沿革年表 1889〜2025年における重要度別の出来事(合計29件)
| 年月 | 区分 | 社長/CEO | 出来事 | 年度 | 売上高 | 純利益 |
|---|---|---|---|---|---|---|
重要事項会社設立 | 任天堂の創業 歴史的意義yutaka sugiura 任天堂の創業で見落とされがちなのは、山内家がセメント販売業で既に収益基盤を持っていた点にある。花札は本業ではなく副業として始まり、村井兄弟商会のタバコ販路に乗せて販売を拡大した。生活必需品ではない娯楽商品を継続供給する事業を、既存収益の裏付けの下で立ち上げた構造は、後年の任天堂が新規事業で赤字を許容できた体質の原型といえる。 | 1889 1-12月 | ||||
株式会社任天堂を設立 | 1947 1-12月 | |||||
山内溥氏が社長就任 歴史的意義yutaka sugiura 祖父の急逝で22歳の学生が社長に就いた異例の承継であり、周囲は「任天堂もこれで終わり」と評した。だが山内溥は怒りを動機に経営を掌握し、家内工業からの脱却を初手で宣言した。後継不在という消極的理由で選ばれた経営者が、以後53年にわたり任天堂の全意思決定を一人に集約し続けた。危機的承継がワンマン経営の正当性を生み、それが任天堂の意思決定速度の源泉となった。 | 1949 1-12月 | |||||
国産初のプラスチック製トランプを発売 歴史的意義yutaka sugiura 1959年のディズニーとの提携により、任天堂はキャラクタートランプの独占販売権を獲得した。量産体制の確立と並行して商品企画と広告展開を強化したことで需要を喚起し、全国の問屋・百貨店を通じた販売拡大が進んだ。その結果、1960年代初頭にはトランプ市場で高いシェアを確保するに至った。 | 1953 1-12月 | |||||
FY59 1959/3 | 売上高 3.17億円 | 当期純利益 0.23億円 | ||||
ディズニープロ社からトランプの国内独占販売権を取得 | FY60 1960/3 | 売上高 3.87億円 | 当期純利益 0.3億円 | |||
重要事項 | 食品とタクシーに参入 歴史的意義yutaka sugiura 1956年の渡米視察で山内溥が直面したのは、全米最大手でさえ事業規模が限定的という現実だった。国内シェア80%を握っても成長の上限が見えている以上、本業以外に活路を求めた判断は合理的だった。しかしタクシーも食品も既存事業との技術的連続性を欠き、競争優位を構築できなかった。高度成長期に日本企業が躍進する中、任天堂は10年以上の低迷に沈んだ。この失敗が「娯楽の外には出ない」という1966年以降の方針転換を不可避にした。 | |||||
FY61 1961/3 | 売上高 5.15億円 | 当期純利益 0.53億円 | ||||
大阪証券取引所第2部に株式上場 - | FY62 1962/3 | 売上高 8.05億円 | 当期純利益 0.94億円 | |||
任天堂株式会社に商号変更 | FY63 1963/3 | 売上高 11億円 | 当期純利益 1.71億円 | |||
FY64 1964/3 | 売上高 13.9億円 | 当期純利益 1.54億円 | ||||
FY65 1965/3 | 売上高 14億円 | 当期純利益 1.21億円 | ||||
減収減益 | FY66 1966/3 | 売上高 15.2億円 | 当期純利益 1.26億円 | |||
総合室内ゲーム企業を目指す方針決定 歴史的意義yutaka sugiura 1960年代前半の多角化失敗は、任天堂の事業領域を逆説的に確定させた。タクシーや食品という異分野では競争優位を構築できず、1969年までに全て撤退した。この経験から、多角化の方向を「娯楽の外」から「娯楽の中での展開」に切り替えた判断が1966年の方針決定である。ウルトラハンドや光線銃は商業的に限定的だったが、機械仕掛けの遊び道具を自社開発する体質が、後の電子ゲーム参入の技術的・組織的前提となった。 | ||||||
FY67 1967/3 | 売上高 17.3億円 | 当期純利益 1.41億円 | ||||
FY68 1968/3 | 売上高 24.1億円 | 当期純利益 2.11億円 | ||||
FY69 1969/3 | 売上高 34.2億円 | 当期純利益 3.3億円 | ||||
FY70 1970/3 | 売上高 30.2億円 | 当期純利益 3.1億円 | ||||
FY73 1973/3 | 売上高 64.8億円 | 当期純利益 3.53億円 | ||||
