テクセンドフォトマスク の歴史

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創業 2021年
創業者 凸版印刷
創業地 東京都港区
創業 2021年12月、東京都港区に資本金50百万円で株式会社トッパンフォトマスクが設
2021年12月、東京都港区に資本金50百万円で株式会社トッパンフォトマスクが設立された。第1期にあたる2022年3月期は収益も費用も計上がなく、期末の人員もいない。事業が入ったのは2022年4月1日で、凸版印刷と完全子会社のトッパンエレクトロニクスプロダクツからフォトマスク事業を無対価の吸収分割で承継した。承継した資産881億円のうち722億円は子会社株式で、有形固定資産は83億円にとどまる。事業そのものの起点は1961年に凸版印刷がシリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功したことにあり、1968年3月に朝霞工場の精密部品棟へクリーンルームが完成して量産が始まった。2024年11月、商号をテクセンドフォトマスクへ変更している。
決断 独立は、初めから上場までの期限つきで設計された。2022年4月1日、凸版印刷から
独立は、初めから上場までの期限つきで設計された。2022年4月1日、凸版印刷からフォトマスク事業を無対価の吸収分割で承継し、インテグラルグループが49.9%を取得した。株主間契約は取締役5名のうちTOPPANグループが3名・インテグラルグループが2名を指名すると定め、特別決議を要する事項にはインテグラルグループの事前承認を求めた。50.1%を残した凸版印刷も、単独では組織再編や定款変更を決められない。一方で新株予約権の行使条件には株式譲渡の完了から5年以内に上場しなかった場合という定めが置かれ、株主間契約も上場申請書類の受理時点で自動終了すると書かれていた。2025年10月16日、公開価格3,000円で東京証券取引所プライム市場へ上場した。株主間契約と役員指名権は上場で消え、TOPPANホールディングスは46.57%の筆頭株主として残ったまま、テクセンドフォトマスクを連結子会社から持分法適用関連会社へ移した。
現況 日本でまとめて作るのではなく、顧客の隣で作っている。外販フォトマスクは回路パター
日本でまとめて作るのではなく、顧客の隣で作っている。外販フォトマスクは回路パターンのデータを受け取ってから最先端品で2週間程度、レガシー品では2〜3日程度で納めることを求められ、製造拠点はアジア5工場・米国1工場・欧州2工場の計8か所に置かれている。2026年3月期の売上収益1,295億円は中国354億円・米国251億円・台湾188億円・韓国181億円・欧州125億円が占め、日本は102億円と8%にとどまる。営業利益は275億円、当期利益は249億円で、売上収益の10%以上を占める単独の顧客はSamsung Electronicsの150億円だけである。次はシンガポールに314億円を投じ、2026年12月の完成を見込む。
競合 競争の相手は半導体メーカーの内作と、印刷から出た同業である。フォトマスク市場は内
競争の相手は半導体メーカーの内作と、印刷から出た同業である。フォトマスク市場は内作が63%、外販が37%に分かれ、TSMC、Intel、Samsungは自らマスクを製造してチップを作る。外販ではテクセンドフォトマスクが2024年に37.8%を占めて首位に立ち、1958年にシャドーマスクとフォトマスクでエレクトロニクスへ多角化した大日本印刷とは2005年のDuPont Photomasks買収で順位が入れ替わった。微細化でマスクの枚数は28nmの1セット50枚が14nmで70枚、7nmで90枚へ増え、内作の生産余力が足りなくなっている。内作を持つメーカーが最先端の開発へ人と設備を集中させたことが、その一歩手前のノードを外注へ押し出した。
長期業績の推移 2023〜2026年
テクセンドフォトマスク:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
2023年3月期〜2026年3月期

