SUBARU の歴代社長

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2000年2010年2020年2026年

竹中恭二退任

2000年社長就任

代表取締役社長

森郁夫退任

2006年社長就任

2002年執行役員代表取締役社長

吉永泰之退任

2011年社長就任

2005年執行役員2009年取締役代表取締役社長

中村知美退任

2018年社長就任

2011年執行役員代表取締役社長CEO

大崎篤現任

2023年社長就任

2016年執行役員2021年取締役代表取締役社長兼CEO
創業
1917年に中島知久平氏が創設した飛行機研究所を源流とするが、1953年7月の富士重工業は旧中島系5社の共同出資で生まれた会社で、初代社長には旧中島飛行機の常務から富士工業社長へ移った北謙治氏が就いた。中島家からトップが出たことはなく、収録する13代に創業家の社長はいない。
登用
直近20年の森郁夫氏・吉永泰之氏・中村知美氏・大崎篤氏はいずれも新卒入社の生え抜きで、入社から社長就任まで34年から36年かかっている。1963年から2001年までの6代を日本電信電話公社日本興業銀行日産自動車系からの招聘で埋めていた時期とは対照的である。
任期
10年を超える長期政権は13代を通じて一度もなく、最長は1970年就任の大原栄一氏の8年にとどまる。直近3代は吉永泰之氏が7年、中村知美氏が5年、大崎篤氏が2026年8月で3年目である。北米集中と社名変更を進めた吉永泰之氏の7年が実質の中興期にあたると思われる。
含意
平時は生え抜きの順送りで、外から人が来るのは危機のときだけに見える。1990年は米工場の赤字で日産系の川合勇氏を迎え、2018年は完成検査の不正で吉永泰之氏が代表権とCEOを返上した。業務資本提携先のトヨタ自動車から送り込まれた取締役・執行役員は、2026年6月時点で1人もいない。
氏名 社長在任期間 退任年は推定 在任年数 推定状況出自役職在任中の決断
北謙治1953〜1955年2年退任生え抜き代表取締役社長決断1953年SUBARU創業——中島飛行機の戦後解体と旧5社の再結集による富士重工業
吉田孝雄1955〜1962年7年退任生え抜き代表取締役社長
横田信夫1962〜1969年7年退任外部出身代表取締役社長
大原栄一1969〜1977年8年退任外部出身代表取締役社長
佐々木定道1977〜1984年7年退任外部出身代表取締役社長
田島敏弘1984〜1989年5年退任外部出身代表取締役社長決断1987年系列を超えたいすゞとの北米合弁SIAの設立
川合勇1989〜1995年6年退任外部出身代表取締役社長決断1990年川合流経営による本体黒字化への再建
田中毅1995〜2000年5年退任外部出身代表取締役社長決断1999年米GMから20%の出資を受け入れ、主体性を保ったままグループ入りする資本提携
竹中恭二2000〜2006年6年退任生え抜き代表取締役社長決断2005年北米市場への集中とクロスオーバーSUVの本格投入
森郁夫2006〜2011年5年退任生え抜き専務執行役員スバル海外営業本部長決断2008年トヨタの出資を16.5%まで受け入れ、実質的なグループ入りを選ぶ
吉永泰之2011〜2018年7年退任生え抜き代表取締役社長
中村知美2018〜2023年5年退任生え抜き代表取締役社長CEO
大崎篤2023年〜現任4年現任生え抜き代表取締役社長兼CEO
1953年1960年1970年1980年1990年2000年2010年2020年2026年

北謙治退任

1953年社長就任

吉田孝雄退任

1955年社長就任

代表取締役社長

横田信夫退任

1962年社長就任

代表取締役社長

大原栄一退任

1969年社長就任

代表取締役社長

佐々木定道退任

1977年社長就任

代表取締役社長

田島敏弘退任

1984年社長就任

代表取締役社長

川合勇退任

1989年社長就任

代表取締役社長

田中毅退任

1995年社長就任

代表取締役社長

竹中恭二退任

2000年社長就任

代表取締役社長

森郁夫退任

2006年社長就任

1970年入社2002年執行役員代表取締役社長

吉永泰之退任

2011年社長就任

1977年入社2005年執行役員2009年取締役代表取締役社長

中村知美退任

2018年社長就任

1982年入社2011年執行役員代表取締役社長CEO

大崎篤現任

2023年社長就任

1988年入社2016年執行役員2021年取締役

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