SUBARUの沿革・歴史的証言
1917年〜2025年
SUBARUの1917年〜2025年の主要な出来事・経営判断・組織変化を年月順に並べた沿革(社史年表)と、経営者・当事者の歴史的証言
| 年度 | 売上高 | 純利益 | 年月 | 区分 | 出来事 | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|---|
1917 1-12月 | 飛行機研究所を創業 海軍で水上機を開発した中島知久平氏は、第一次世界大戦中に欧米で実用化が進む飛行機に着眼し、民間による国産機開発のため1917年12月に故郷群馬県太田市で「飛行機研究所」を創業した。1919年に陸軍機を初受注し民間企業として日本初の事例となった。1920年代に開発生産を拡大し1931年に中島飛行機株式会社へ組織変更。戦時中は三菱重工と並ぶ大手航空機メーカーとして軍用機を量産した。 | |||||
1931 1-12月 | 中島飛行機株式会社を設立 | |||||
1945 1-12月 | 富士産業株式会社に商号変更・軍需から民需転換 | |||||
1950 1-12月 | 企業再建整備法により富士産業を12社に解体 | |||||
1953 1-12月 | 富士重工株式会社を設立 | |||||
1955 1-12月 | 旧富士産業5社を吸収合併 | |||||
1958 1-12月 | 乗用車「スバル360」を発表 通産省が「国民車構想」を発表したのを受け、富士重工は軽自動車(360cc)参入を決定した。1000ccクラスは技術難度が高く当時の所得では購入が難しかったため、通産省は360ccで自動車普及を後押ししていた。技術者の百瀬晋六氏が中心となり開発を進め、1958年に「スバル360」を発表した。これにより富士重工は乗用車業界へ新規参入し、SUBARUブランドの利用を開始した。 | |||||
1960 1-12月 | 群馬製作所を新設 | |||||
1968 1-12月 | 日産自動車と業務提携を締結 | |||||
1969 1-12月 | 設備投資 | 群馬製作所・矢島工場を稼働 群馬製作所・矢島工場が稼働し、スバル360後継車種の量産体制が整った。後にレオーネ・レガシィ等の主力車を生み出す基幹工場の出発点となった。 | ||||
1979 1-12月 | 4WD「レオーネ」を発売 | 大手不在のニッチ市場で首位を築いた4WD集中戦略 | ||||
FY87 1987/3 | 海外進出 | 台湾ベスパ社と合弁の大慶汽車工業を設立 台湾ベスパ社との合弁で大慶汽車工業股份有限公司を設立した。アジア地域における現地生産の足掛かりとして位置付けられたが、2002年4月に台湾ベスパ社との現地生産協定は解消された。 | ||||
業務提携 | いすゞと北米現地生産の合弁会社を設立(IF提携) | 「年産20万台」に届かない中堅メーカーの北米生産戦略 | ||||
FY89 1989/3 | 乗用車「レガシィ」を発売 | |||||
FY90 1990/3 | 営業赤字に転落・経営再建に着手 | 操業度維持と販売不振が生む「作るほど赤字」の構造 | ||||
FY91 1991/3 | 米国販売会社SUBARU Of America Inc.を買収 | |||||
FY92 1992/3 | 売上高 10,404億円 | 当期純利益 -216億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 10,478億円 | 当期純利益 -273億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 10,158億円 | 当期純利益 -255億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 11,033億円 | 当期純利益 12億円 | ||||
FY96 1996/3 | 売上高 10,773億円 | 当期純利益 194億円 | 設備投資 | 埼玉製作所を新設 埼玉県北本市に埼玉製作所を新設した。レガシィ・インプレッサのヒットを背景にした生産能力増強の一環であり、群馬の主力工場と並ぶ国内拠点となった。 | ||
FY97 1997/3 | 売上高 12,230億円 | 当期純利益 396億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 13,040億円 | 当期純利益 307億円 | ||||
FY99 1999/3 | 売上高 13,525億円 | 当期純利益 337億円 | ||||
FY00 2000/3 | 売上高 13,301億円 | 当期純利益 313億円 | GMと資本提携を締結 | |||
FY01 2001/3 | 売上高 13,119億円 | 当期純利益 226億円 | 日産自動車との業務提携を解消 | |||
スズキと業務提携を締結 | ||||||
FY02 2002/3 | 売上高 13,625億円 | 当期純利益 303億円 | ||||
FY03 2003/3 | 売上高 13,723億円 | 当期純利益 335億円 | いすゞとの北米現地生産の協業を解消 | |||
組織再編 | SIAを完全子会社化・北米生産を単独運営 いすゞとの合弁解消に伴い、スバル・いすゞオートモーティブインクを完全子会社化し、スバルオブインディアナオートモーティブインク(SIA)へ社名変更した。北米現地生産を単独運営する体制へ転換し、その後の北米事業急拡大の土台となった。 | |||||