第1章 1900年〜 証券印刷の製版技術からシリコントランジスタ用マスクへ

筆者考察y.sugiura, author

凸版印刷が1900年に掲げた設立の目的は、偽造変造を防げる株券や社債券を刷ることであった。偽造を防ぐ版とは、他人に真似のできない細かさで正確に刷れる版のことである。この一点に絞って磨かれた彫刻と製版の技術は、刷る相手が紙であるかぎり証券印刷という狭い市場にしか売れない。創立当初に民間で有価証券専門の工場を経営することが難しく、煙草包装紙やポスターやレーベルを併せて刷って工場を回したのは、そのためである。技術は市場に対して最初から過剰であり、その過剰を引き受ける買い手が現れるまでに60年を要した。1918年のオフセット印刷の買収も1926年の東京紙器の合併も、刷れる素材を広げて精度の行き場を探す動きの延長にあった。

その買い手はトランジスタであった。1959年12月にメサ型トランジスタマスクの国産化が報じられると、日本電信電話公社通信研究所から東京芝浦電気、日立製作所、三菱電機研究所、神戸工業まで試作の依頼が集まった。依頼した各社が求めたのは、印刷会社が証券のために抱えていた精度そのものである。1961年のシリコントランジスタ用フォトマスクの試作も、1968年3月の朝霞工場精密部品棟でのクリーンルーム完成と量産開始も、技術を新しく獲得した出来事ではなく、同じ技術の売り先を差し替えた出来事だった。現に1968年の営業品目にフォトマスクや集積回路の語はまだなく、トランジスタマスクは産業資材部門に並ぶ一品目にすぎない。

1900年〜偽造防止のための有価証券印刷という設立目的

凸版印刷の前身は、1900年1月に創立された凸版印刷合資会社である。内閣印刷局の出身者が相寄って起こした会社であり、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用し、偽造変造を防止できる株券、社債券、その他の有価証券を製造することを設立の目的に掲げた。1908年6月4日に資本金40万円で株式会社へ改組した。もっとも、有価証券だけで工場は回らなかった。民間で有価証券専門の工場を経営することは当初きわめて難しく、煙草包装紙、ポスター、レーベルなど高級印刷技術を要する一般印刷も合わせて営んだ。1908年10月に内外印刷を合併して本所工場とし、1918年2月にはオフセット印刷を買収した。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [1]凸版印刷は1900年1月創立の凸版印刷合資会社を前身とする
    • [2]設立の目的は、内閣印刷局の出身者が相寄り、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる株券、社債券、その他の有価証券を製造することにあった
    • [3]設立は1908年6月4日。1908年6月に資本金40万円をもって株式会社に改組した
    • [4]当初は民間において有価証券専門の工場として経営することが非常に困難だったため、煙草包装紙、ポスター、レーベル、その他高級印刷技術の必要な一般印刷事業も合わせ営んだ
    • [5]1908年10月、内外印刷を合併し本所工場とした
    • [6]1918年2月、オフセット印刷を買収した

株券、社債券、勧業債券、政府発行の諸債券といった有価証券の需要が増えるにつれ、設備と技術も進んだ。国内で流通する紙幣を民間会社が印刷した最初の例は凸版印刷であり、戦中戦後にかけても紙幣の印刷を担った。工場と品目は合併で増えた。1926年4月には東京紙器を合併して小石川工場とし、紙製容器の製造を事業に加えた。1927年1月に大阪工場、1938年5月に板橋工場、1943年5月に富士工場を新設し、1944年7月には精版印刷を合併して大阪支社工場とし、資本金を2,250万円へ増やした。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [7]株券、社債券、勧業債券、政府発行の諸債券等の有価証券の需要が増大するに伴い設備と技術も漸次進歩した
    • [8]国内で流通する紙幣を民間会社において印刷したのは凸版印刷が最初である
    • [10]1926年4月、東京紙器を合併して小石川工場とし、紙製容器の製造事業を加えた
    • [11]1927年1月に大阪工場(現大淀工場)、1938年5月に板橋工場、1943年5月に富士工場を新設した
    • [12]1944年7月、精版印刷を合併して大阪支社工場とし、資本金を2,250万円に増額した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [9]戦中戦後には民間最初の紙幣印刷まで行なった
参考文献[1]-[12]
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [1]凸版印刷は1900年1月創立の凸版印刷合資会社を前身とする
    • [2]設立の目的は、内閣印刷局の出身者が相寄り、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる株券、社債券、その他の有価証券を製造することにあった
    • [3]設立は1908年6月4日。1908年6月に資本金40万円をもって株式会社に改組した
    • [4]当初は民間において有価証券専門の工場として経営することが非常に困難だったため、煙草包装紙、ポスター、レーベル、その他高級印刷技術の必要な一般印刷事業も合わせ営んだ
    • [5]1908年10月、内外印刷を合併し本所工場とした
    • [6]1918年2月、オフセット印刷を買収した
    • [7]株券、社債券、勧業債券、政府発行の諸債券等の有価証券の需要が増大するに伴い設備と技術も漸次進歩した
    • [8]国内で流通する紙幣を民間会社において印刷したのは凸版印刷が最初である
    • [10]1926年4月、東京紙器を合併して小石川工場とし、紙製容器の製造事業を加えた
    • [11]1927年1月に大阪工場(現大淀工場)、1938年5月に板橋工場、1943年5月に富士工場を新設した
    • [12]1944年7月、精版印刷を合併して大阪支社工場とし、資本金を2,250万円に増額した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [9]戦中戦後には民間最初の紙幣印刷まで行なった