FY74 1974/3 | 売上高 77億円 | 当期純利益 3.91億円 | ||||
レジャー機器の販売不振。過剰在庫により減収減益へ オイルショック後の不況も重なったことで販売が低迷した。特に、1975年度にはレーザークレーのブーム終焉も重なり、大幅な減収となった。この結果、1975年2月期(半期実績)の売上高42億円に対して、売上債権31億円および棚卸し資産20億円を抱え込み、在庫の倒産の危機に陥った。 | FY76 1976/3 | |||||
テレビゲーム・アーケードゲームに参入 | FY77 1977/3 | 売上高 97.3億円 | 当期純利益 4.87億円 | |||
FY78 1978/3 | 売上高 109.41億円 | 当期純利益 6.31億円 | ||||
FY79 1979/3 | 売上高 152.27億円 | 当期純利益 6.9億円 | ||||
FY80 1980/3 | 売上高 156.07億円 | 当期純利益 7.01億円 | ||||
FY81 1981/3 | 売上高 230.46億円 | 当期純利益 16.12億円 | ||||
FY82 1982/3 | 売上高 575.84億円 | 当期純利益 77.67億円 | ||||
東京証券取引所第1部に株式上場 | FY83 1983/3 | 売上高 651.05億円 | 当期純利益 116.63億円 | |||
重要事項 | ファミリーコンピュータを発売 歴史的意義yutaka sugiura ゲーム&ウォッチのブーム終息後、任天堂には次の柱がなく、山内溥は「会社更生法か、ファミコンか」という二択だったと語っている。本体14,800円という低価格はリコー製カスタムCPUの設計内製化で実現し、収益はソフト販売で回収する構造を採用した。サードパーティの制作本数を制限して品質を管理する「任天堂の関所」が粗製濫造を防ぎ、売上高は1981年の239億円から1989年に2,912億円へ拡大した。 | FY84 1984/3 | 売上高 654.55億円 | 当期純利益 94.01億円 | ||
FY85 1985/3 | 売上高 772億円 | 当期純利益 97.7億円 | ||||
ファミコンが社会現象 | FY86 1986/3 | 売上高 1,177億円 | 当期純利益 160億円 | |||
FY87 1987/3 | 売上高 1,401億円 | 当期純利益 245億円 | ||||
FY88 1988/3 | 売上高 1,786億円 | 当期純利益 266億円 | ||||
FY89 1989/3 | 売上高 2,501億円 | 当期純利益 296億円 | ||||
欧米に現地法人を新設 - | FY90 1990/3 | 売上高 2,100億円 | 当期純利益 275億円 | |||
FY91 1991/3 | 売上高 4,509億円 | 当期純利益 706億円 | ||||
FY92 1992/3 | 売上高 5,075億円 | 当期純利益 852億円 | ||||
FY93 1993/3 | 売上高 5,627億円 | 当期純利益 871億円 | ||||
FY94 1994/3 | 売上高 4,670億円 | 当期純利益 654億円 | ||||
FY95 1995/3 | 売上高 3,506億円 | 当期純利益 564億円 | ||||
重要事項 | テレビゲーム機NINTENDO64を発売 1990年代にソニーがプレーステーションを発売したのに対抗し、任天堂も64bitのテレビゲーム機「Nintendo64」を発売。この頃から任天堂とソニーの2社での激しい競争が火蓋を切った。 経営判断をよむ → | FY96 1996/3 | 売上高 3,004億円 | 当期純利益 512億円 | ||
FY97 1997/3 | 売上高 3,454億円 | 当期純利益 362億円 | ||||
FY98 1998/3 | 売上高 5,346億円 | 当期純利益 836億円 | ||||
重要事項 | ポケモン株式会社を共同設立 歴史的意義yutaka sugiura ポケモンが画期的だったのは、発売から10年近く経過したゲームボーイという枯れたハード上で、通信ケーブルを使った交換・対戦という新しい遊び方を発明した点にある。ハード更新なしにソフトだけで需要を再喚起し、累計1億台突破まで延命させた。さらにアニメ・映画・カードへのIP多角展開を株式会社ポケモン(任天堂出資32%)に集約管理した仕組みは、ゲーム会社がIP経営に移行する先駆的事例となった。 | FY99 1999/3 | 売上高 5,728億円 | 当期純利益 858億円 | ||
