ホンダ 河島喜好氏への承継 創業者2人の同時引退と、次代への経営の引き渡し
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筆者の見解
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好調のうちに求心力を手放すという選択
この事業承継の核心は、財務の危機に追われた交代ではなく、業績が好調なさなかに、創業者みずからが自分の求心力に依存する経営を手放そうとした点にある。世界の二輪トップを築いた成功は、裏を返せば一人の技術者の才覚と求心力に強く依存する体質でもあった。宗一郎氏が『本田家のものじゃない』と世襲を退け、藤沢氏が『その時々で最適の人材を選ぶ』という原則を敷いたのは、その依存をみずから解体し、自分たちがいなくても回る会社へ組み替えようとする試みだったとみられる。しかも二人は、世襲否定を精神論で終わらせず、代表権の分散、大部屋重役室、トロイカ方式という具体的な仕組みで支えた。
事業承継を一度きりの引き継ぎで終わらせず、河島喜好氏がみずからも10年で退いて次へ渡したことで、それは繰り返される型になった。もっとも、退いた後も宗一郎氏の影は頭の片すみで絶えず意識されるほど濃く残り、河島喜好氏は"一卵性経営者"とも評された。求心力を手放してなお創業者の価値観をどう受け継ぐか――1990年代に"規模より売れる車"で単独路線を選んだ判断や、その後のEVをめぐる路線にも通じる問いを、この承継は早い時期に経営の中心へ据えている。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
同じ問いに直面した会社
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参考文献
- 日経ビジネス 1973年9月3日号
- 日経ビジネス 1975年3月17日号
- 日経ビジネス 1976年1月5日号
- 日経ビジネス 1977年6月6日号
- 日経ビジネス 1996年7月22日号
- ホンダ 会社年鑑(1976年版ほか各年版)