1945年〜空襲からの復旧と製版法の工夫による特殊印刷

1945年、2度にわたる空襲によって凸版印刷は本社、本社工場、本所工場、大淀工場、小石川工場を焼失した。同じ年の7月に熊本県で九州工場を新設し、あわせて小石川工場の復旧を終えた。1946年8月に大淀工場、1948年4月に本社の両工場、1951年6月に本所工場が復旧し、1949年には仙台工場を開設した。1953年3月には富士工場を閉鎖し、工場は8か所になった。1955年時点の本社は東京都台東区二長町にあり、印刷、製本、紙器を事業とした。山田三郎太社長のもと、1955年5月期の営業収入は21億円、資本金は1954年12月に3億円へ増えた。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [13]1945年、二次にわたる空襲により本社、本社工場および本所、大淀、小石川の各工場を焼失した
    • [14]1945年7月、熊本県に九州工場を新設し、小石川工場の復旧を完成した
    • [15]1946年8月に大淀、1948年4月に本社両工場、1951年6月に本所工場を復旧し、1949年に仙台工場を開設した
    • [16]1953年3月に富士工場を閉鎖し、八工場となった
    • [17]1955年時点の本社は東京都台東区二長町1、事業は印刷、製本、紙器
    • [18]1955年5月期に21億円の営業収入。資本金は1954年12月に3億円。社長は山田三郎太

復旧と並行して、海外技術の導入と自社研究により印刷できる素材を紙の外へ広げた。ビニール印刷は1949年に印刷加工を始め、精細なグラビア印刷の方式を採用して繊細優雅な効果をあげた。1951年には独自考案の三色印刷機械を作り、54インチ幅のエンドレスものを印刷した。ポリエチレン印刷、アニリン印刷、チューブ成型印刷は1952年に操業を開始した。1968年時点の特殊印刷は、合成樹脂、金属、布地、セロファンを対象とした。証券印刷では、偽造防止の特殊印刷機械であるM・C・F機と並行して、製版法の工夫により繊細で鮮明な印刷の迅速化に成功した。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [19]ビニール印刷、ポリエチレン印刷、アニリン印刷等の新規事業はいずれも海外技術の導入と自社研究の成果である
    • [20]ビニール印刷は1949年に印刷加工を開始し、精細なグラビア印刷の方式を採用して繊細優雅な効果をあげて好評を収めた
    • [21]1951年に独自考案による三色印刷機械を作成し、54吋幅のエンドレスものを印刷した
    • [22]ポリエチレン印刷、アニリン印刷、チューブ成型印刷は1952年に操業を開始した
    • [24]証券印刷では偽造防止の特殊印刷機械であるM・C・F機と並行して、製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [23]1968年時点の営業品目に合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷が挙がる

