テクセンドフォトマスク の歴史

更新:

創業 2021年
創業者 凸版印刷
創業地 東京都港区
祖業 半導体向け外販フォトマスクの製造
創業
2021年12月、東京都港区に資本金50百万円で株式会社トッパンフォトマスクが設立された。第1期にあたる2022年3月期は収益も費用も計上がなく、期末の人員もいない。事業が入ったのは2022年4月1日で、凸版印刷と完全子会社のトッパンエレクトロニクスプロダクツからフォトマスク事業を無対価の吸収分割で承継した。承継した資産881億円のうち722億円は子会社株式で、有形固定資産は83億円にとどまる。事業そのものの起点は1961年に凸版印刷がシリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功したことにあり、1968年3月に朝霞工場の精密部品棟へクリーンルームが完成して量産が始まった。2024年11月、商号をテクセンドフォトマスクへ変更している。
決断・現況・競合について
決断
独立は、初めから上場までの期限つきで設計された。2022年4月1日、凸版印刷からフォトマスク事業を無対価の吸収分割で承継し、インテグラルグループが49.9%を取得した。株主間契約は取締役5名のうちTOPPANグループが3名・インテグラルグループが2名を指名すると定め、特別決議を要する事項にはインテグラルグループの事前承認を求めた。50.1%を残した凸版印刷も、単独では組織再編や定款変更を決められない。一方で新株予約権の行使条件には株式譲渡の完了から5年以内に上場しなかった場合という定めが置かれ、株主間契約も上場申請書類の受理時点で自動終了すると書かれていた。2025年10月16日、公開価格3,000円で東京証券取引所プライム市場へ上場した。株主間契約と役員指名権は上場で消え、TOPPANホールディングスは46.57%の筆頭株主として残ったまま、テクセンドフォトマスクを連結子会社から持分法適用関連会社へ移した。
現況
日本でまとめて作るのではなく、顧客の隣で作っている。外販フォトマスクは回路パターンのデータを受け取ってから最先端品で2週間程度、レガシー品では2〜3日程度で納めることを求められ、製造拠点はアジア5工場・米国1工場・欧州2工場の計8か所に置かれている。2026年3月期の売上収益1,295億円は中国354億円・米国251億円・台湾188億円・韓国181億円・欧州125億円が占め、日本は102億円と8%にとどまる。営業利益は275億円、当期利益は249億円で、売上収益の10%以上を占める単独の顧客はSamsung Electronicsの150億円だけである。次はシンガポールに314億円を投じ、2026年12月の完成を見込む。
競合
競争の相手は半導体メーカーの内作と、印刷から出た同業である。フォトマスク市場は内作が63%、外販が37%に分かれ、TSMC、Intel、Samsungは自らマスクを製造してチップを作る。外販ではテクセンドフォトマスクが2024年に37.8%を占めて首位に立ち、1958年にシャドーマスクとフォトマスクでエレクトロニクスへ多角化した大日本印刷とは2005年のDuPont Photomasks買収で順位が入れ替わった。微細化でマスクの枚数は28nmの1セット50枚が14nmで70枚、7nmで90枚へ増え、内作の生産余力が足りなくなっている。内作を持つメーカーが最先端の開発へ人と設備を集中させたことが、その一歩手前のノードを外注へ押し出した。
長期業績の推移 2023〜2026年
テクセンドフォトマスク:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2023年3月期2026年3月期

創業ストーリー 証券印刷の製版技術からシリコントランジスタ用マスクへ (1900年〜)

創業ストーリー(1)

