横田信夫

SUBARU・元代表取締役社長

Yokota Nobuo(敬称略)

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社長就任 1963年
生年月日 1910年1月1日
学歴 東京帝国大学法学部
出自 日本電信電話公社
社長就任までの出自
出自

1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、1952年8月に日本電信電話公社の理事、1958年9月には同副総裁を務め、1962年9月に退職した。翌1963年5月、富士重工業の代表取締役社長へ迎えられている。旧中島飛行機の技術者が経営陣の大半を占める会社に、通信の官業で組織を預かった法学部出身者が外から入った。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1963年5月、横田氏は日本興業銀行の常務取締役だった大原栄一氏とともに、社長と副社長として富士重工業へ入った。前任の吉田孝雄氏は同じ月に取締役へ退いている。興銀は1961年3月時点で10.0%、1963年3月時点で9.7%を持つ筆頭株主だった。社長と副社長をそろえて社外から迎える人事であり、主力銀行が経営陣を組み替えたとみられる。

在任中の主な施策
施策

1968年10月に日産自動車と業務提携を締結した。翌1969年2月には群馬製作所の矢島工場が稼働し、乗用車の量産設備が整っている。売上高は1963年3月期の309億円から1970年3月期の976億円へ伸びた一方、純利益は1968年3月期の31億円から1970年3月期の22億円へ減少した。1970年5月に会長へ移り、副社長の大原栄一氏へ社長を渡した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1910〜1970年
在任中の業績
就任前(FY62)309億円
退任時-
変化-
就任前(FY62)4.8%
退任時-
変化-
参考文献 2件

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