豊田章一郎

トヨタ自動車・元取締役社長(工販合併)

Toyoda Shoichiro(敬称略)

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社長就任 1982年7月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

創業者・豊田喜一郎氏の長男として生まれ、1947年に名古屋大学工学部を卒業した。1952年にトヨタ自動車工業へ入社して取締役となり、1958年7月には乗用車専門工場である元町工場の建設委員会で委員長を務めた。1981年6月にトヨタ自動車販売の社長へ移り、製造と販売の双方を率いた経歴を持つ。創業家といっても資本の裏づけは薄く、就任前の1974年11月期の大株主上位10位は銀行・生命保険と豊田自動織機(4.41%)・トヨタ自動車販売(2.56%)が占め、豊田家個人は入らない。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1982年7月、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併で発足したトヨタ自動車の初代社長に就任した。合併比率は自販株1株に自工株0.75株で、自工社長だった豊田英二氏が会長、自販社長だった章一郎氏が社長という配置である。販売側から社長を出す形は、統合を自工による吸収と見せない意味を持ったとみられる。1936年入社の英二氏に対し章一郎氏は1952年入社で、創業家内の世代交代でもあった。

在任中の主な施策
施策

1984年2月、GMとの折半出資でカリフォルニアに合弁会社NUMMIを設立し、北米の労働環境でトヨタ生産方式が働くかを検証した。手応えを得て1985年7月の臨時取締役会で北米への単独進出を決め、同年12月にケンタッキー州を選び、1986年1月に現地法人TMMを設けて1988年5月にカムリの第1号車をラインオフさせた。1989年には高級車ブランド「レクサス」を北米で発売し、同年12月に英国、1991年2月にトヨタ自動車九州と、生産拠点を国内外へ広げた。 製造・販売部門の合併

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1952〜1992年
在任中の業績
就任前(FY81)38,495億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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