鉄道車両およびバス車体製造から撤退 | ||||||
FY04 2004/3 | 売上高 14,395億円 | 当期純利益 386億円 | ||||
FY05 2005/3 | 売上高 14,464億円 | 当期純利益 182億円 | ||||
FY06 2006/3 | 売上高 14,763億円 | 当期純利益 156億円 | GMと提携解消 | |||
トヨタ自動車と業務提携 | ||||||
FY07 2007/3 | 売上高 14,948億円 | 当期純利益 318億円 | 北米で大規模な販売促進を実施 | |||
FY08 2008/3 | 売上高 15,723億円 | 当期純利益 184億円 | ||||
FY09 2009/3 | 売上高 14,457億円 | 当期純利益 -699億円 | 業務提携 | トヨタ・ダイハツと業務提携を拡大 トヨタ自動車およびダイハツ工業との間で開発・生産における新たな業務提携を結んだ。2006年のトヨタ資本提携に続く協業深化であり、後の86/BRZ共同開発などにつながる。 | ||
運転支援システム「アイサイト」を開発 | ||||||
FY10 2010/3 | 売上高 14,286億円 | 当期純利益 -164億円 | ||||
FY11 2011/3 | 売上高 15,805億円 | 当期純利益 503億円 | ||||
FY12 2012/3 | 売上高 15,171億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 384億円 | SUV「SUBARU XV」を発売 | |||
FY13 2013/3 | 売上高 19,129億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,195億円 | 風力発電システム事業を日立に売却 | |||
汎用エンジン・発電機から撤退 | ||||||
FY14 2014/3 | 売上高 24,081億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,066億円 | ||||
FY15 2015/3 | 売上高 28,779億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,618億円 | 本社を新宿から恵比寿に移転 | |||
FY16 2016/3 | 売上高 32,322億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 4,366億円 | ||||
FY17 2017/3 | 売上高 33,259億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,823億円 | 海外進出 | タイで合弁会社を設立 タンチョン・グループ傘下のTC Manufacturing and Assembly (Thailand)と合弁会社を設立した。東南アジアの組立拠点を整備する動きとして位置付けられる。 | ||
FY18 2018/3 | 売上高 32,326億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,203億円 | 株式会社SUBARUに商号変更 創業100周年を迎えた2017年に富士重工業株式会社から株式会社SUBARUに商号を変更。北米におけるSUBARUブランドの浸透や、グローバル展開の強化を見据えてブランドと社名を一致させるために商号変更を実施。 | |||
事業撤退 | 汎用エンジン・発電機事業から撤退 汎用エンジン・発電機等の生産・販売を終了した。自動車事業に経営資源を集中する選択と集中の一環であり、2019年4月にはアフターサービス業務も桐生工業へ移管された。 | |||||
FY19 2019/3 | 売上高 31,605億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,478億円 | ||||
FY20 2020/3 | 売上高 33,408億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,362億円 | トヨタ自動車と業務資本提携で合意 | |||
FY21 2021/3 | 売上高 28,302億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 765億円 | ||||
FY22 2022/3 | 売上高 27,445億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 700億円 | ||||
FY23 2023/3 | 売上高 37,744億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,004億円 | ||||
FY24 2024/3 | 売上高 47,029億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,850億円 | ||||
FY25 2025/3 | 売上高 46,857億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 3,380億円 |