偽造防止のための有価証券印刷という設立目的

凸版印刷の前身は、1900年1月に創立された凸版印刷合資会社である[1]。内閣印刷局の出身者が相寄って起こした会社であり、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用し、偽造変造を防止できる株券、社債券、その他の有価証券を製造することを設立の目的に掲げた[2]。1908年6月4日に資本金40万円で株式会社へ改組した[3]。もっとも、有価証券だけで工場は回らなかった。民間で有価証券専門の工場を経営することは当初きわめて難しく、煙草包装紙、ポスター、レーベルなど高級印刷技術を要する一般印刷も合わせて営んだ[4]。1908年10月に内外印刷を合併して本所工場とし[5]、1918年2月にはオフセット印刷を買収した[6]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [1]凸版印刷は1900年1月創立の凸版印刷合資会社を前身とする
    • [2]設立の目的は、内閣印刷局の出身者が相寄り、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる株券、社債券、その他の有価証券を製造することにあった
    • [3]設立は1908年6月4日。1908年6月に資本金40万円をもって株式会社に改組した
    • [4]当初は民間において有価証券専門の工場として経営することが非常に困難だったため、煙草包装紙、ポスター、レーベル、その他高級印刷技術の必要な一般印刷事業も合わせ営んだ
    • [5]1908年10月、内外印刷を合併し本所工場とした
    • [6]1918年2月、オフセット印刷を買収した

株券、社債券、勧業債券、政府発行の諸債券といった有価証券の需要が増えるにつれ、設備と技術も進んだ[7]。国内で流通する紙幣を民間会社が印刷した最初の例は凸版印刷であり[8]、戦中戦後にかけても紙幣の印刷を担った[9]。工場と品目は合併で増えた。1926年4月には東京紙器を合併して小石川工場とし、紙製容器の製造を事業に加えた[10]。1927年1月に大阪工場、1938年5月に板橋工場、1943年5月に富士工場を新設し[11]、1944年7月には精版印刷を合併して大阪支社工場とし、資本金を2,250万円へ増やした[12]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [7]株券、社債券、勧業債券、政府発行の諸債券等の有価証券の需要が増大するに伴い設備と技術も漸次進歩した
    • [8]国内で流通する紙幣を民間会社において印刷したのは凸版印刷が最初である
    • [10]1926年4月、東京紙器を合併して小石川工場とし、紙製容器の製造事業を加えた
    • [11]1927年1月に大阪工場(現大淀工場)、1938年5月に板橋工場、1943年5月に富士工場を新設した
    • [12]1944年7月、精版印刷を合併して大阪支社工場とし、資本金を2,250万円に増額した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [9]戦中戦後には民間最初の紙幣印刷まで行なった
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [1]凸版印刷は1900年1月創立の凸版印刷合資会社を前身とする
    • [2]設立の目的は、内閣印刷局の出身者が相寄り、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる株券、社債券、その他の有価証券を製造することにあった
    • [3]設立は1908年6月4日。1908年6月に資本金40万円をもって株式会社に改組した
    • [4]当初は民間において有価証券専門の工場として経営することが非常に困難だったため、煙草包装紙、ポスター、レーベル、その他高級印刷技術の必要な一般印刷事業も合わせ営んだ
    • [5]1908年10月、内外印刷を合併し本所工場とした
    • [6]1918年2月、オフセット印刷を買収した
    • [7]株券、社債券、勧業債券、政府発行の諸債券等の有価証券の需要が増大するに伴い設備と技術も漸次進歩した
    • [8]国内で流通する紙幣を民間会社において印刷したのは凸版印刷が最初である
    • [10]1926年4月、東京紙器を合併して小石川工場とし、紙製容器の製造事業を加えた
    • [11]1927年1月に大阪工場(現大淀工場)、1938年5月に板橋工場、1943年5月に富士工場を新設した
    • [12]1944年7月、精版印刷を合併して大阪支社工場とし、資本金を2,250万円に増額した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [9]戦中戦後には民間最初の紙幣印刷まで行なった
創業ストーリー(2)