1962年8月、凸版印刷は朝霞工場を開設し、本社工場をここへ移した。1964年8月には伊丹工場を開設し、大淀工場を移した。1968年時点の工場は仙台、板橋、小石川、本所、朝霞、相模原、大阪、伊丹、九州の9か所を数えた。本社直轄の技術研究所を新設し、東京と大阪にアイデアセンターを開設した。1968年5月にはトッパンビルディングとフォトスタジオを新築し、IBMの電子計算機を導入した。海外へは1963年5月に香港の合弁会社、1964年6月にニューヨークの駐在員事務所で臨み、ミルプリント社、レトラセット社、トランスワールド・ディスプレイ社と技術提携を締結した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [25]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [26]1964年8月に伊丹工場を開設し、大淀工場を移転した
    • [27]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [28]本社直轄の技術研究所を設置し、東京・大阪にアイデアセンターを置いている
    • [29]1968年5月にトッパンビルディング並にフォトスタジオを新築し、IBM電子計算機を導入した
    • [30]1963年5月に香港に合弁会社を設立、1964年6月にニューヨークに駐在員事務所を開設。ミルプリント社(米国)、レトラセット社(英国)、トランスワールド・ディスプレイ社(米国)と技術提携
参考文献[13]-[30]
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [13]1945年、二次にわたる空襲により本社、本社工場および本所、大淀、小石川の各工場を焼失した
    • [14]1945年7月、熊本県に九州工場を新設し、小石川工場の復旧を完成した
    • [15]1946年8月に大淀、1948年4月に本社両工場、1951年6月に本所工場を復旧し、1949年に仙台工場を開設した
    • [16]1953年3月に富士工場を閉鎖し、八工場となった
    • [17]1955年時点の本社は東京都台東区二長町1、事業は印刷、製本、紙器
    • [18]1955年5月期に21億円の営業収入。資本金は1954年12月に3億円。社長は山田三郎太
    • [19]ビニール印刷、ポリエチレン印刷、アニリン印刷等の新規事業はいずれも海外技術の導入と自社研究の成果である
    • [20]ビニール印刷は1949年に印刷加工を開始し、精細なグラビア印刷の方式を採用して繊細優雅な効果をあげて好評を収めた
    • [21]1951年に独自考案による三色印刷機械を作成し、54吋幅のエンドレスものを印刷した
    • [22]ポリエチレン印刷、アニリン印刷、チューブ成型印刷は1952年に操業を開始した
    • [24]証券印刷では偽造防止の特殊印刷機械であるM・C・F機と並行して、製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [23]1968年時点の営業品目に合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷が挙がる
    • [25]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [26]1964年8月に伊丹工場を開設し、大淀工場を移転した
    • [27]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [28]本社直轄の技術研究所を設置し、東京・大阪にアイデアセンターを置いている
    • [29]1968年5月にトッパンビルディング並にフォトスタジオを新築し、IBM電子計算機を導入した
    • [30]1963年5月に香港に合弁会社を設立、1964年6月にニューヨークに駐在員事務所を開設。ミルプリント社(米国)、レトラセット社(英国)、トランスワールド・ディスプレイ社(米国)と技術提携

1959年〜トランジスタ用マスクの量産とクリーンルーム

1959年12月、メサ型トランジスタマスクの初の国産化成功が報じられると業界の反響を呼び、日本電信電話公社通信研究所、東京芝浦電気、日立製作所、三菱電機研究所、神戸工業などから試作の依頼が寄せられた。メサ型トランジスタ用のマスクは厚さ約20ミクロン、一辺数十ミリ角のニッケル薄板で、これを通してゲルマニウムに金とアルミニウムを蒸着し、電極を形づくるものであった。凸版印刷はこれを契機に本格的なマスク製造へ取り組むこととし、1960年7月に本社技術研究所が新発足した際、その第1研究部のなかに関係者を統合して実験工場を設け、実生産とともに工業化を進めた。同月26日にはメサ型トランジスタ用シャドウエバポレーションマスクの工業化試験に対し、通商産業省から鉱工業技術の工業化試験研究補助金の交付があった。この技術研究所に置かれた研究班が、精密電子部品類の製造部門が発足する基盤となった。

