製造・販売部門の合併(1982年・トヨタ自動車の決断)

更新:
論点 工販分離をやめ合併するか
トヨタ自動車:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
32年におよぶ工販分離体制の終わり

何をなぜ決めたか:32年におよぶ工販分離体制の終わり

概要

1982年7月1日、生産を担うトヨタ自動車工業と販売を担うトヨタ自動車販売が合併し、自工を存続会社としてトヨタ自動車株式会社が発足した。合併比率は自工1に対し自販0.75、新株203,798千株を発行し、資本金は110,715百万円から120,905百万円になった。

1950年4月に自工が販売業務を移して自販を設立してから32年、両社の社員が同じ屋根の下で働くのは32年ぶりであった。合併直前の規模は自工が1982年6月期の売上高38,495億円、自販が1981年3月期の売上高35,902億円で、合併後は売上高4兆円、従業員5万4000人の規模になると見込まれた。

背景

第2次石油危機後の低成長に加え、対米自動車輸出は1980年実績の182万台に対し1981年は168万台へ自主規制を余儀なくされ、国内シェアも1974年の40.4%をピークに1980年は37.3%まで低下していた。先進国での現地生産に踏み出すほかなくなる一方、海外の情報は自販が窓口となって集め、提携の申し入れも自販が自工に取り次ぐだけという体制の非効率が目立ちはじめる。フォードとの合弁交渉が立ち消えになり、単独進出以外の道が消えたことも決断を早めた。

自販会長の加藤誠之氏には 『私の目の黒いうちに、不幸な分かれ方をした両社を一緒にしたい』 という執念があり、以前から自工社長の豊田英二氏に合併を進言していた。

内容

1982年1月25日、自工社長の豊田英二氏と自販社長の豊田章一郎氏が記者会見で合併を発表した。ただしトップ人事も合併比率も未定のままで、比率が自工1・自販0.75と決まったのは2月15日である。発表を急いだのは、対等合併の観測から自販株が1月4日の601円から1月20日に690円まで動き、東京証券取引所が開示を求めたためであった。

効力発生日は自工の新年度が始まる7月1日に置かれ、自販側の動揺を抑えるため期日はずらされなかった。自工・自販あわせて59人いた取締役は自工の定年内規に合わせて絞られ、会長に豊田英二氏、社長に豊田章一郎氏が就任した。

含意

1950年の分離は倒産寸前の自工を再建するため金融機関の意向が強く働いた措置で、合併はそれを32年ぶりに解消するものだった。ただし、自販の従業員5,200人のうち自工で働いた経験を持つのはごく少数にとどまり、取締役23人のなかでも自工での経歴を持つのは11人のみである。「工販対等」を説いた神谷正太郎氏の薫陶を受けた社員にとって、これは吸収合併にほかならなかった。自工の自販に対する持株比率は1976年3月期の38.9%から1981年3月期には44.1%へ上がっており、対等の建前と実質の親子関係との差が、合併の受け止め方を分けた。

いつ何が起きたか 7件
考察:分離と統合、それぞれの合理
考察

考察:分離と統合、それぞれの合理

1950年の分離と1982年の合併を、方針の反転として読むのは当たらない。分離は倒産寸前の自工を金融機関の意向のもとで再建するための措置であり、合併は対米輸出が自主規制へ追い込まれ、先進国での現地生産に踏み出すほかなくなったときの措置であった。どちらも、そのときに解かねばならない問題に形を合わせただけである。むしろ注目すべきは、自工の自販に対する持株比率が1976年3月期の38.9%から1981年3月期の44.1%へ静かに上がっていたことで、合併が発表された時点で、対等という建前を支える実質はすでに薄れていたのだろう。

もっとも、一つにまとめたことに代償がなかったわけではない。合併から13年を経た1995年、豊田英二氏は、工販合併は国際化を進めた一方で国内では緊張感を弱めたと省みている。別会社として競い合っていた頃の自工と自販は喧嘩ばかりだと言われたが、それは本気の競争があればこそで、一つになった組織は喧嘩をしなくなった。分離と統合のどちらが正しいかという問いに答えはなく、統合したあとに緊張感をどう保つかこそが、この合併の残した宿題だったのだろう。

