1912年11月、立川勇次郎ら地元有力者グループの発起により、揖斐川水系の水力電源を[1]開発して電気供給事業を営む目的で[2]、岐阜県大垣市に揖斐川電力株式会社が設立された[3][4]。揖斐川の水力資源を活用した水力発電事業に参入し、他地域より安価な電力を武器に、大日本紡績をはじめとする紡績工場を大垣周辺に誘致する戦略を取った。発電事業と電力需要創出を同時に設計する地域産業モデルで、大垣はやがて繊維産業の集積地として発展し、高度経済成長期まで続く地域経済の基盤がこの創業期に築かれた。電力会社が発電設備を保有するだけでなく、みずから地域産業の創出主体として振る舞う発想は当時としては異例で、のちのイビデンの事業設計の原型を成した。
1917年に大垣工場を新設してカーバイド製造を開始し[5]、自社発電によるコスト優位を活かした垂直統合型の事業モデルを築いた。1918年からは自家発電電力の有効利用をはかってカーバイド・合金鉄の電気炉工業を、翌1919年には炭素工業を起こし[6]、1935年からは石灰窒素の肥料も兼業して[7]、水力で得た電力を化学品へ転じた。1921年に商号を揖斐川電気へ変更し電力と化学の二本立てを掲げ、1940年1月には揖斐川電気工業へ改称した[8]。戦時中の水力発電会社の統合再編で独立企業としての電力事業継続が困難となり、1942年に五つの発電所のうち二つを電力統制会社(現中部電力)へ譲渡して創業以来の電気供給事業を廃止し[9]、東横山・広瀬・川上の三発電所(2万4000KW)[10]の自家発電を中核とする電気化学工業へ転じた。創業の原点である電力事業を時局の要請で手放した経験は、のちの事業転換を繰り返すイビデン独自の企業文化につながった。残された水力由来の自家電力と電気炉技術は、次の半世紀の化学・素材事業を支える資産となった。
1939年、大同電力取締役だった宮寺敏雄が不振の揖斐電に専務として入り、会社を化学工業[11]へ全面的に切り換えた。彼の発案で青柳工場に建設した映画カーボン用の電気トンネル[12]窯は当時の日本で唯一の優秀な設備とされ、化学会社としての基礎を成した。戦後の1949年に東京証券取引所に上場し[13]、カーバイド製造を主力事業として高度経済成長期を迎えた。1960年に建材分野に参入してメラミン化粧板の製造を開始し[14]、1965年には三井化学工業と技術・業務両面の提携[15]を結んで建材部門を重点にした体質への転進を始めた。メラミン化粧板の製造工程で必要となる精密なエッチング加工技術は、一見すると建材とは無関係な領域への寄り道のように見えたが、後年のプリント配線板参入における技術的基盤となった。一つの事業で蓄積した要素技術が次の事業領域で別の形で活用される連鎖の構造が、ここで輪郭を現した。
1982年に商号を揖斐川電気からイビデンへ変更し[16]、旧来の電力会社や化学メーカーのイメージからの転換を内外に示した。水力発電のコスト優位がカーバイド製造を可能にし、そのカーバイドの化学加工技術がメラミン化粧板事業につながり、メラミン化粧板の工程で培われたエッチング技術がやがてプリント配線板参入を支えるという技術の連鎖転用が、イビデンの事業変遷を貫く構造である。どの段階でも一見すると無関係な新事業のように見える選択が、実際には前段階の技術的な蓄積を前提としてはじめて成立していた点に、この企業の独自性が表れている。連続する事業転換は、手持ちの技術資産を別産業に投げ直す試行の積み重ねだった。
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|---|---|---|---|---|
| 1912〜1969年電力会社からカーバイドメーカーへの転身 | 揖斐川電力設立 | ★ | ||
| 西横山発電所発電開始、出力3,000KW、電力供給業開始 | ★ | |||
| 大垣工場を新設。カーバイドの製造を開始 | ★ | |||
| 商号を揖斐川電気に変更 | ★ | |||
| 東横山発電所発電開始、出力6,400KW | ★ | |||
| 河間工場を開設 | ★ | |||
| 商号を揖斐川電気工業に商号変更 | ★ | |||
| 電力事業から撤退。カーバイドに業態転換 | ★★ | |||
| 青柳工場を開設 | ★ | |||
| 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式上場(2004年9月 大阪証券取引所上場廃止) | ★ | |||
| 建材に本格参入 | ★ | |||
| 特殊炭素製品の製造・販売開始 | ★ | |||
| 衣浦工場を開設 | ★ | |||
| 1970〜2007年プラスチック基板の逆張りと半導体部材への転身 | プリント配線板に参入 | ★★ | ||
| 電子回路製品の製造・販売開始 | ★ | |||
| 断熱材セラミックファイバーの製造・販売開始 | ★ | |||
| 緊急合理化対策を発表 | ★★ | |||
| 商号をイビデンに変更 | ★ | |||
| 商号をイビデンに商号変更 | ★ | |||
| プラスチックパッケージ基板の生産開始 | ★★ | |||
| ファインセラミックス製品の製造・販売開始 | ★★ | |||
| 大垣北工場を開設 | ★ | |||
| 電子関連製品販売会社イビデンシンガポールを設立 | ★ | |||
| インテル攻略プロジェクトへの資源一点集中 1994年、遠藤優社長が半導体パッケージの開発を自らの直轄プロジェクトに据え、研究開発費のほぼ全額と選りすぐりの人材を一点に集めた経営判断。原則2年で量産化できなければ解散という期限を切り、プラスチック製パッケージでインテルへの供給をめざした。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 金融統括会社イビデンインターナショナルを設立 | ★ | |||
| 岩田義文 | 乗用車向けDPFの実用化 | ★ | ||
| 岩田義文 | 電子関連製品販売会社台湾揖斐電股分有限公司を設立 | ★ | ||
| 岩田義文 | 電子関連製品製造会社イビデンフィリピンを設立 | ★ | ||
| 岩田義文 | パッケージ基板の製造拠点を設置 | ★ | ||
| 岩田義文 | ハンガリーにてDPFの生産開始 | ★ | ||
| 2008〜2023年グローバル量産体制とAI需要取り込みへの布石 | 竹中裕紀 | 618億円を全額自己資金で投じたマレーシア新工場の建設 2008年、竹中裕紀社長のもとでイビデンがパッケージ基板・プリント配線板・自動車向けDPFの増産に累計618億円を投じ、その全額を自己資金でまかなった経営判断。最大の投資先はマレーシアの新しい生産拠点だった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 竹中裕紀 | 最終赤字87億円に転落 | ★ | ||
| 竹中裕紀 | パッケージ基板をマレーシアで量産開始 | ★ | ||
| 竹中裕紀 | DPF製造会社イビデンメキシコを設立 | ★ | ||
| 青木武志 | デンソーと資本業務提携を締結 | ★ | ||
| 青木武志 | パッケージ基板への投資再開 | ★★ | ||
| 青木武志 | 特例子会社、イビデンオアシスを設立 | ★ | ||
| 青木武志 | 触媒担体保持・シール材製造会社揖斐電精密陶瓷(蘇州)有限公司を設立 | ★ | ||
| 青木武志 | 炭素製品の加工・販売会社エルジーグラファイトの株式を取得 | ★ | ||
| 青木武志 | インテル向け復調 | ★ | ||
| 河島浩二 | 河間事業所新棟を稼働 | ★ |
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事実根拠:出所(イビデン)