久米豊

日産自動車・元取締役社長

Kume Yutaka(敬称略)

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社長就任 1985年6月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1946年に日産自動車へ入り、1971年に吉原工場長、1973年に取締役となって栃木工場長を兼ねた。その栃木工場は1971年3月に完成したばかりの拠点だった。1977年に常務取締役、1982年に専務取締役、1983年に取締役副社長へ進んでいる。企画部長・経理部長から上がった前任の石原俊氏に対し、久米氏は工場を渡り歩いた生産畑の出身である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1985年6月、石原俊氏の後任として社長に就任した。石原体制の8年で売上高は1977年3月期の2兆246億円から1985年3月期の3兆6181億円へ伸びた。一方、国内の空洞化を警戒する自動車労連との対立は英国進出をめぐって頂点に達しており、久米氏は社内ばかりを見る官僚的な"ヒラメ組織"をまず壊さねばならないとした。工場を歩いた副社長を充てる人事だった。

在任中の主な施策
施策

役職ではなく"さん"で呼び合う慣行と能力給を導入し、労使関係も会社と組合それぞれの役割へ定義し直した。1986年12月には労連の新執行部と包括協定を締結し、中央経営協議会を中央労使協議会へ改めている。財務の立て直しより先に企業文化の刷新へ着手した代だった。就任の翌年、1986年9月中間期には戦後の混乱期を除き50年ぶりの営業赤字へ転落し、連結純利益ではホンダに抜かれて業界3位へ後退した。海外では1989年4月に欧州日産会社、1990年1月に北米日産会社を設立している。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1946〜1992年
在任中の業績
就任前(FY84)36,181億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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