辻義文

日産自動車・元取締役社長

Tsuji Yoshifumi(敬称略)

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社長就任 1992年6月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1954年に日産自動車へ入社し、1978年に横浜工場第一工務部長、1984年に栃木工場長を務めた生産畑の生え抜きである。1985年に取締役、1987年に常務取締役、1989年に専務取締役、1990年に取締役副社長へ進み、1992年6月に取締役社長へ就任した。国内工場の平均稼働率が80%を下回るなかで、工場の現場を歩いた経営者に生産設備の配置を決める役回りが回った。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1992年6月、久米豊氏の後任として社長に就任した。前年度にあたる1992年3月期は連結売上高6兆4179億円・当期純利益1012億円だったが、就任した年度の1993年3月期には経常赤字へ転落した。バブル崩壊後の国内販売の低迷に、1ドル80円台に迫る円高が輸出採算を圧迫していた。円高は1円進むごとに約50億円の利益を奪い、詰めの甘い会社というのが辻氏の自社への評価だった。

在任中の主な施策
施策

1993年2月、座間工場の車両生産中止を発表した。サニーを九州へ、プレセアを村山へ移し、国内の年産能力を270万台から230万台規模へ削る内容だった。組立工場の閉鎖は日本の自動車産業で初めてのことだった。ローレルのハンドルを86種類から10種類へ絞るなど車種と部品の整理も進めたが、フルラインメーカー体制は堅持し、原価低減の要求は系列部品メーカーへ向かった。1995年3月に座間の車両生産は止まり、同3月期も過去最大の経常赤字を計上した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1954〜1996年
在任中の業績
就任前(FY91)64,179億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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