SUMCO事業再生計画による尼崎・生野工場の閉鎖と太陽電池向けシリコンウェーハ事業からの撤退

時期 2012年2月
意思決定者(推定) 田口洋一 社長
論点 リーマン後の巨額赤字と国内生産の構造調整
概要
リーマン・ショック後の巨額赤字を受け、SUMCOは2011年2月に住友系発祥の尼崎工場を閉鎖したうえ、2012年2月に生産拠点の再編と太陽電池事業からの撤退を柱とする事業再生計画を発表した。生野工場の200mmウェーハ生産を止めて300mmと海外へ集約し、連結従業員の約15%にあたる1,300人を削減、この再編で特別損失582億円を2012年1月期に計上した。
背景
300mmウェーハの増産投資を重ねた直後にリーマン・ショックが直撃し、2010年1月期に営業損失865億円・純損失1,005億円へ転落した。単価は2007年度下期の半分を割り込み、太陽電池向けも1年で7割下落するなど、小口径と太陽電池を抱えた国内拠点網が重荷となっていた。
内容
2011年2月に尼崎工場を閉鎖したのち、2012年2月の事業再生計画で生野工場の200mm生産を2013年度に閉じて伊万里・長崎へ移し、伊万里の150mmラインもインドネシア・宮崎へ集約した。太陽電池向けからは撤退してSUMCOソーラーを清算し、1,300人を削減して2014年度までに247億円の合理化を見込んだ。
含意
撤退と集約で損益分岐点を下げたSUMCOは、2013年1月期に営業利益132億円・純利益34億円へ黒字回復した。生野工場は2013年7月に閉鎖され、尼崎に続いて小口径拠点の整理が完了した。守る事業を300mm半導体ウェーハに絞った再建が、後の300mm再加速の下地となったとみられる。
筆者の見解

古い自分を切るということ

この再建を、単なる不況期のリストラという言葉でくくると事実が薄くなる。SUMCOが閉じたのは、住友系がシリコン生産を始めた尼崎と、旧来の小口径を担った生野という、いずれも会社の来歴に連なる拠点であった。最高益から一転して3期にわたり純損失を重ねるなかで、田口洋一社長は創業以来の資産をたたみ、需要の中心にある300mmへ事業を絞り込む道を選んだ。守るために古い自分を切るという、重い選別がここにあったとみることができる。

もっとも、この再建が会社を上向かせたと言い切れるのは、その後の半導体需要の回復を知っているからにすぎない。撤退した太陽電池は二度と柱に戻らず、削った1,300人の雇用も、閉じた尼崎・生野の拠点も取り返しはつかない。回復期の営業利益は会社計画に届かず、市場はなお過大とみていた。危機のさなかで古い拠点を畳めたのは、3系列が持ち寄った重複が誰の目にも重荷だったからだとみられる。失敗を認めて畳む速さそのものが、次の300mm再加速の下地になったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

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出典・参考
  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
  • SUMCO 有価証券報告書(2010年1月期・2011年1月期・2012年1月期・2013年1月期・2014年12月期・連結)

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