この創業が示すのは、一人の創業者の物語ではなく、解体された技術者集団が再び1つの会社にまとまった経緯である。中島飛行機は敗戦で航空機という主力を失い、過度経済力集中排除法によって組織として分割された。それでも工場間の取引や技術者の結び付きが戦前から残っていたことが、5社の再結集を現実的なものにしただろう。特定の創業者を欠いたまま、旧中島系の企業が持株会社の設立と合併という手順で1つの法人を得た点に、この再編の特徴があらわれている。
もう一つ見えてくるのは、航空機で培った技術を平時の民需へ振り向けた道筋である。百瀬晋六氏らが機体構造の軽量化をスバル360に応用したように、失われた航空機の技術は乗用車という新しい用途へ引き継がれた。国民車構想という時代の要請と、再結集で1つにまとまった技術者集団が重なったことが、富士重工業を航空機メーカーから乗用車を主力とする企業へ転じさせたと読める。戦後の再編を経て残った技術の継承先が、その後のSUBARUの土台になっていったといえる。