- 飛行機研究所を創業
海軍で水上機を開発した中島知久平氏は、第一次世界大戦中に欧米で実用化が進む飛行機に着眼し、民間による国産機開発のため1917年12月に故郷群馬県太田市で「飛行機研究所」を創業した。1919年に陸軍機を初受注し民間企業として日本初の事例となった。1920年代に開発生産を拡大し1931年に中島飛行機株式会社へ組織変更。戦時中は三菱重工と並ぶ大手航空機メーカーとして軍用機を量産した。
- 中島飛行機株式会社を設立
- 富士産業株式会社に商号変更・軍需から民需転換
- 企業再建整備法により富士産業を12社に解体
- 富士重工株式会社を設立
- 旧富士産業5社を吸収合併
- 乗用車「スバル360」を発表
通産省が「国民車構想」を発表したのを受け、富士重工は軽自動車(360cc)参入を決定した。1000ccクラスは技術難度が高く当時の所得では購入が難しかったため、通産省は360ccで自動車普及を後押ししていた。技術者の百瀬晋六氏が中心となり開発を進め、1958年に「スバル360」を発表した。これにより富士重工は乗用車業界へ新規参入し、SUBARUブランドの利用を開始した。
- 群馬製作所を新設
- 日産自動車と業務提携を締結
- 群馬製作所・矢島工場を稼働
群馬製作所・矢島工場が稼働し、スバル360後継車種の量産体制が整った。後にレオーネ・レガシィ等の主力車を生み出す基幹工場の出発点となった。
- 4WD「レオーネ」を発売大手不在のニッチ市場で首位を築いた4WD集中戦略
- 台湾ベスパ社と合弁の大慶汽車工業を設立
台湾ベスパ社との合弁で大慶汽車工業股份有限公司を設立した。アジア地域における現地生産の足掛かりとして位置付けられたが、2002年4月に台湾ベスパ社との現地生産協定は解消された。
- いすゞと北米現地生産の合弁会社を設立(IF提携)「年産20万台」に届かない中堅メーカーの北米生産戦略
- 乗用車「レガシィ」を発売
- 営業赤字に転落・経営再建に着手操業度維持と販売不振が生む「作るほど赤字」の構造
- 米国販売会社SUBARU Of America Inc.を買収
- 埼玉製作所を新設
埼玉県北本市に埼玉製作所を新設した。レガシィ・インプレッサのヒットを背景にした生産能力増強の一環であり、群馬の主力工場と並ぶ国内拠点となった。
- GMと資本提携を締結
- 日産自動車との業務提携を解消
- スズキと業務提携を締結
- いすゞとの北米現地生産の協業を解消
- SIAを完全子会社化・北米生産を単独運営
いすゞとの合弁解消に伴い、スバル・いすゞオートモーティブインクを完全子会社化し、スバルオブインディアナオートモーティブインク(SIA)へ社名変更した。北米現地生産を単独運営する体制へ転換し、その後の北米事業急拡大の土台となった。
- 鉄道車両およびバス車体製造から撤退
- GMと提携解消
- トヨタ自動車と業務提携
- 北米で大規模な販売促進を実施
- トヨタ・ダイハツと業務提携を拡大
トヨタ自動車およびダイハツ工業との間で開発・生産における新たな業務提携を結んだ。2006年のトヨタ資本提携に続く協業深化であり、後の86/BRZ共同開発などにつながる。
- 運転支援システム「アイサイト」を開発
- SUV「SUBARU XV」を発売
- 風力発電システム事業を日立に売却
- 汎用エンジン・発電機から撤退
- 本社を新宿から恵比寿に移転
- タイで合弁会社を設立
タンチョン・グループ傘下のTC Manufacturing and Assembly (Thailand)と合弁会社を設立した。東南アジアの組立拠点を整備する動きとして位置付けられる。
- 株式会社SUBARUに商号変更
創業100周年を迎えた2017年に富士重工業株式会社から株式会社SUBARUに商号を変更。北米におけるSUBARUブランドの浸透や、グローバル展開の強化を見据えてブランドと社名を一致させるために商号変更を実施。
- 汎用エンジン・発電機事業から撤退
汎用エンジン・発電機等の生産・販売を終了した。自動車事業に経営資源を集中する選択と集中の一環であり、2019年4月にはアフターサービス業務も桐生工業へ移管された。
- トヨタ自動車と業務資本提携で合意
歴史的証言
カメラも造船も世界水準に達したというのに、乗用車だけがまだ一本立ちできない/ダットサンはエンジン、シャシー共に、20年前の骨董品ボディー
当社は1958年に系四輪乗用車へ進出、スバル360を発売した。これが、最近急速に売上げを増大して、当社の業績向上に寄与している
航空機作りの技術から生まれた『スバル360』は、日本の道路事情にピッタリした四人乗り乗用車である/モデルチェンジなしの実績とともに、いま国民車の一つとして広く愛用されている
需要急増の予想された1959年〜1960年に、各社は大増設を計画/消滅する会社はどこなのか?
F自身、とても単独では生き残れないメーカーである/同じ興業銀行系の日産自動車にころがりこむことになろうが、その際、1対1の対等合併など夢物語になる
経済的に貧しいわが国の国防は、航空機を中心にするべきであり、世界の航空情勢に追いつくには、民間航空機産業を起こさなければならない
1917年5月、中島知久平はいち早く航空機時代の到来を予見し、将来を約束された職をなげうって、毅然として自らの信ずるところに従って民営の『飛行機研究所』を創設
最盛期、日本航空機生産に占めるシェア(1941〜1945年)は、機体28%(2位三菱17.9%)、発動機31.3%