FY00 2000/3 | 売上高 5,306億円 | 当期純利益 560億円 | ||||
| 岩田聡 | 家庭用TVゲーム機「ゲームキューブ」を発売 | FY01 2001/3 | 売上高 4,625億円 | 当期純利益 966億円 | ||
重要事項 | 岩田聡 | 山内溥氏が社長退任・岩田聡氏が社長就任 1949年から任天堂の社長を歴任した山内溥氏は、高齢であることを受けて社長を退任した。後任には叩き上げの岩田聡氏を指名し、任天堂は4代にわたって続いた同族経営に終止符を打った。 経営判断をよむ → | FY02 2002/3 | 売上高 5,548億円 | 当期純利益 1,064億円 | |
| 岩田聡 | FY03 2003/3 | 売上高 5,041億円 | 当期純利益 672億円 | |||
| 岩田聡 | FY04 2004/3 | 売上高 5,148億円 | 当期純利益 331億円 | |||
| 岩田聡 | 携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売 歴史的意義yutaka sugiura DSの二画面・タッチ操作というハード設計は、それ自体では爆発的ヒットに至らなかった。転機は2005年の「脳トレ」で、大人・高齢者という従来のゲーム機では想定外の層が購入し始めたことにある。ハードの性能ではなくソフトの用途提案が市場規模を決めるという構造を実証し、累計1億台を突破した。後継3DSは立体視という技術的新規性を打ち出したが、DS期の「脳トレ」に匹敵する用途拡張ソフトを欠き、販売規模は前世代を下回った。 | FY05 2005/3 | 売上高 5,152億円 | 当期純利益 874億円 | ||
重要事項 | 岩田聡 | 家庭用TVゲーム機「Wii」を発売 歴史的意義yutaka sugiura Wiiは処理性能の競争から意図的に距離を取り、直感的操作で非ゲーマー層を取り込むことで累計5,000万台を達成した。DSと同じ「用途拡張」の据置機版であり、任天堂の最盛期(売上高1.8兆円)を形成した。しかし後継Wii Uは「Wiiとの違いが伝わらなかった」(岩田社長)ことに加え、自社有力ソフトの投入遅れで失速。同一手法の二度目が通用しなかった事実は、任天堂型成功の再現性に構造的な限界があることを示した。 | FY06 2006/3 | 売上高 5,092億円 | 当期純利益 983億円 | |
| 岩田聡 | FY07 2007/3 | 売上高 9,665億円 | 当期純利益 1,742億円 | |||
| 岩田聡 | FY08 2008/3 | 売上高 16,724億円 | 当期純利益 2,573億円 | |||
| 岩田聡 | 売上高で過去最高を記録 WiiおよびDSの販売好調により、2009年3月期に過去最高となる連結売上高1.8兆円を記録。 | FY09 2009/3 | 売上高 18,386億円 | 当期純利益 2,790億円 | ||
| 岩田聡 | FY10 2010/3 | 売上高 14,343億円 | 当期純利益 2,286億円 | |||
| 岩田聡 | FY11 2011/3 | 売上高 10,143億円 | 当期純利益 776億円 | |||
| 岩田聡 | FY12 2012/3 | 売上高 6,476億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -432億円 | |||
| 岩田聡 | FY13 2013/3 | 売上高 6,354億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 70億円 | |||
| 岩田聡 | 3DSとWiiUが不振・最終赤字に転落 2010年までの任天堂は「DS」と「Wii」の2機種のヒットによって売上を確保したが、それぞれの後継機種「3DS」「Wii U」について販売に苦戦した。この結果、2009年3月期をピークとして、以降は2017年3月期まで8期連続の減収となった。また、2012年3月期および2014年3月期において最終赤字に転落した。 8期連続減収が突きつけた「ヒットの次」問題 | FY14 2014/3 | 売上高 5,717億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 -232億円 | ||
