SUBARUの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

大手が採算に合わないと見た区分を、先に押さえてきた。市場規模が数%しかない四輪駆動へ1972年に参入し、1979年の改良型レオーネで降雪地と山間部の需要を得て、1980年度には国内4WD市場でシェア38.5%を取って首位に立った。単独では工場の採算に足る台数を持たなかったため、1987年には系列の異なるいすゞと51対49の合弁でSIAを設立している。国内生産の減少とSIAの低稼働で1990年3月期に296億円の営業赤字を計上すると、日産ディーゼル工業出身の川合勇氏が量産の追求を捨て、5年で本体を黒字化させた。規模を追わず狭い区分へ商品を寄せたことが、台数で及ばないまま北米に固定客を残した。

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