SUMCO住友・三菱のシリコンウェーハ事業の統合と300mm専業会社の設立

単独では負えなくなった300mm投資を、住友金属工業と三菱マテリアルはなぜ折半出資の一社に託したか

時期 2002年2月
意思決定者(推定) 住友金属工業・三菱マテリアル 親会社2社
論点 シリコンウェーハ事業の集約と300mm量産投資の分担
概要
住友金属工業と三菱マテリアルは、1999年7月に三菱マテリアルシリコンを交えた共同出資でシリコンユナイテッドマニュファクチュアリングを設立し、2002年2月には住友金属工業からシリコン事業の営業を譲り受けると同時に三菱マテリアルシリコンと合併して、商号を三菱住友シリコンへ改めた。住友系と三菱系に分かれていたシリコンウェーハ事業を1社に集め、300mmウェーハの専業会社を仕立てた統合であった。
背景
国産のシリコンウェーハは1950年代末から住友系・三菱系・コマツ系の三つの資本系列が別々に育ち、工場・販路・技術開発を各社が抱える分散体制であった。1990年代後半に300mmへの世代交代が業界のテーマとなると、1拠点あたり数百億円規模の投資が必要になり、住友・三菱の双方とも単独では先行投資を支え切れなくなっていた。
内容
1999年7月に折半出資の共同会社を設立し、2001年10月に伊万里・米沢で300mmウェーハの量産を始めた。2002年2月には住友金属工業のシチックス事業本部の営業譲受と三菱マテリアルシリコンとの合併を同時に実行し、資本金450億円・両社折半出資の三菱住友シリコンへ両系列の事業を集約した。
含意
統合はすぐには利益を生まず、2004年1月期に364億円の純損失を計上した。300mmが収益の柱に育つのは需要が本格化する2006年前後で、この年に旧コマツ電子金属を子会社化して三つの系列の合流が完成し、信越化学工業と並ぶ日系2強体制が固まった。事業を1社に束ねる判断と、その事業が稼ぐようになるまでの時間は別物であった。
筆者の見解

束ねることと、稼ぐようになること

これを住友系と三菱系の合併とだけ読むと、要点を外す。1999年に折半で組まれた共同会社が引き受けたのは、300mmという次世代ウェーハを1社で量産する役割であった。伊万里と米沢に構えた量産工場は、社長の森禮次郎氏が月産4万枚強を10万枚へと語る立ち上げ途上にあり、その先の投資は住友・三菱のいずれも単独では負えなかった。三系列に分かれていた国産シリコンを1つに集めたのは、業界の体裁を整えるためではなく、大きくなり続ける投資を1社に背負わせるための設計であったとみることができる。

もっとも、束ねただけでは利益は生まれなかった。統合の翌々期にあたる2004年1月期、三菱住友シリコンは売上高1,664億円に対し364億円の純損失を出している。300mmが収益の柱に育つのは、累計約1,300億円を投じて需要が本格化する2006年前後で、三系列の合流も同年のコマツ電子金属子会社化を待って完成した。事業を1社に集めることと、その事業が稼ぐようになることの間には、半導体の需要の波を一つ越えるだけの距離があったといえる。束ねる判断の当否は、束ねた直後の決算ではなく、投資を続けられたその後の歳月に表れた。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

三系列に分かれて育った国産シリコンウェーハ

国産のシリコンウェーハは、1950年代末から60年代にかけて三つの資本系列が別々に立ち上げた事業として育った。住友系は1962年1月に大阪チタニウム製造の尼崎工場で生産を始め、1973年8月には住友金属工業との共同出資で九州電子金属を設けている。三菱系は1958年に発足した日窒電子化学の流れをくむ会社が1991年に三菱マテリアルシリコンへ商号を改め、コマツ系の小松電子金属もこれとは別に歩んでいた。同じ半導体材料の市場を、系列ごとに工場と販路と技術開発を抱えて分かれて進む構図が長く続いた[1]

住友側の事業は再編を重ねて母体へ近づいていった。1998年10月、住友金属工業は住友シチックスを合併し、住友系のシリコン事業を社内のシチックス事業本部として抱え直した。三菱側も傘下の三菱マテリアルシリコンを通じて事業の先行きを探っており、住友・三菱の双方で、子会社ごとに散らばった事業を一度母体に引き戻して再編の玉にする動きがほぼ同時に進んでいた。合併と営業譲渡を繰り返してきた両系列の生い立ちは、後の統合会社の性格をあらかじめ形づくっていた[2][3]

300mm世代交代と、単独では負えない投資

1990年代後半、シリコンウェーハの需要はDRAMから先端ロジックへ広がり、直径300mmへの世代交代が業界の課題になった。300mm化には1拠点あたり数百億円規模の投資が必要で、大きな技術変化のたびに世界シェアが動く領域であった。半導体市況の悪化も重なり、住友・三菱のいずれも、次世代ウェーハの量産投資を単独で支え切れる状況ではなくなっていた。設備投資の重さが、系列をまたいで事業を束ねる動機を押し上げていた[4]

