SUMCO の歴史

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創業 1958年
母体 住友金属工業+三菱マテリアル
創業地 東京都港区
創業
源流は三つある。1958年12月に新日本窒素肥料が日窒電子化学を、1959年10月に三菱金属鉱業らが日本電子金属を、1960年4月に小松製作所と石塚研究所が小松電子金属を設立した。いずれも非鉄金属や素材製造を本業とする親会社が、その延長で半導体用シリコンへ参入したものである。現法人は1999年7月、住友金属工業・三菱マテリアル・三菱マテリアルシリコンの共同出資により、株式会社シリコンユナイテッドマニュファクチュアリングとして設立された。2001年10月に伊万里と米沢で300mmウェーハの量産を始めている。
決断
投資が単独で負えなくなるたび、資本を持ち寄って一社に集めてきた。1999年に住友系と三菱系が折半出資したのは、300mmへの世代交代に1拠点あたり数百億円が要り、双方とも単独では支えられなかったためである。2002年2月に住友金属工業のシリコン事業を譲り受けて三菱マテリアルシリコンと合併し、2006年10月には旧小松系のコマツ電子金属を公開買付けで子会社化して、三系列の合流を終えた。統合はすぐには利益を生まず、2004年1月期に364億円の純損失を計上している。一社に集めた事業が利益を出すまでには、300mmの需要が本格化する2006年前後までの時間を要した。
現況
小径をやめ、300mmだけを残す会社に変わりつつある。2025年12月期の売上高4,096億円は台湾1,532億円・日本795億円・中国519億円が上位を占め、海外が8割にのぼる。ただし営業利益は13億円へ落ち、親会社株主に帰属する当期純損失117億円を計上した。原料側では2023年に三菱マテリアルの半導体用多結晶シリコン事業を承継した高純度シリコンの株式を取得している。2025年2月にはSUMCO TECHXIV宮崎工場の小径ウェーハ生産を2026年末で終えると決め、特別損失58億円を計上した。2012年に尼崎・生野の小口径工場を閉鎖して300mmへ集約した判断が、13年を経て小径の全廃まで及んだ。
競合
同じシリコンウェーハでも、投資を単独で負うか分担するかで資本の形が分かれた。信越化学工業は1979年に合弁相手の持分を取得してシリコン事業を単独で決められる体制へ切り替え、300mmへも単独で先行した。住友系と三菱系は投資を分担し、親会社2社の増資と欠損てん補で資本を継ぎ足す時期を経て、2005年に商号をSUMCOへ改めて東証一部へ上場した。得たのは支配からの独立ではなく、投資判断を速く実行する調達力である。その調達力が2006年のコマツ電子金属の買収を支えた一方、装置産業の固定費を積み増して2010年1月期の純損失1,005億円も用意した。
SUMCO:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2004年1月期2025年12月期

設立ストーリー 散在した三つの源流と事業ポートフォリオ再編 (1958年〜)

住友・三菱・コマツ ── 別々に始まった三つのシリコン事業

SUMCOの源流は、1958年から1960年にかけて別々に立ち上がった三つの会社にある。1958年12月、新日本窒素肥料が半導体用高純度シリコンの製造販売を目的に日窒電子化学を設立した[1]。翌1959年10月には三菱金属鉱業等が日本電子金属を[2]、1960年4月には小松製作所と石塚研究所が共同出資[3]で小松電子金属を設立している。いずれも親会社が非鉄金属や素材製造の本業を抱え、その延長線上で半導体用シリコンに参入した形で、同じ市場に三つの資本系列が並行に足場を築いた。トランジスタから集積回路へ移る需要の立ち上がりを、当時の日本は素材系大手の分散参入で受け止めようとしていた。

  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1958年12月 新日本窒素肥料が半導体用高純度シリコンの製造・販売を目的に日窒電子化学を設立
    • [2]1959年10月 三菱金属鉱業等が半導体用高純度シリコンの製造・販売等を目的に日本電子金属を設立
    • [3]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立(SUMCO TECHXIVの前身)

