- 創業
- 1917年に中島知久平氏が創設した飛行機研究所を源流とするが、1953年7月の富士重工業は旧中島系5社の共同出資で生まれた会社で、初代社長には旧中島飛行機の常務から富士工業社長へ移った北謙治氏が就いた。中島家からトップが出たことはなく、収録する13代に創業家の社長はいない。
- 登用
- 直近20年の森郁夫氏・吉永泰之氏・中村知美氏・大崎篤氏はいずれも新卒入社の生え抜きで、入社から社長就任まで34年から36年かかっている。1963年から2001年までの6代を日本電信電話公社・日本興業銀行・日産自動車系からの招聘で埋めていた時期とは対照的である。
- 任期
- 10年を超える長期政権は13代を通じて一度もなく、最長は1970年就任の大原栄一氏の8年にとどまる。直近3代は吉永泰之氏が7年、中村知美氏が5年、大崎篤氏が2026年8月で3年目である。北米集中と社名変更を進めた吉永泰之氏の7年が実質の中興期にあたると思われる。
- 含意
- 平時は生え抜きの順送りで、外から人が来るのは危機のときだけに見える。1990年は米工場の赤字で日産系の川合勇氏を迎え、2018年は完成検査の不正で吉永泰之氏が代表権とCEOを返上した。業務資本提携先のトヨタ自動車から送り込まれた取締役・執行役員は、2026年6月時点で1人もいない。
1953〜1954年・2年/生え抜き
1955〜1961年・7年/生え抜き
1962〜1968年・7年/外部出身
1969〜1976年・8年/外部出身
1977〜1983年・7年/外部出身
1984〜1988年・5年/外部出身
1989〜1994年・6年/外部出身
1995〜1999年・5年/外部出身
2000〜2004年・5年/生え抜き
2005〜2009年・5年/生え抜き
2010〜2016年・7年/生え抜き
2017〜2021年・5年/生え抜き
大崎篤現任
2022年〜現在・5年/生え抜き
大崎篤
おおさき あつし
生え抜き(1988年入社)。パワートレイン開発と労働組合専従を経て品質保証本部長・製造本部長を歴任し、2023年6月に社長兼CEOへ
中村知美
なかむら ともみ
生え抜き(1982年入社)。国内営業を軸に経営企画・マーケティングを経験し、2016年に専務、2018年6月に社長兼CEOへ
吉永泰之
よしなが やすゆき
生え抜き(1977年入社)。スバル国内営業本部長として低迷していた国内販売を立て直し、取締役兼専務執行役員を経て2011年6月に社長へ
森郁夫
もり いくお
生え抜き(1970年入社)。海外営業畑を歩み、欧州・アジア大洋州地区本部長、スバル海外営業本部長を経て2006年6月に社長へ
竹中恭二
たけなか きょうじ
生え抜き(1969年入社)。商品企画畑を歩み、25人抜きの抜擢で2001年6月に社長へ
田中毅
たなか たけし
外部出身(1958年日産自動車入社)。同社取締役を経て1990年6月に富士重工業常務として移り、1996年6月に社長へ
川合勇
かわい いさむ
外部出身(1946年日産自動車入社)。生産畑を長く歩み、日産ディーゼル工業社長として再建にあたった手腕を買われ、1990年6月に富士重工業社長へ
田島敏弘
たじま としひろ
外部出身(日本興業銀行)。同行の取締役産業調査室長・常務・副頭取を歴任し、1983年に副社長として富士重工業へ移り、1985年6月に社長へ
佐々木定道
ささき さだみち
外部出身(1937年日産自動車入社)。追浜工場長・取締役を経て同社副社長を務め、その後富士重工業へ移り1978年に社長へ
大原栄一
おおはら えいいち
外部出身(日本興業銀行)。1963年に副社長として入り、1970年に社長へ
横田信夫
よこた のぶお
外部出身(日本電信電話公社)。1963年に社長として迎えられた
吉田孝雄
よしだ たかお
前身の中島飛行機出身。1953年の富士重工業設立時に専務取締役、1956年に社長へ。1963年に取締役へ退いた
北謙治
きた けんじ
前身の中島飛行機出身。同社常務から分割後の富士工業社長へ移り、1953年7月の富士重工業設立で初代社長に就いた