親会社の懐にも余裕はなかった。住友金属工業は2004年3月末までに連結有利子負債を1兆4,900億円へ圧縮する計画を掲げ、2001・2002年度の設備投資を300億円台に絞り込んでいた。1996年度まで7年間続いた年1,000億円規模の投資からの様変わりである。自社で300mmの量産投資を続ける道が細るなか、シリコン事業を合弁会社へ移せば部門の赤字が持分法投資損益に変わり、本体の負担が軽くなるという計算も働いていた[5][6]

決断

共同出資会社の設立から事業の一本化へ

統合は共同出資会社の設立から始まった。1999年7月、住友金属工業と三菱マテリアル、子会社の三菱マテリアルシリコンが、300mmウェーハの開発と製造を目的にシリコンユナイテッドマニュファクチュアリングを設立した。出資は住友金属工業50%、三菱グループ50%の折半である。両系列がまず1つの箱を共同で用意し、そこへ事業を寄せていく段取りであった。この会社が、後のSUMCO本体となる枠組みになった[7]

事業の一本化は2002年2月にまとめて実行された。共同会社は住友金属工業からシチックス事業本部の営業を譲り受けると同時に、三菱系の三菱マテリアルシリコンを合併し、商号を三菱住友シリコンへ改めた。営業譲受と合併と商号変更を一度に重ねる形で、住友系と三菱系のシリコンウェーハ事業がここで1社に集まっている。資本金450億円、両社折半出資の会社が2月から生産を始め、事業は親会社の本体から切り離された[8][9]

300mm専業会社という設計

集めた事業の中心には300mmウェーハが据えられた。共同会社は統合に先立つ2001年10月、佐賀県の伊万里と山形県の米沢に量産工場を構え、300mmの生産を始めている。統合当時に社長を務めた森禮次郎氏は、月産4万枚強を早急に10万枚へ引き上げたいと述べ、需要の本格化を待つと語った。三系列が別々に抱えていた設備と技術を1社に寄せ、次世代ウェーハの量産に集中する専業会社として、統合後の三菱住友シリコンは設計されていた[10]

1社に束ねたことで、統合後の会社は世界の上位に並んだ。信越化学工業がシリコンウェーハで世界首位を保つ一方、住友金属と三菱マテリアルの合弁である三菱住友シリコンは世界第2位に位置し、2001年ごろから300mmシリコン単結晶の生産を本格化させていた。分散していれば規模で見劣りした国産勢が、統合によって首位を追う位置に立ったところに、事業を集めた狙いが表れている[11]

結果

遅れて表れた統合効果と、三系列の合流

1社に集めた事業は、すぐには利益を生まなかった。統合の翌々期にあたる2004年1月期、三菱住友シリコンは売上高1,664億円に対し、当期純損失364億4,700万円を計上している。300mmの量産体制はまだ立ち上がる途上で、設備投資が先行するあいだは損失が続いた。親会社2社は増資と欠損てん補で資本を継ぎ足し、統合直後の会社を支えた[12]

三つの系列の合流が形を整えたのは、統合から数年を経てからであった。300mmの量産体制を築くために2006年1月期末までに累計で約1,300億円の設備投資を積み、生産能力は月産38万枚に達している。2006年10月には株式公開買付けで旧コマツ電子金属を子会社化し、住友系・三菱系にコマツ系を加えた国産の三系列がここで1社へ収斂した。信越化学工業と並ぶ日系2強体制が固まったのは、この合流の完成を待ってのことであった[13][14]

300mmが収益の柱になるまで

統合の狙いどおり300mmが稼ぎ頭に育ったことは、後年の収益に表れた。集積回路の微細化に合わせてウェーハの均一性と平坦性を高めた300mm品は、単なる材料の域を超えた高機能材料となり、2007年1月期の売上高営業利益率は26%に達している。三系列が分かれたまま個別に投資を続けていれば、この水準の設備と技術を1社で抱えることは難しかったとみられる。統合は、量産に見合う規模を1社に持たせる作業でもあった[15]

束ねた事業が独り立ちする過程では、資本の形も変わった。三菱住友シリコンは2005年8月に商号を株式会社SUMCOへ改め、同年11月に東京証券取引所市場第一部へ上場している。親会社の増資で継ぎ足してきた資本を市場からの調達に置き換える動きで、統合で作った専業会社が、追加投資の原資を自ら取りにいく段階へ進んだことを示していた[16]

出典・参考
  • SUMCO 有価証券報告書 第27期(2025年12月期)【沿革】
  • SUMCO 有価証券報告書(2006年1月期・連結)
  • SUMCO「沿革」(企業情報) https://www.sumcosi.com/corporate/history.html
  • 週刊東洋経済 2002年5月18日号「[企業レポート]経営分析住友金属工業 鉄鋼部門利益首位でも株価50円台の“屈辱”」
  • 週刊東洋経済 2003年11月29日号「[特集]ニッポン半導体「大復活」10年好況が始まった」
  • 週刊東洋経済 2007年6月2日号「企業・産業シリコンウエハ頂上決戦荒ぶるM&Aの申し子 SUMCOの「大勝負」」

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