石田退三

トヨタ自動車・元取締役社長(豊田自動織機製作所社長と兼任)

Ishida Taizo(敬称略)

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社長就任 1950年7月
生年月日 —
学歴 滋賀県立第一中学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1915年に服部商店へ入社し、戦後は豊田自動織機製作所の社長を務めた。学歴は滋賀県立第一中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)で、技術ではなく商いと金勘定の畑を歩いた経営者である。トヨタ自動車工業の社長には織機の社長と兼任のまま就任しており、創業家の資本を代表する立場から送り込まれた。もっとも織機の持株比率は1960年11月時点で4.9%にとどまり、上位は信託銀行と都市銀行が占めていた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1949年のドッジ・ラインで資金繰りが破綻し、1,600名の希望退職をめぐる責任を負って豊田喜一郎氏が1950年6月に社長を辞任した。後任には豊田自動織機出身の石田氏が充てられ、織機の社長と兼任のまま7月に就任した。銀行団の協調融資で辛うじて延命した会社に、創業家ではなく資金の出し手に近い親会社の経営者を据える人事であった。

在任中の主な施策
施策

就任直前の1950年4月に分かれたトヨタ自動車販売との二社体制を引き継ぎ、生産側が原価と品質、販売側が販売店網を受け持つ分担を定着させた。1951年5月には創意くふう提案制度を始め、乏しい設備投資を現場の改善で補った。1955年に初代クラウンを出して乗用車市場へ参入し、1957年10月には米国トヨタ自動車販売を設けた。豊田英二専務の月産1万台案に対しては、月産5000台で元町工場の建設を決めている。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1915〜1961年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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