吉田孝雄

SUBARU・元代表取締役社長

Yoshida Takao(敬称略)

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社長就任 1956年
生年月日 1901年1月1日
学歴 東京帝国大学工学部
出自 中島飛行機
社長就任までの出自
出自

1924年3月に東京帝国大学工学部を卒業して中島飛行機へ入り、1940年4月に同社の取締役兼小泉製作所長へ就任した。航空機の量産を現場で預かった技術者である。敗戦後の分割を経て1953年7月に旧中島系5社の共同出資で富士重工業が発足すると、専務取締役として加わった。社長就任は1956年8月になる。1960年当時の常務・取締役にも中島飛行機出身者が並び、旧航空機メーカーの技術者集団がそのまま経営陣を構成していた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

富士重工業は1955年4月に出資元の5社を吸収合併し、分割されていた旧中島系の工場と人員を一つの会社にまとめた。吉田氏が社長へ就任したのはその翌年で、それまでは設立時からの専務取締役である。中島飛行機で小泉製作所長として量産を預かった経歴があり、統合直後の製造をまとめる役を任されたとみられる。

在任中の主な施策
施策

1960年10月に群馬製作所を開設し、自動車の量産拠点を開設した。売上高は1957年3月期の87億円から1963年3月期の309億円へ、経常利益は3.16億円から10.69億円へ伸びている。社外では1958年に岩崎通信機の取締役会長、1959年に日本航空機製造の監査役、1961年に輸送機工業の社長を兼ねた。1963年5月には社長を横田信夫氏へ渡し、取締役へ退いた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1901〜1963年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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