  • 日本経済新聞 1959年12月3日付(TOPPAN1985 凸版印刷株式会社史 所引)
    • [31]1959年12月3日付の日本経済新聞にメサ型トランジスタマスクの初の国産化成功の記事が発表されると業界の反響を呼び、日本電信電話公社通信研究所、東京芝浦電気、日立製作所、三菱電機研究所、神戸工業など各社の試作の依頼を受けた
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [32]メサ型トランジスタ用マスクは厚さ約20ミクロン、一辺数10ミリ角のニッケル薄板で、これを通してゲルマニウムに金(ベース電極)とアルミニウム(エミッタ電極)を蒸着した
    • [33]これを契機に本格的にマスク製造に取り組むこととし、1960年7月に本社技術研究所が新発足した際、その第1研究部(写真製版)のなかに関係者を統合し、実験工場を設けて実生産するとともに本格的な工業化を進めた
    • [34]1960年7月26日、「メサ型トランジスタ用シャドウエバポレーションマスクの工業化試験」に対し、通商産業省から鉱工業技術の工業化試験研究補助金の交付があった
    • [35]技術研究所にはトランジスタマスクとシャドウマスクの研究およびその工業化のための研究班が設けられ、現在の精密電子部品類の製造部門発足の基盤となった

1961年、凸版印刷はシリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功した。フォトマスクは、フォトリソグラフィ技術において対象物に任意の図形を転写するための原版となるガラス基板であり、一般に写真のネガにたとえられる。フォトマスクの製造には、印刷技術の1つである微細加工技術を応用した。1900年の創立時に掲げた偽造変造を防ぐ有価証券の製造は彫刻を主とする高級凸版印刷術に支えられ、1952年までに製版法の工夫が繊細で鮮明な印刷の迅速化に達していた。試作の成功から量産の開始までには7年を要した。

  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1961年、シリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功した
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
    • [37]フォトマスクはフォトリソグラフィ技術において対象物に任意の図形(パターン)を転写するための原版となるガラス基板であり、一般に写真のネガに例えられる
    • [38]印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始した
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [39]設立の目的は、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる有価証券を製造することにあった
    • [40]証券印刷では製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した(1952年前後の記述)

1968年3月、朝霞工場の精密部品棟にクリーンルームが完成し、シリコントランジスタマスクの量産が始まった。朝霞工場は1962年8月の開設にあたって本社工場を受け入れた場所であり、1968年時点の凸版印刷が仙台から九州まで持つ9つの工場の1つであった。当時の呼び名はトランジスタマスクであり、1968年の営業品目にフォトマスクや集積回路の語はない。テクセンドフォトマスクの事業は、前身であるTOPPANグループにおいて印刷技術の1つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始したことに端を発する。

  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [41]1968年3月、朝霞工場精密部品棟にクリーンルームが完成し、シリコントランジスタマスクの量産を開始した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [42]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [43]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [44]1968年時点の産業資材部門の品目はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターンと記載され、フォトマスク・IC・集積回路の語はない
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
    • [45]テクセンドフォトマスクグループの事業は、前身であるTOPPANグループにおいて印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始したことに端を発する