住友系は1962年1月に大阪チタニウム製造尼崎工場[4]でシリコンウェーハの生産を開始し、1973年8月には住友金属工業との共同出資で九州電子金属を設立した[5]。三菱系・住友系・コマツ系は同じ半導体材料市場を別々の事業体として歩み続け、その間に商号変更や子会社化を繰り返した結果、シリコンウェーハ業界は信越化学を含めた複数プレーヤーが並立する複雑な構造になっていた。系列ごとに工場・販路・技術開発を抱える分散体制は、需要が右肩上がりの時期には各社の成長余地を生んだが、大口径化と数百億円規模の設備投資の局面に入るや、重複投資と規模不足という弱点として跳ね返る素地をつくった。国内だけで3系列が走る構図は、顧客メーカーから見ても調達窓口が分散する不利があり、1980年代までの成長局面では顕在化しなかった非効率が、1990年代の市況悪化と300mm化要請で表面化した。

  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [4]1962年1月 大阪チタニウム製造尼崎工場でシリコンウェーハの生産開始(住友系シリコン事業の起点)
    • [5]1973年8月 大阪チタニウム製造と住友金属工業の共同出資で九州電子金属を設立
  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1958年12月 新日本窒素肥料が半導体用高純度シリコンの製造・販売を目的に日窒電子化学を設立
    • [2]1959年10月 三菱金属鉱業等が半導体用高純度シリコンの製造・販売等を目的に日本電子金属を設立
    • [3]1960年4月 小松製作所と石塚研究所の共同出資で小松電子金属を設立(SUMCO TECHXIVの前身)
    • [4]1962年1月 大阪チタニウム製造尼崎工場でシリコンウェーハの生産開始(住友系シリコン事業の起点)
    • [5]1973年8月 大阪チタニウム製造と住友金属工業の共同出資で九州電子金属を設立

半導体不況の連鎖で再編が不可避になった1990年代後半

1990年代後半、シリコンウェーハ業界は世界的な需給悪化と300mm化への1拠点数百億円規模の投資要請という二重の圧力にさらされた。1998年10月、住友金属工業と住友シチックスが合併し[6]、住友系のシリコン事業はシチックス事業本部として母体に統合された。同時期、三菱マテリアルも傘下の三菱マテリアルシリコンを通じて[7]事業統合の選択肢を探っていた。半導体メモリの価格下落と米国ドットコム景気の減速が重なり、単独での設備投資継続は資本収益率の面で説明がつかなくなっていた。子会社ごとの事業を一度親会社に引き戻して再編の玉にする動きが、住友・三菱双方でほぼ同時に進行した。

  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [6]1998年10月 住友金属工業と住友シチックスが合併し、住友金属工業シチックス事業本部が発足
    • [7]三菱マテリアルシリコンは三菱マテリアル傘下(1991年10月 日本シリコンが商号変更)

当時、シリコンウェーハの需要主体はDRAMからロジックや先端品へ広がり、300mmへの世代交代が業界のテーマとなっていた。300mm化には1拠点あたり数百億円規模の投資が必要であり、住友・三菱の双方とも単独では先行投資を支え切れない状況にあった。1999年7月、両社は三菱マテリアルシリコン[8]を交えた共同出資で『シリコンユナイテッドマニュファクチュアリング』を設立し、後のSUMCO本体となる枠組みが組成された。信越化学が早期に単独で300mm化へ踏み切ったのに対し、後発の住友・三菱側は共同出資で投資を分担する道を選び、業界再編は日本勢を信越とSUMCOの2社に集約していく前哨戦となった。単独投資路線と共同出資路線という対照的な選択は、以後の開発速度や顧客ごとの供給責任の取り方にも色濃く残り、2強体制と呼ばれる構図のなかでも両社の動き方の違いを生む原点になった。

  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [8]1999年7月 住友金属工業・三菱マテリアル・三菱マテリアルシリコンの共同出資でシリコンユナイテッドマニュファクチュアリングを設立(300mmウェーハの開発・製造目的、SUMCOの直接の起点)
  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [6]1998年10月 住友金属工業と住友シチックスが合併し、住友金属工業シチックス事業本部が発足
    • [7]三菱マテリアルシリコンは三菱マテリアル傘下(1991年10月 日本シリコンが商号変更)
    • [8]1999年7月 住友金属工業・三菱マテリアル・三菱マテリアルシリコンの共同出資でシリコンユナイテッドマニュファクチュアリングを設立(300mmウェーハの開発・製造目的、SUMCOの直接の起点)

