中川不器男

トヨタ自動車・元取締役社長

Nakagawa Fukio(敬称略)

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社長就任 1961年8月
生年月日 —
学歴 神戸高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1921年に神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業して三井銀行に入り、29年を銀行員として過ごした。1950年、資金繰りの破綻から立ち直る途上のトヨタ自動車工業へ、帝国銀行大阪事務所長から専務取締役として送られ、1953年に副社長へ進んだ。三井銀行はトヨタの取引銀行の一つで、1960年11月時点でも株式の2.9%を持つ上位株主であった。技術でも販売でもなく金融の側から来た人物であり、資本の裏づけは自身にではなく銀行との関係にあった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1961年8月、石田退三氏の会長就任に伴って副社長から社長へ上がった。銀行出身者がトヨタのトップに立つのはこれが初めてである。就任前年度にあたる1960年11月期の売上高は1027億円であった。乗用車の量産投資が本格化し、調達できる資金の量が経営の制約になりつつあった。融資の側を知る人物を充てた人事である。

在任中の主な施策
施策

在任中の主題は大衆車であった。1960年のコロナ、1961年のパブリカが不具合を重ねたのち、1962年から長谷川龍雄氏を主査に排気量1000cc級の新型車の開発が始まった。1965年5月には約125万平方メートルの用地買収に着手し、1966年9月にカローラの第1号車が高岡工場からラインオフした。1工場1車種の集中生産は原価を切り下げ、競争の軸を販売網から設備投資の規模と速度へ移した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1921〜1967年
在任中の業績
就任前(FY60)1,381億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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