狭山工場の閉鎖と寄居工場への国内四輪生産の集約

国内市場の縮小と電動化を前に、八郷隆弘社長は1964年以来の四輪拠点をどう畳もうとしたか

更新:

時期 2017年10月
意思決定者 八郷隆弘・三部敏宏(社長・閉鎖完了時) 社長
論点 国内生産体制の集約と固定費の削減
概要
2017年秋にホンダが埼玉県狭山市の狭山工場の四輪車生産を寄居工場へ集約する方針を示し、2018年7月に2023年度までの閉鎖として具体化した経営判断。1964年の稼働以来維持してきた最初の四輪専用工場を畳み、2021年12月に完成車の生産を終え、2024年6月末に部品を含む生産を終えて閉鎖した。八郷隆弘社長の主導による国内生産再編の一環である。
背景
国内四輪市場の縮小と生産能力の余剰、電動化への投資負担を背景に、狭山と最新設備を備える寄居の二拠点を並べて抱える非効率が重荷になっていた。55歳以上を対象とするライフシフト・プログラムによる人員構成の見直しと表裏をなす国内再編でもあった。
内容
2021年度に先行して完成車の生産機能を寄居工場へ集約し、部品は2022年度以降に順次移管する計画を示した。オデッセイ・レジェンド・クラリティの生産を2021年内に終え、狭山は当面部品工場として残したうえで、最終的に閉鎖する段取りとした。
含意
「現地で作る」拡大期に国内で積み増した生産能力を、需要の縮小と電動化を前に引き算する判断であった。1964年に始めた四輪の国内拠点を7年がかりで畳む過程は、地元の狭山・入間両市の雇用や取引先にも影響を残した。
筆者の見解

拡大の裏返しとしての国内再編

この判断の中心にあるのは、拡大期に広げた生産の版図を、需要の縮小と電動化を前にどう畳むかという問いである。1978年に北米メアリズビルで「現地で作る」拡張を始めたホンダは、その裏側で国内にも生産能力を積み増してきた。狭山の閉鎖は、外へ広げる論理で膨らんだ国内の設備を、内側から引き算する作業にあたる。好調のさなかではなく、市場の縮小と電動化投資の重さに追われるなかで最初の四輪拠点に手を入れた点に、拡張を重ねてきた時期とは異なる性格がうかがえる。

この再編は単独では完結しない。狭山を畳む動きは、英スウィンドン工場の閉鎖による欧州完成車生産からの撤退や、ライフシフト・プログラムによる人員の若返りと同じ時期に重なり、いずれも2021年の脱エンジン宣言が掲げた電動化への資源集中という上位の命題につながっていた。もっとも、電動化の先行きにはなお不確実さが残り、国内の生産をどこまで絞り込むかという問いは、その後も宙に置かれたままとみられる。7年をかけて閉じた狭山工場は、拡大と収縮のあいだで揺れるホンダの国内事業の縮図として残った。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

拡大期に積み増した国内四輪の生産能力

集約と閉鎖の対象となった狭山工場は、ホンダの国内四輪生産の原点にあたる。同社は1963年に軽トラックT360と小型スポーツカーS500で四輪車事業に本格参入し、翌1964年に埼玉県狭山市の工場で四輪車の量産を始めた。以後この工場は、N360からアコード、オデッセイへと続く量産車を送り出し、二輪一本足から四輪を柱に据えていく拡大期を国内で支えた。1980年代以降のホンダは「売るクルマは現地で作る」方針のもと北米や欧州へ生産を広げたが、その裏側で国内にも相応の生産能力を抱え続けていた[1]

2010年代に入ると、国内の新車需要は頭打ちとなり、狭山工場を含む国内の生産能力には余剰が目立ち始めた。ホンダは2013年に埼玉県寄居町へ最新設備を備えた四輪工場を稼働させており、旧世代の狭山と新鋭の寄居という二つの完成車工場を県内に並べて抱える体制になっていた。二拠点を維持したままでは稼働率が上がらず、固定費が重くのしかかる。国内の需要と生産能力の差をどう埋めるかが、経営上の課題として浮かび上がっていた[2]

電動化と人員再編に挟まれた国内体制

集約の判断は、電動化への転換とも切り離せない。ホンダは2021年4月発足の三部敏宏体制で四輪の電動化を「第2の創業」と掲げ、投資を内燃機関から電気自動車やソフトウエアへ振り向けようとしていた。既存の完成車工場を最新鋭に絞り込むことは、限られた資源を電動化へ振り向ける前提づくりでもあった。国内では同じ時期に、55歳以上を対象とするライフシフト・プログラムで人員構成の若返りも進めており、生産拠点と人員の両面から国内体制を軽くする動きが重なっていた[3]

決断

寄居への集約という選択

ホンダは2017年秋の決算説明で、電動化など新技術への対応を理由に、狭山と寄居の完成車工場を最新設備の寄居へ集約する方針を示した。この方針は2018年7月31日に具体的な計画として固まる。同社は狭山工場を2023年度までに閉鎖するとしたうえで、2021年度に先行して完成車の生産機能を寄居工場へ集約し、部品については2022年度以降に順次移管を進めると発表した。1964年以来の四輪拠点を段階的に畳む工程が、ここで明確な期限を伴って引かれた[4]

集約のねらいは、固定費の削減と稼働率の向上に置かれた。旧世代の狭山を残したまま新鋭の寄居を動かす二重の体制では、どちらの工場も能力を持て余しやすい。完成車の生産を寄居へ寄せれば、最新の生産技術を集中して用いつつ、稼働の水準を引き上げられるとみていた。縮小する国内市場に生産能力を合わせ、電動化への投資余力を確保するための、守りの色を帯びた再編であった[5]

終える車種と国内のスリム化

集約は、狭山工場が担ってきた車種の幕引きを伴った。ホンダは2021年内に、狭山で生産してきたオデッセイ、レジェンド、クラリティの3車種の生産を終えると決めた。ミニバンや上級セダンといった、国内で長く売ってきた車種が生産の対象から外れる判断であり、国内向けのラインアップ自体を絞り込む動きと重なった。狭山の閉鎖は一工場の統廃合にとどまらず、国内で何をどれだけ作るかという事業の輪郭にも及ぶものであった[6]

結果

完成車生産の終了と、7年がかりの幕引き

2021年12月27日、ホンダは狭山工場での完成車の生産を終えた。1964年の稼働から数えて57年にわたり維持してきた四輪の量産機能は寄居工場へ移り、狭山は当面のあいだ部品工場として残された。発表当時に描いた「2021年度に完成車を寄居へ集約する」という工程は、期限どおりに履行された。会社の来歴が刻まれた最初の四輪拠点から、まず完成車という中核の機能が抜けていった[7]

部品を含む機能の移管も進み、2024年6月末に狭山工場は部品の生産まで終えて操業を閉じた。2017年秋の方針表明から数えて7年がかりの幕引きであった。四輪の完成車工場として地域の雇用と取引を支えてきた拠点の閉鎖は、狭山市と入間市の経済にも影を落とし、地元では跡地や関連する取引先の行方が引き続き課題として残った。国内生産の集約は計画に沿って完了した一方で、その影響は工場の敷地の外へも広がった[8]

出典・参考