| 君島達己 | DeNAと業務資本提携を締結 スマホ向けのゲームに関する協業に向けて、DeNAと業務資本提携を締結。任天堂はDeNAの株式10%を220億円で取得し、DeNAも任天堂の株式1.24%を取得した。 | FY15 2015/3 | 売上高 5,497億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 418億円 | ||
| 君島達己 | FY16 2016/3 | 売上高 5,044億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 165億円 | |||
| 古川俊太郎 | 併用型ゲーム機「Nintendo Switch」を発売 歴史的意義yutaka sugiura Switchの本質は、携帯機と据置機という二系統を一つに統合し、開発リソースとソフト資産の分散を解消した点にある。DSとWiiの成功が後継機で再現できなかった反省から、プラットフォームを単一化することで「次のヒットが出るまでの谷」を浅くする構造を設計した。ゼルダ・マリオ・どうぶつの森という自社IPの計画的投入が8期連続減収を断ち切り、累計1億台を超えた。「ヒット依存」から「基盤統合」への転換である。 | FY17 2017/3 | 売上高 4,890億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,025億円 | ||
| 古川俊太郎 | FY18 2018/3 | 売上高 10,556億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,395億円 | |||
| 古川俊太郎 | FY19 2019/3 | 売上高 12,005億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 1,940億円 | |||
| 古川俊太郎 | マイクロソフトが任天堂の買収を議論 | FY20 2020/3 | 売上高 13,085億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,586億円 | ||
バリューアクトが株式保有 バリューアクト・キャピタル・マネジメントは、任天堂の株式11億ドル相当の保有を公表。任天堂のガバナンス強化や企業価値向上を促す目的で、株主提案を行う可能性が指摘された。 | ||||||
| 古川俊太郎 | FY21 2021/3 | 売上高 17,589億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 4,803億円 | |||
| 古川俊太郎 | Nintendo Switchの販売好調 「あつまれ どうぶつの森」などの販売好調により、Nintendo Switchの累計販売台数が1億台を突破 | FY22 2022/3 | 売上高 16,953億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 4,776億円 | ||
| 古川俊太郎 | FY23 2023/3 | 売上高 16,016億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 4,327億円 | |||
| 古川俊太郎 | FY24 2024/3 | 売上高 16,718億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 4,906億円 | |||
| 古川俊太郎 | FY25 2025/3 | 売上高 11,649億円 | 親会社株主に帰属する当期純利益 2,788億円 |
- 任天堂の創業任天堂の創業で見落とされがちなのは、山内家がセメント販売業で既に収益基盤を持っていた点にある。花札は本業ではなく副業として始まり、村井兄弟商会のタバコ販路に乗せて販売を拡大した。生活必需品ではない娯楽商品を継続供給する事業を、既存収益の裏付けの下で立ち上げた構造は、後年の任天堂が新規事業で赤字を許容できた体質の原型といえる。
- 株式会社任天堂を設立
- 山内溥氏が社長就任祖父の急逝で22歳の学生が社長に就いた異例の承継であり、周囲は「任天堂もこれで終わり」と評した。だが山内溥は怒りを動機に経営を掌握し、家内工業からの脱却を初手で宣言した。後継不在という消極的理由で選ばれた経営者が、以後53年にわたり任天堂の全意思決定を一人に集約し続けた。危機的承継がワンマン経営の正当性を生み、それが任天堂の意思決定速度の源泉となった。