住友と三菱が組んだ新会社が3年9カ月で東証一部に駆け上がった理由

シリコンユナイテッドマニュファクチュアリングは2001年10月に300mmウェーハの生産を開始し[9]、2002年2月、住友金属工業からシチックス事業本部の営業[10]を譲り受けると同時に三菱マテリアルシリコンと合併し、商号を三菱住友シリコンに変更した。住友系・三菱系のシリコン事業はここで一体化した。2005年8月に商号を株式会社SUMCOへ統一し[11]、同年11月には東証一部に上場した[12]。事業統合から3年9カ月での上場[13]となった。複数系列の子会社を同居させて発足した会社が短期で資本市場に向かった背景には、300mm投資の次波を自前の資本調達で賄う必要と、両親会社の依存から自立した意思決定体を仕立てる狙いがあった。

  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [9]2001年10月 300mmウェーハの生産開始
    • [10]2002年2月 住友金属工業よりシチックス事業本部の営業を譲受、三菱マテリアルシリコンと合併し三菱住友シリコンに商号変更
    • [11]2005年8月 商号を株式会社SUMCOに変更
    • [12]2005年11月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [13]2002年2月の事業統合から2005年11月16日の東証一部上場まで3年9カ月。decisions/sumco-rebranding-and-tse-listing-2005.yamlの「2002年2月の事業統合から3年9カ月であった」と一致。本文の「わずか3年」は不一致

短期間で資本市場入りを果たせた背景には、当時の半導体ブームによる旺盛な300mm需要があった。FY05の売上高2,205億円から、FY07には4,749億円・営業利益1,403億円と業績は急拡大し、上場直後のSUMCOは300mm化という業界の構造変化に乗る代表銘柄として扱われた。2006年10月にはコマツ電子金属(後のSUMCO[14] TECHXIV)も子会社化し、信越化学と並ぶ日系2強体制が整った[15]。統合後わずか4年で売上を2倍以上に伸ばした成長は、300mm化に賭けた設備投資が需要ピークと重なった結果であり、上場以降のSUMCOは増産と設備投資を先行させる経営サイクルに入った。シリコンウェーハ事業は装置産業で、増産のたびに固定費を積み増す構造を抱えるため、需要が続く限り規模メリットが効く半面、市況が反転した瞬間に償却負担が業績を圧迫する性格を持つ。拡大期の追い風はこの性格を覆い隠した。

  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [14]2006年10月 コマツ電子金属(現SUMCO TECHXIV)を株式公開買付けにより子会社化
    • [15]コマツ電子金属子会社化で信越化学とSUMCOの日系2強体制が確立
  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [9]2001年10月 300mmウェーハの生産開始
    • [10]2002年2月 住友金属工業よりシチックス事業本部の営業を譲受、三菱マテリアルシリコンと合併し三菱住友シリコンに商号変更
    • [11]2005年8月 商号を株式会社SUMCOに変更
    • [12]2005年11月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [13]2002年2月の事業統合から2005年11月16日の東証一部上場まで3年9カ月。decisions/sumco-rebranding-and-tse-listing-2005.yamlの「2002年2月の事業統合から3年9カ月であった」と一致。本文の「わずか3年」は不一致
    • [14]2006年10月 コマツ電子金属(現SUMCO TECHXIV)を株式公開買付けにより子会社化
    • [15]コマツ電子金属子会社化で信越化学とSUMCOの日系2強体制が確立

リーマン後の赤字 ── 統合直後に降りかかった市況急落

業績拡大期の300mm増強投資は、半導体市況が反転すると逆回転した。FY09(2010年1月期)、SUMCOは売上高2,182億円・営業赤字▲865億円・純損失▲1,004億円という事業統合後最大の損失を計上した。リーマンショック後のメモリ市況急落と稼働率低下が重なり、減損損失を含む特別損失も嵩んだ。FY10は売上が2,769億円に戻ったものの再び純損失▲655億円、FY11も純損失▲843億円と赤字3期連続となった。上場時に最大の強みとして語られた300mm先行投資が、市況悪化の局面では償却負担と固定費圧迫をそのまま決算に映す装置に反転し、SUMCOは統合直後の拡大期とほぼ同じ時間軸で赤字期に入った。シリコンウェーハ事業が装置産業として抱える特性、すなわち稼働率が下がるほど単位原価が跳ね上がる構造が、リーマン後の需要蒸発で教科書通りに現れたかたちで、統合直後の楽観からわずか数年で財務の余裕が削られた。

