ライブドア上場廃止後の子会社売却による現金化と、解散を選ばなかった法人の存続

解散か、再上場か、それとも待つのか——賠償額が確定しない会社に残された出口

時期 2006年4月
意思決定者(推定) 平松庚三 社長
論点 上場廃止後の事業整理と法人の存廃
概要
2006年4月14日の上場廃止後、株主が期待した解散と再上場をいずれも退け、子会社を順に売却して資産を現金に換えながら法人を存続させた判断。2010年5月に株式会社ライブドアの株式を譲渡し、2011年3月期の有価証券報告書では売上高の欄が「―」となった。
背景
2006年9月期は当期純損失408億円を計上した。稼ぎ頭だったMSCBの引き受けは信用を失って続けられず、残るポータル事業は一度も黒字化していない。一方で増資とMSCBによって市場から調達した資金が現金のまま残っていた。
内容
2007年4月に持株会社へ移行し、訴訟対応と株主関連費用を持株会社に残して事業会社の損益分岐点を下げた。同時に100株を1株へ併合し、9月には弥生株式会社を740億円で売却した。
含意
損害賠償請求が600億円を超え、債権者の権利が株主より強い以上、賠償額が確定するまで解散も配当もできなかった。存続の理由は事業ではなく訴訟の側にあった。
筆者の見解

畳まなかったのではなく、畳めなかった

平松庚三社長が2007年1月に語った理屈は単純であった。現金750億円に対して賠償請求が650億円あるとき、100億円を配ってよいかは誰にも答えられない。債権者の権利が株主より強い以上、賠償額が確定するまで会社を閉じることも配ることもできなかった。株主の側から見れば1000億円を超える換金資産が4年にわたり動かない状態が続いたが、それは経営陣が出口を選ばなかったのではなく、訴訟が出口を塞いでいたためだとみられる。

ただ、塞がれた4年間に会社がしたことは、買い集めた資産を順に売ることであった。弥生は約230億円が740億円になり、この一件だけは高値がついた。事業を育てて値を上げたのではなく、事件の前に買った持ち物が市況で値上がりしただけとも読める。2011年3月期に売上高の欄が「―」となったとき、手元に残っていたのは現金と訴訟であった。法人を存続させる理由が、事業の側ではなく賠償の側にしか無くなっていたといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

事件が消した収益の柱

2006年9月期の連結売上高は1379億円、当期純損失は408億円であった。営業赤字は22億円にとどまるが、これは事件前の上期に他社のMSCBディールで金融部門が稼いだためで、下期だけを取れば97億円の営業赤字になる。粉飾の疑いを抱えた会社に、まともな発行体がMSCBの引き受けを頼むことはない。前期に35億円を稼いだ収益源が、事件とともに消えた[1][2]

残ったポータル事業は、黒字化したことがなかった。広告収入は事件で一時ピークの10分の1まで落ち込み、事件の前でも月間1億円をやっと超える程度である。2006年3月16日、平松庚三社長はUSENへ提携を申し入れ、宇野康秀社長が個人でフジテレビジョン保有のライブドア株12%強を95億円で引き取った。4月14日の上場廃止も、この時点で決まっていた[3][4]

解散を求める株主と、それを塞ぐ訴訟

一方で会社には現金があった。増資とMSCBによって市場から1700億円を調達しており、株式交換で買った会社の売却分を含めれば2000億円を超える。2007年1月の時点で換金性の高い資産は1000億円以上、純資産も1600億円程度が残る見込みであった。解散価値は少なく見積もっても1株100円前後で、100円未満で取得した海外ファンドが資金回収を求めるのは自然な話である[5]

平松庚三社長はこれを退けた。フジテレビジョンからの催告書を含めて損害賠償請求は合計600億円以上あり、裁判の結果次第では雪崩を打って増えかねない。日本では債権者の権利が株主より強く、解散は裁判所が認めないという説明である。配当についても、現金750億円に対して賠償請求が650億円あるとき100億円を配ってよいかと問われて、答えられる者はいないと語った[6][7]

決断

解散も再上場も選ばない

再上場についても平松庚三社長の答えは同じであった。問題のない会社でも上場には最低2年かかり、会社としての裁判が2007年3月に終わっても旧経営陣の刑事裁判が残り、その後は民事裁判が続く。その間は審査も申請もない。株主が期待した解散と再上場という二つの出口を、いずれも現実的でないとして退けた。残ったのは、法人を存続させたまま資産を換金する道であった[8]

2007年4月、持株会社へ移行して株式会社ライブドアホールディングスへ商号を変更し、ポータル事業とネットワーク事業を新設の株式会社ライブドアへ分離した。狙いは、費用のかさむ訴訟対応と株主関連の費用を持株会社に残し、事業会社の損益分岐点を下げる点にある。同時に100株を1株へ併合し、13万人いた株主は7万人程度に減った[9][10]

売れるものから売る

2007年9月、唯一といえる収益柱の弥生株式会社を投資ファンドへ740億円で売却した。2004年末に約230億円で取得した会社であり、3倍強で手放している。資金面で急ぐ理由はなく、入札には100以上の投資ファンドや事業会社が応じた。落合紀貴執行役員によれば、ここまでとは思わなかった価格がついた。手元資金は同年3月末の800億円以上から1400億円弱へ増えている[11][12]

その現金に使い道は無かった。残るポータル事業に多額の投資は要らず、派手なことができる立場でもない。株主への返還が筋であっても、その時点で個人株主などから起こされた損害賠償請求額は670億円に上り、追加訴訟の可能性も残る。裁判の行方が見えるまで配当は難しいという判断が続いた。本社は六本木ヒルズから赤坂ツインタワーへ移り、オフィス面積を縮小している[13][14]

結果

和解、減資、そして売上高のない期

2009年1月、フジ・メディア・ホールディングスとの訴訟が和解し、310億円を支払った。フジテレビジョンは440億円で引き受けた株式を95億円で手放しており、その差額にあたる345億円を請求していた。同社のほかにも投資家から10件・421億円の訴訟を抱えている。2008年9月末の連結総資産の約7割にあたる1458億円は現預金で、有利子負債は56億円にとどまった[15][16]

2008年8月に商号を株式会社LDHへ変更し、2009年3月には資本金を1億円へ減資した。2010年5月、株式会社ライブドアと株式会社エイシスの株式を譲渡する。第16期にあたる2011年3月期の有価証券報告書では売上高の欄が「―」となり、子会社が存在しない純粋持株会社であると記載された。大株主の上位はモルガン・スタンレーMUFG証券の27.14%をはじめ証券会社が並んだ[17][18]

出典・参考
  • LDH 有価証券報告書 第16期(2011年3月期)【沿革】【主要な経営指標等の推移】【事業の内容】【大株主の状況】
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 週刊東洋経済 2006年1月28日号「東京地検特捜部が強制捜査 ライブドア錬金術、突然の破局」
  • 週刊東洋経済 2006年4月1日号「KeyPerson 宇野康秀 USEN代表取締役社長 なぜ窮地のライブドアと握手したか」
  • 週刊東洋経済 2007年1月27日号「強制捜査から1年 進むライブドア“現金化”」
  • 週刊東洋経済 2007年1月27日号「このひとに5つの質問 平松庚三 ライブドア社長 再上場も解散も非現実的 夏にヒルズから移転する」
  • 週刊東洋経済 2007年9月8日号「巨額の現金はどこへ ライブドアが弥生売却」
  • 週刊東洋経済 2009年2月7日号「フジと和解で310億円 ライブドアの台所事情」

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