数字で見る 2表

数字で見る

図と表

トヨタ自動車:売上高と当期純利益の推移

売上高(単体)(億円)売上高(連結)(億円)
トヨタ自動車:売上高と当期純利益の推移
(億円) 売上高(単体)当期純利益(単体)売上高(連結)当期純利益(連結) 備考
1977年6月期 22,8801,167−−
1978年6月期 26,1741,162−−
1979年6月期 28,0241,020−−
1980年6月期 33,1011,435−−
1981年6月期 35,0641,327−−
1982年6月期 38,4951,415−− 1月に合併を発表。7月1日の合併の直前で、自工単体としての最後の期
1983年6月期 −−53,2362,281 合併後の最初の期。開示が連結に替わり、単体の系列とは接続しない
1984年6月期 −−59,0892,948
1985年6月期 −−67,7024,058
1986年6月期 −−66,4623,455 円高で売上高が前期から減少
1987年6月期 −−66,7542,607
出所:会社年鑑(トヨタ自動車工業/トヨタ自動車 各期)
出所:会社年鑑(トヨタ自動車工業/トヨタ自動車 各期)

合併の条件

合併の条件
科目 概要 備考
存続会社 トヨタ自動車工業 商号をトヨタ自動車株式会社に改めた
消滅会社 トヨタ自動車販売 1950年4月に自工が販売業務を移して設立した会社
合併の発表 1982年1月25日 自販株が1月4日の601円から1月20日に690円へ動き、東京証券取引所が開示を求めた
合併比率 自工1に対し自販0.75 発表の時点では未定で、1982年2月15日に決まった
合併の効力発生日 1982年7月1日 自工の新年度が始まる日に合わせた
合併新株 203,798千株 額面50円。合併後の発行済株式総数は2,418,098千株
合併による資本金の増加 10,190百万円
合併後の資本金 120,905百万円 直前は110,715百万円。1982年6月30日の1割無償増資を経た額
合併時の商号 トヨタ自動車株式会社
自工の売上高(合併直前) 38,495億円 1982年6月期・単体。経常利益3,061億円、当期純利益1,415億円
自販の売上高(合併直前) 35,902億円 1981年3月期・単体。経常利益578億円、当期純利益309億円
自販の資本金 22,521百万円 1981年3月末
自販の従業員数 5,200人 取締役23人のうち自工に勤めた経験を持つのは11人
自工の自販に対する持株比率 44.1% 1981年3月期。1976年3月期は38.9%
分離していた期間 32年 1950年4月の工販分離から1982年7月の合併まで
合併後の規模 売上高4兆円・従業員5万4000人 発表時の見込み。取締役は工販あわせて59人いた
出所:トヨタ自動車 有価証券報告書 第102期(2006年3月期)【沿革】/資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)/日本企業要覧 1981年版/日経ビジネス 1982年3月8日号(No.313)
出所:トヨタ自動車 有価証券報告書 第102期(2006年3月期)【沿革】/資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社, 1982年11月)/日本企業要覧 1981年版/日経ビジネス 1982年3月8日号(No.313)
参考文献

参考文献

参考
  • トヨタ自動車『トヨタ自動車75年史』第3部 第1章 第2節 第1項「合併決断へ」
  • トヨタ自動車『トヨタ自動車75年史』第3部 第1章 第2節 第2項「工販合併」
  • トヨタ自動車『トヨタ自動車75年史』第1部 第2章 第6節 第6項「トヨタ自動車販売の設立」
  • トヨタ自動車 編『創造限りなく : トヨタ自動車50年史・資料集』(トヨタ自動車, 1987年)
  • 日経ビジネス 1974年3月18日号(No.105)ケーススタディ
  • 日経ビジネス 1981年6月29日号(No.295)
  • 日経ビジネス 1982年2月8日号(No.311)新社長登場
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号(No.313)ドキュメント決断
  • 日経ビジネス 1995年8月7日・14日号(No.801)スペシャル
  • 日経ビジネス 1998年7月27日号(No.951)特集 激変・自動車販売
  • トヨタ自動車 有価証券報告書「第102期(2006年3月期)【沿革】」

次に読む決断

免責事項およびポリシー