川又克二

日産自動車・元会長

Kawamata Katsuji(敬称略)

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社長就任 1957年11月
生年月日 1905年1月1日
学歴 東京商科大学
出自 日本興業銀行
社長就任までの出自
出自

1929年に日本興業銀行へ入行し、1947年7月、日産重工業の経理担当常務として送り込まれた。翌1948年に専務取締役へ進み、1957年11月に取締役社長へ就任している。銀行との縁は資本の側にも残り、1961年3月時点の大株主では日本興業銀行が持株比率5.3%の第2位を占めた。設備投資を続ける会社にとって、資金の調達力そのものが社長の資格になっていた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1957年11月、浅原源七氏の後任として社長に就任した。就任前年度にあたる1957年3月期の売上高は309億円、税込利益は26億円で、1955年に接収工場の大部分が解除されて生産が軌道に乗ったところだった。英オースチン社との提携で蓄えた技術が自社開発へ向かう時期でもあり、貿易自由化に備えて大量かつ集中的に生産できる工場が要るという判断が社内にあった。その投資の指揮が、銀行から来た経理の役員に委ねられた。

在任中の主な施策
施策

1961年4月に追浜工場を着工し、1962年3月から本格稼働させた。ブルーバードは吉原工場、セドリックは鶴見工場と分かれていた乗用車の生産をここへ集め、1964年4月にはブルーバードを1万413台つくって単一車種の月産1万台体制を他社に先がけて確立した。1966年8月にはプリンス自動車工業を吸収合併し、資本金398億円・従業員約3万1600人となる。輸出は1964年度に7万2000台へ達し、日本の総輸出台数の過半を占めた。売上高は在任16年で309億円から1兆1764億円へ伸びている。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1905〜1973年
在任中の業績
就任前(FY56)309億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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