空襲からの復旧と製版法の工夫による特殊印刷

1945年、2度にわたる空襲によって凸版印刷は本社、本社工場、本所工場、大淀工場、小石川工場を焼失した[13]。同じ年の7月に熊本県で九州工場を新設し、あわせて小石川工場の復旧を終えた[14]。1946年8月に大淀工場、1948年4月に本社の両工場、1951年6月に本所工場が復旧し、1949年には仙台工場を開設した[15]。1953年3月には富士工場を閉鎖し、工場は8か所になった[16]。1955年時点の本社は東京都台東区二長町にあり、印刷、製本、紙器を事業とした[17]。山田三郎太社長のもと、1955年5月期の営業収入は21億円、資本金は1954年12月に3億円へ増えた[18]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [13]1945年、二次にわたる空襲により本社、本社工場および本所、大淀、小石川の各工場を焼失した
    • [14]1945年7月、熊本県に九州工場を新設し、小石川工場の復旧を完成した
    • [15]1946年8月に大淀、1948年4月に本社両工場、1951年6月に本所工場を復旧し、1949年に仙台工場を開設した
    • [16]1953年3月に富士工場を閉鎖し、八工場となった
    • [17]1955年時点の本社は東京都台東区二長町1、事業は印刷、製本、紙器
    • [18]1955年5月期に21億円の営業収入。資本金は1954年12月に3億円。社長は山田三郎太

復旧と並行して、海外技術の導入と自社研究により印刷できる素材を紙の外へ広げた[19]。ビニール印刷は1949年に印刷加工を始め、精細なグラビア印刷の方式を採用して繊細優雅な効果をあげた[20]。1951年には独自考案の三色印刷機械を作り、54インチ幅のエンドレスものを印刷した[21]。ポリエチレン印刷、アニリン印刷、チューブ成型印刷は1952年に操業を開始した[22]。1968年時点の特殊印刷は、合成樹脂、金属、布地、セロファンを対象とした[23]。証券印刷では、偽造防止の特殊印刷機械であるM・C・F機と並行して、製版法の工夫により繊細で鮮明な印刷の迅速化に成功した[24]

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [19]ビニール印刷、ポリエチレン印刷、アニリン印刷等の新規事業はいずれも海外技術の導入と自社研究の成果である
    • [20]ビニール印刷は1949年に印刷加工を開始し、精細なグラビア印刷の方式を採用して繊細優雅な効果をあげて好評を収めた
    • [21]1951年に独自考案による三色印刷機械を作成し、54吋幅のエンドレスものを印刷した
    • [22]ポリエチレン印刷、アニリン印刷、チューブ成型印刷は1952年に操業を開始した
    • [24]証券印刷では偽造防止の特殊印刷機械であるM・C・F機と並行して、製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [23]1968年時点の営業品目に合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷が挙がる

1962年8月、凸版印刷は朝霞工場を開設し、本社工場をここへ移した[25]。1964年8月には伊丹工場を開設し、大淀工場を移した[26]。1968年時点の工場は仙台、板橋、小石川、本所、朝霞、相模原、大阪、伊丹、九州の9か所を数えた[27]。本社直轄の技術研究所を設け、東京と大阪にアイデアセンターを置いた[28]。1968年5月にはトッパンビルディングとフォトスタジオを新築し、IBMの電子計算機を導入した[29]。海外へは1963年5月に香港の合弁会社、1964年6月にニューヨークの駐在員事務所で臨み、ミルプリント社、レトラセット社、トランスワールド・ディスプレイ社と技術提携を結んだ[30]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [25]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [26]1964年8月に伊丹工場を開設し、大淀工場を移転した
    • [27]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [28]本社直轄の技術研究所を設置し、東京・大阪にアイデアセンターを置いている
    • [29]1968年5月にトッパンビルディング並にフォトスタジオを新築し、IBM電子計算機を導入した
    • [30]1963年5月に香港に合弁会社を設立、1964年6月にニューヨークに駐在員事務所を開設。ミルプリント社(米国)、レトラセット社(英国)、トランスワールド・ディスプレイ社(米国)と技術提携
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [13]1945年、二次にわたる空襲により本社、本社工場および本所、大淀、小石川の各工場を焼失した
    • [14]1945年7月、熊本県に九州工場を新設し、小石川工場の復旧を完成した
    • [15]1946年8月に大淀、1948年4月に本社両工場、1951年6月に本所工場を復旧し、1949年に仙台工場を開設した
    • [16]1953年3月に富士工場を閉鎖し、八工場となった
    • [17]1955年時点の本社は東京都台東区二長町1、事業は印刷、製本、紙器
    • [18]1955年5月期に21億円の営業収入。資本金は1954年12月に3億円。社長は山田三郎太
    • [19]ビニール印刷、ポリエチレン印刷、アニリン印刷等の新規事業はいずれも海外技術の導入と自社研究の成果である
    • [20]ビニール印刷は1949年に印刷加工を開始し、精細なグラビア印刷の方式を採用して繊細優雅な効果をあげて好評を収めた
    • [21]1951年に独自考案による三色印刷機械を作成し、54吋幅のエンドレスものを印刷した
    • [22]ポリエチレン印刷、アニリン印刷、チューブ成型印刷は1952年に操業を開始した
    • [24]証券印刷では偽造防止の特殊印刷機械であるM・C・F機と並行して、製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [23]1968年時点の営業品目に合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷が挙がる
    • [25]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [26]1964年8月に伊丹工場を開設し、大淀工場を移転した
    • [27]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [28]本社直轄の技術研究所を設置し、東京・大阪にアイデアセンターを置いている
    • [29]1968年5月にトッパンビルディング並にフォトスタジオを新築し、IBM電子計算機を導入した
    • [30]1963年5月に香港に合弁会社を設立、1964年6月にニューヨークに駐在員事務所を開設。ミルプリント社(米国)、レトラセット社(英国)、トランスワールド・ディスプレイ社(米国)と技術提携
創業ストーリー(3)