- 国産初のプラスチック製トランプを発売1959年のディズニーとの提携により、任天堂はキャラクタートランプの独占販売権を獲得した。量産体制の確立と並行して商品企画と広告展開を強化したことで需要を喚起し、全国の問屋・百貨店を通じた販売拡大が進んだ。その結果、1960年代初頭にはトランプ市場で高いシェアを確保するに至った。
- ディズニープロ社からトランプの国内独占販売権を取得
- 大阪証券取引所第2部に株式上場
-
- 任天堂株式会社に商号変更
- 減収減益
- 総合室内ゲーム企業を目指す方針決定1960年代前半の多角化失敗は、任天堂の事業領域を逆説的に確定させた。タクシーや食品という異分野では競争優位を構築できず、1969年までに全て撤退した。この経験から、多角化の方向を「娯楽の外」から「娯楽の中での展開」に切り替えた判断が1966年の方針決定である。ウルトラハンドや光線銃は商業的に限定的だったが、機械仕掛けの遊び道具を自社開発する体質が、後の電子ゲーム参入の技術的・組織的前提となった。
- レジャー機器の販売不振。過剰在庫により減収減益へ
オイルショック後の不況も重なったことで販売が低迷した。特に、1975年度にはレーザークレーのブーム終焉も重なり、大幅な減収となった。この結果、1975年2月期(半期実績)の売上高42億円に対して、売上債権31億円および棚卸し資産20億円を抱え込み、在庫の倒産の危機に陥った。
- テレビゲーム・アーケードゲームに参入
- 東京証券取引所第1部に株式上場
- ファミコンが社会現象
- 欧米に現地法人を新設
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- 家庭用TVゲーム機「ゲームキューブ」を発売
- 携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売DSの二画面・タッチ操作というハード設計は、それ自体では爆発的ヒットに至らなかった。転機は2005年の「脳トレ」で、大人・高齢者という従来のゲーム機では想定外の層が購入し始めたことにある。ハードの性能ではなくソフトの用途提案が市場規模を決めるという構造を実証し、累計1億台を突破した。後継3DSは立体視という技術的新規性を打ち出したが、DS期の「脳トレ」に匹敵する用途拡張ソフトを欠き、販売規模は前世代を下回った。
- 家庭用TVゲーム機「Wii」を発売Wiiは処理性能の競争から意図的に距離を取り、直感的操作で非ゲーマー層を取り込むことで累計5,000万台を達成した。DSと同じ「用途拡張」の据置機版であり、任天堂の最盛期(売上高1.8兆円)を形成した。しかし後継Wii Uは「Wiiとの違いが伝わらなかった」(岩田社長)ことに加え、自社有力ソフトの投入遅れで失速。同一手法の二度目が通用しなかった事実は、任天堂型成功の再現性に構造的な限界があることを示した。
- 売上高で過去最高を記録
WiiおよびDSの販売好調により、2009年3月期に過去最高となる連結売上高1.8兆円を記録。
- 3DSとWiiUが不振・最終赤字に転落
2010年までの任天堂は「DS」と「Wii」の2機種のヒットによって売上を確保したが、それぞれの後継機種「3DS」「Wii U」について販売に苦戦した。この結果、2009年3月期をピークとして、以降は2017年3月期まで8期連続の減収となった。また、2012年3月期および2014年3月期において最終赤字に転落した。
8期連続減収が突きつけた「ヒットの次」問題 - DeNAと業務資本提携を締結
スマホ向けのゲームに関する協業に向けて、DeNAと業務資本提携を締結。任天堂はDeNAの株式10%を220億円で取得し、DeNAも任天堂の株式1.24%を取得した。
- 併用型ゲーム機「Nintendo Switch」を発売Switchの本質は、携帯機と据置機という二系統を一つに統合し、開発リソースとソフト資産の分散を解消した点にある。DSとWiiの成功が後継機で再現できなかった反省から、プラットフォームを単一化することで「次のヒットが出るまでの谷」を浅くする構造を設計した。ゼルダ・マリオ・どうぶつの森という自社IPの計画的投入が8期連続減収を断ち切り、累計1億台を超えた。「ヒット依存」から「基盤統合」への転換である。
- マイクロソフトが任天堂の買収を議論
- バリューアクトが株式保有
バリューアクト・キャピタル・マネジメントは、任天堂の株式11億ドル相当の保有を公表。任天堂のガバナンス強化や企業価値向上を促す目的で、株主提案を行う可能性が指摘された。
- Nintendo Switchの販売好調
「あつまれ どうぶつの森」などの販売好調により、Nintendo Switchの累計販売台数が1億台を突破