奥田碩

トヨタ自動車・元取締役社長就任

Okuda Hiroshi(敬称略)

更新:
社長就任 1995年8月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

三重県津市に生まれ、一橋大学商学部を卒業して1955年4月にトヨタ自動車販売へ入社した。経理部からフィリピンなどアジアの駐在を経て、1979年2月に販売会社の豪亜部長となった。1982年7月の工販合併で取締役に就任し、1987年9月に常務、1988年9月に専務、1992年9月に副社長へ進んでいる。創業家との血縁を持たず、海外販売の現場を歩いた生え抜きである。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1995年8月、病に倒れた豊田達郎氏に代わって副社長から社長に就任した。旧トヨタ自動車工業以来、豊田家と縁のない社長は石田退三氏と中川不器男氏の2人だけで、1967年の豊田英二氏就任から数えて28年ぶりの非同族・生え抜き社長だった。国内登録車シェアは前年12月に11年ぶりの40%割れ、豊田家をトップに頂いた運営の長期化が意思決定を遅らせているとの指摘も強まっていた。以後、豊田家からの社長は2009年の豊田章男氏まで14年空く。

在任中の主な施策
施策

就任にあたり、豊田家は尊重するが人事は公平にやるという方針を示し、1996年5月には常務以上19人のうち留任を2人にとどめる世代交代人事を断行した。1995年度の販売諸費・広告宣伝費を前年度比で約40%増の2348億円まで積み増し、新型車を相次いで投入している。1997年12月には世界初の量産ハイブリッド車プリウスを発売し、1998年9月にはダイハツ工業を子会社化して軽自動車を取り込んだ。人事・販売・環境技術を同時に動かす拡大改革だった。 2010年グローバルビジョンの策定

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1955〜2006年
在任中の業績
就任前(FY94)81,209億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

免責事項およびポリシー