トランジスタ用マスクの量産とクリーンルーム

1961年、凸版印刷はシリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功した[31]。フォトマスクは、フォトリソグラフィ技術において対象物に任意の図形を転写するための原版となるガラス基板であり、一般に写真のネガにたとえられる[32]。フォトマスクの製造には、印刷技術の1つである微細加工技術を応用した[33]。1900年の創立時に掲げた偽造変造を防ぐ有価証券の製造は彫刻を主とする高級凸版印刷術に支えられ[34]、1952年までに製版法の工夫が繊細で鮮明な印刷の迅速化に達していた[35]。試作の成功から量産の開始までには7年を要した。

  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1961年、シリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功した
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
    • [32]フォトマスクはフォトリソグラフィ技術において対象物に任意の図形(パターン)を転写するための原版となるガラス基板であり、一般に写真のネガに例えられる
    • [33]印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始した
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [34]設立の目的は、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる有価証券を製造することにあった
    • [35]証券印刷では製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した(1952年前後の記述)

1968年3月、朝霞工場の精密部品棟にクリーンルームが完成し、シリコントランジスタマスクの量産が始まった[36]。朝霞工場は1962年8月の開設にあたって本社工場を受け入れた場所であり[37]、1968年時点の凸版印刷が仙台から九州まで持つ9つの工場の1つであった[38]。当時の呼び名はトランジスタマスクであり、1968年の営業品目にフォトマスクや集積回路の語はない[39]。テクセンドフォトマスクの事業は、前身であるTOPPANグループにおいて印刷技術の1つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始したことに端を発する[40]

  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1968年3月、朝霞工場精密部品棟にクリーンルームが完成し、シリコントランジスタマスクの量産を開始した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [37]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [38]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [39]1968年時点の産業資材部門の品目はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターンと記載され、フォトマスク・IC・集積回路の語はない
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
    • [40]テクセンドフォトマスクグループの事業は、前身であるTOPPANグループにおいて印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始したことに端を発する

