任から20年を重ねた副社長からの昇格で、輸出で伸びる路線をそのまま引き継ぐ人事だった。
在任中の主な施策
施策
在任した4年で売上高は1973年3月期の1兆1764億円から1977年3月期の2兆246億円へ伸び、経常利益も854億円から1518億円へ増えた。国内の生産能力の積み増しは続き、退任と同じ1977年6月に九州工場が完成している。労使については、1953年の大争議以来の協調関係を背景に、自動車労連会長の塩路一郎氏が工場管理から生産性向上、合理化にまで及ぶ発言力を持つ状態が続いた。対立が頂点に達するのは、後任の石原俊氏の代の英国進出をめぐってのことだった。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1906〜1977年
在任中の業績
就任前(FY72)11,764億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-