1990 年3月

営業赤字に転落・経営再建に着手

歴史的意義
操業度維持と販売不振が生む「作るほど赤字」の構造

SIAの赤字が示したのは、現地生産における固定費の重さと販売力の欠如が同時に存在する場合の危険性である。工場は稼働率を一定以上に保たなければ単位コストが跳ね上がるが、販売が追いつかなければ在庫が膨らむ。この構造的な問題に対して川合社長が着手したのは、販売会社SOAの完全子会社化による販売体制の内製化であった。生産拠点の確保だけでなく販売機能の掌握まで踏み込んだ点に、後の北米事業立て直しの起点がある。

背景

北米現地生産子会社の赤字が本体決算を直撃

1990年3月期、富士重工は単体決算で296億円の営業赤字に転落し、上場後初の赤字決算を計上した。業績悪化の主因は、1989年に稼働を開始した北米現地生産子会社SIA(スバル・いすゞ・オートモーティブ)の赤字にあった。工場稼働直後に米国の景気が冷え込み、北米のディーラーを通じた販売が想定を大きく下回った。受注が低迷する一方で工場の操業度を維持する必要があり、結果として在庫が積み上がった。

SIAの赤字は、中堅メーカーが北米現地生産に踏み切る際のリスクが顕在化したものであった。年産15万台という損益分岐点に対して、実際の販売台数は大幅に不足していた。日本からの輸出に代わる収益源として立ち上げた現地生産が、稼働初年度からかえって業績の足を引っ張る構図となった。富士重工の経営は、北米事業の立て直しを最優先課題として対処を迫られた。

決断

大株主の日産から川合勇氏を社長に迎え経営再建に着手

赤字転落を受けて田島敏弘社長が退任し、大株主である日産自動車から新社長が送り込まれた。就任したのは日産ディーゼルの社長として経営再建の実績を持つ川合勇氏であり、親会社グループから経営のプロを招聘して富士重工の再建を図る座組となった。川合社長は、北米事業の収益改善と国内事業のコスト構造の見直しを柱に、経営再建に着手した。

川合社長のもとで着手された施策の一つが、米国販売会社SOA(Subaru of America)の完全子会社化であった。それまで販売機能を外部に委ねていた体制を改め、製造から販売までを一貫して管理する方針に転換した。北米における販売不振の根本には、ディーラー網の弱さと販売体制のコントロール不足があるとの認識に基づく判断であった。SIAの操業と並行して販売側の立て直しに乗り出し、中長期での北米事業の採算化を目指した。