1968年の産業資材部門は、トランジスタマスク、メタルフィルター、シャドウマスク、電子計算機用印字リング、ガラスパターンを品目に並べ、ソノシートとシンクロシートの音響製品、家具・建材向けの化粧板用原紙、メラミン製品、給付用紙、塩ビ製品も同じ部門に含めた[41]。営業品目の総括では、凸版、活版、原色版、オフセット、凹版、グラビアの一般印刷と並んで電気化学機器部品の製造が挙がる[42]。1968年時点の凸版印刷は資本金60億円、従業員6,179名を抱え、沢村嘉一社長が経営にあたった[43]。朝霞の工場は1979年に精密機器工場と呼ばれ、精密電子部品を生産していた[44]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [41]1968年の産業資材部門はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターン、音響製品(ソノシート・シンクロシート)、化粧板用原紙(家具・建材)、メラミン製品、給付用紙、塩ビ製品
    • [42]営業品目は凸版・活版・原色版・オフセット・凹版・グラビアその他の一般印刷、合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷、立体写真印刷応用製品、製本および電気化学機器部品の製造、その他印刷関連製品の製造販売
    • [43]1968年時点の社長は沢村嘉一、資本金60億円(1968年10月1日現在)、従業員6,179名
  • 日経ビジネス 1979年1月15日号
    • [44]1979年時点で凸版印刷の朝霞市の工場は精密機器工場と呼ばれ、精密電子部品を生産していた
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1961年、シリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功した
    • [36]1968年3月、朝霞工場精密部品棟にクリーンルームが完成し、シリコントランジスタマスクの量産を開始した
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
    • [32]フォトマスクはフォトリソグラフィ技術において対象物に任意の図形(パターン)を転写するための原版となるガラス基板であり、一般に写真のネガに例えられる
    • [33]印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始した
    • [40]テクセンドフォトマスクグループの事業は、前身であるTOPPANグループにおいて印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始したことに端を発する
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [34]設立の目的は、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる有価証券を製造することにあった
    • [35]証券印刷では製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した(1952年前後の記述)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [37]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [38]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [39]1968年時点の産業資材部門の品目はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターンと記載され、フォトマスク・IC・集積回路の語はない
    • [41]1968年の産業資材部門はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターン、音響製品(ソノシート・シンクロシート)、化粧板用原紙(家具・建材)、メラミン製品、給付用紙、塩ビ製品
    • [42]営業品目は凸版・活版・原色版・オフセット・凹版・グラビアその他の一般印刷、合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷、立体写真印刷応用製品、製本および電気化学機器部品の製造、その他印刷関連製品の製造販売
    • [43]1968年時点の社長は沢村嘉一、資本金60億円(1968年10月1日現在)、従業員6,179名
  • 日経ビジネス 1979年1月15日号
    • [44]1979年時点で凸版印刷の朝霞市の工場は精密機器工場と呼ばれ、精密電子部品を生産していた

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

歴史年表 1961〜2025年

テクセンドフォトマスクの沿革1961〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1900〜1969年証券印刷の製版技術からシリコントランジスタ用マスクへ凸版印刷がシリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功★★
朝霞工場精密部品棟にクリーンルームが完成しシリコントランジスタマスクの量産を開始★★★
1970〜2004年滋賀と朝霞の工場増設、台湾合弁で組んだ量産体制滋賀精密工場が竣工
朝霞精密電子第一工場が竣工
朝霞精密電子第二工場が竣工
中華映管、揚博科技との合弁で台湾に中華凸版電子(現 中華科盛德光罩)を設立★★
朝霞第三工場が竣工
2005〜2021年DuPont Photomasks 買収から始まる米欧アジアの生産網DuPont Photomasks の株式取得を完了し米国事業を統合★★★
上海凸版光掩模(現 上海徐匯科盛徳半導体)の持分28.5%を買い取り完全子会社化
中華凸版電子(現 中華科盛德光罩)の株式を取得し子会社化
上海凸版光掩模が新工場を建設しフォトマスクの生産能力を増強
Toppan Photomasks Round Rock を設立しGlobalFoundries向けに供給開始★★
2022〜2026年インテグラルの49.9%出資と東証プライム上場二ノ宮照雄凸版印刷からのフォトマスク事業の無対価承継と、インテグラルによる49.9%取得

2022年4月1日、テクセンドフォトマスク(当時トッパンフォトマスク)は、凸版印刷とトッパンエレクトロニクスプロダクツのフォトマスク事業を無対価の吸収分割で承継し、事業を開始した。同時に凸版印刷が保有株の49.9%を独立系投資ファンドのインテグラルグループへ譲渡し、凸版印刷50.1%・インテグラル49.9%の合弁会社として発足している。

詳細を読む
★★★
二ノ宮照雄本社を汐留シティセンターに移転
二ノ宮照雄商号をテクセンドフォトマスクに変更★★
二ノ宮照雄東京証券取引所プライム市場に上場
出典・参考 5件
出典・参考
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
  • 日経ビジネス 1979年1月15日号

免責事項およびポリシー