塙義一

日産自動車・元取締役社長

Hanawa Yoshikazu(敬称略)

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社長就任 1996年6月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1989年に北米日産の社長を務め、米国での販売を預かった。1991年に日産自動車の取締役副社長へ就任し、5年を経た1996年6月に取締役社長へ就任している。前任の辻義文氏が横浜工場・栃木工場を歩いた生産畑だったのに対し、塙氏は海外の販売から本体社長へ上がった。国内の生産能力を削り終えた日産が、次に海外を知る経営者を据えた形になる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1996年6月、辻義文氏の後任として社長に就任した。前年度にあたる1996年3月期は連結売上高6兆391億円に対し当期純損失884億円で、1994年3月期から3期続けて赤字だった。就任後の1997年3月期は777億円の黒字へ戻したが、1997年末には月間の国内販売台数でホンダに抜かれ、販売金融を除く有利子負債は1兆円を上回る水準へ膨らんでいた。他責の文化——塙氏が下した自社への評価である。

在任中の主な施策
施策

1999年3月、フランスのルノーと資本参加を含む提携契約を締結した。同年6月にカルロス・ゴーン氏が最高執行責任者として着任し、10月に日産リバイバルプランが策定された。国内5工場の閉鎖と約2万1000名の人員削減、系列株式の売却、購買コストの削減を柱に、総額1兆円規模のコスト削減を掲げている。販売金融を除く有利子負債を約1兆4000億円から7000億円規模へ半減させる目標も置いた。提携と再建計画までを決めて2000年6月に社長を退任した。 ルノーとの資本提携

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1989〜2000年
在任中の業績
就任前(FY95)60,391億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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