社長交代も相次いだ。FY08まで重松健二郎社長が務めた後、FY09に田口洋一氏が代表取締役に就任し、FY11からは橋本眞幸氏が代表取締役となった。2011年2月には住友系シリコン事業の発祥拠点[16]である尼崎工場を閉鎖し、2013年7月には生野工場も閉鎖している[17]。300mm化への先行投資と引き換えに、創業期からの旧来拠点を切り捨てる構造調整が集中した。旧三社の系列ごとに持ち寄った拠点網を300mm優先で選別し直す作業でもあり、住友金属工業との資本・人事のつながりが残るなかで、旧拠点の段取り放棄を含む重い判断が続けざまに積み上がっていた。社長を2年単位で入れ替えながら構造調整を進める形は、上場直後の拡大期とは異なる運営スタイルを要求し、就任間もない橋本社長は赤字・拠点閉鎖・顧客再交渉を同時に抱え込む位置からスタートした。

  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]2011年2月 尼崎工場閉鎖(住友系シリコン事業の発祥拠点=1962年に生産開始した大阪チタニウム製造尼崎工場)
    • [17]2013年7月 生野工場閉鎖
  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
    • [16]2011年2月 尼崎工場閉鎖(住友系シリコン事業の発祥拠点=1962年に生産開始した大阪チタニウム製造尼崎工場)
    • [17]2013年7月 生野工場閉鎖

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SUMCOの沿革1958〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1958〜2001年散在した三つの源流と事業ポートフォリオ再編日窒電子化学を設立
小松電子金属を設立
シリコンウェーハ生産開始★★
九州電子金属を設立
三菱マテリアルシリコンに商号変更
住友シチックスに商号変更
コマツ電子金属に商号変更
コマツ電子金属が東京証券取引所二部上場
シリコンユナイテッドマニュファクチュアリング設立★★
300mmウェーハの生産開始★★
2002〜2011年三社統合と300mm賭けの代償と事業基盤の拡充住友・三菱のシリコンウェーハ事業の統合と300mm専業会社の設立

住友金属工業と三菱マテリアルは、1999年7月に三菱マテリアルシリコンを交えた共同出資でシリコンユナイテッドマニュファクチュアリングを設立し、2002年2月には住友金属工業からシリコン事業の営業を譲り受けると同時に三菱マテリアルシリコンと合併して、商号を三菱住友シリコンへ改めた。住友系と三菱系に分かれていたシリコンウェーハ事業を1社に集め、300mmウェーハの専業会社を仕立てた統合であった。

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★★★
商号をSUMCOに変更
三菱住友シリコンからSUMCOへの商号統一と東証一部への上場

住友金属工業と三菱マテリアルのシリコンウェーハ事業を1社に集めた三菱住友シリコンは、2005年8月に商号を株式会社SUMCOへ改め、同年11月16日に公募増資601億9,200万円を実施したうえで東京証券取引所市場第一部へ上場した。2002年2月の事業統合から3年9カ月であった。

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★★★
重松健二郎コマツ電子金属を子会社化★★
田口洋一初の営業赤字・純損失を計上★★
田口洋一尼崎工場閉鎖
田口洋一橋本眞幸が代表取締役に就任
2012〜2023年橋本長期政権と300mm再加速と事業基盤の拡充田口洋一事業再生計画による尼崎・生野工場の閉鎖と太陽電池向けシリコンウェーハ事業からの撤退

リーマン・ショック後の巨額赤字を受け、SUMCOは2011年2月に住友系発祥の尼崎工場を閉鎖したうえ、2012年2月に生産拠点の再編と太陽電池事業からの撤退を柱とする事業再生計画を発表した。生野工場の200mmウェーハ生産を止めて300mmと海外へ集約し、連結従業員の約15%にあたる1,300人を削減、この再編で特別損失582億円を2012年1月期に計上した。

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★★★
橋本眞幸生野工場閉鎖
阿波俊弘氏が社長に就任
高純度シリコンの株式取得
小径ウェーハ事業構造改革を発表★★
純損失に転落
出典・参考

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