この再建を、単なる不況期のリストラという言葉でくくると事実が薄くなる。SUMCOが閉じたのは、住友系がシリコン生産を開始した尼崎と、旧来の小口径を担った生野という、いずれも会社の来歴に連なる拠点であった。最高益から一転して3期にわたり純損失を重ねるなかで、田口洋一社長は創業以来の資産をたたみ、需要の中心にある300mmへ事業を絞り込む方針を選んだ。守るために古い自分を切るという、重い選別がここにあったと思われる。
もっとも、この再建が会社を上向かせたと言い切れるのは、その後の半導体需要の回復を知っているからにすぎない。撤退した太陽電池は二度と主力事業に戻らず、削減した1,300人の雇用も、閉じた尼崎・生野の拠点も取り返しはつかない。回復期の営業利益は会社計画を下回り、市場はなお過大とみていた。危機のさなかで古い拠点を畳めたのは、3系列が持ち寄った重複が誰の目にも重荷だったからなのだろう。失敗を認めて撤退する速さそのものが、次の300mm再加速の下地になったといえる。