1968年の産業資材部門は、トランジスタマスク、メタルフィルター、シャドウマスク、電子計算機用印字リング、ガラスパターンを品目に並べ、ソノシートとシンクロシートの音響製品、家具・建材向けの化粧板用原紙、メラミン製品、給付用紙、塩ビ製品も同じ部門に含めた。営業品目の総括では、凸版、活版、原色版、オフセット、凹版、グラビアの一般印刷と並んで電気化学機器部品の製造が挙がる。1968年時点の凸版印刷は資本金60億円、従業員6,179名を抱え、沢村嘉一社長が経営にあたった。朝霞の工場は1979年に精密機器工場と呼ばれ、精密電子部品を生産していた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [46]1968年の産業資材部門はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターン、音響製品(ソノシート・シンクロシート)、化粧板用原紙(家具・建材)、メラミン製品、給付用紙、塩ビ製品
    • [47]営業品目は凸版・活版・原色版・オフセット・凹版・グラビアその他の一般印刷、合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷、立体写真印刷応用製品、製本および電気化学機器部品の製造、その他印刷関連製品の製造販売
    • [48]1968年時点の社長は沢村嘉一、資本金60億円(1968年10月1日現在)、従業員6,179名
  • 日経ビジネス 1979年1月15日号
    • [49]1979年時点で凸版印刷の朝霞市の工場は精密機器工場と呼ばれ、精密電子部品を生産していた
参考文献[31]-[49]
  • 日本経済新聞 1959年12月3日付(TOPPAN1985 凸版印刷株式会社史 所引)
    • [31]1959年12月3日付の日本経済新聞にメサ型トランジスタマスクの初の国産化成功の記事が発表されると業界の反響を呼び、日本電信電話公社通信研究所、東京芝浦電気、日立製作所、三菱電機研究所、神戸工業など各社の試作の依頼を受けた
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [32]メサ型トランジスタ用マスクは厚さ約20ミクロン、一辺数10ミリ角のニッケル薄板で、これを通してゲルマニウムに金(ベース電極)とアルミニウム(エミッタ電極)を蒸着した
    • [33]これを契機に本格的にマスク製造に取り組むこととし、1960年7月に本社技術研究所が新発足した際、その第1研究部(写真製版)のなかに関係者を統合し、実験工場を設けて実生産するとともに本格的な工業化を進めた
    • [34]1960年7月26日、「メサ型トランジスタ用シャドウエバポレーションマスクの工業化試験」に対し、通商産業省から鉱工業技術の工業化試験研究補助金の交付があった
    • [35]技術研究所にはトランジスタマスクとシャドウマスクの研究およびその工業化のための研究班が設けられ、現在の精密電子部品類の製造部門発足の基盤となった
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1961年、シリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功した
    • [41]1968年3月、朝霞工場精密部品棟にクリーンルームが完成し、シリコントランジスタマスクの量産を開始した
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
    • [37]フォトマスクはフォトリソグラフィ技術において対象物に任意の図形(パターン)を転写するための原版となるガラス基板であり、一般に写真のネガに例えられる
    • [38]印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始した
    • [45]テクセンドフォトマスクグループの事業は、前身であるTOPPANグループにおいて印刷テクノロジーの一つである微細加工技術を応用し、1968年にトランジスタ用のマスクの量産を開始したことに端を発する
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
    • [39]設立の目的は、彫刻を主とする高級凸版印刷術を応用して偽造変造を防止しうる有価証券を製造することにあった
    • [40]証券印刷では製版法の画期的な工夫により繊細にして鮮明な印刷の迅速化に成功した(1952年前後の記述)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
    • [42]1962年8月に朝霞工場を開設し、本社工場を移転した
    • [43]1968年時点の工場は仙台・板橋・小石川・本所・朝霞・相模原・大阪・伊丹・九州の九工場
    • [44]1968年時点の産業資材部門の品目はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターンと記載され、フォトマスク・IC・集積回路の語はない
    • [46]1968年の産業資材部門はトランジスタマスク・メタルフィルター・シャドウマスク・電子計算機用印字リング他、ガラスパターン、音響製品(ソノシート・シンクロシート)、化粧板用原紙(家具・建材)、メラミン製品、給付用紙、塩ビ製品
    • [47]営業品目は凸版・活版・原色版・オフセット・凹版・グラビアその他の一般印刷、合成樹脂・金属・布地・セロファンなどへの特殊印刷、立体写真印刷応用製品、製本および電気化学機器部品の製造、その他印刷関連製品の製造販売
    • [48]1968年時点の社長は沢村嘉一、資本金60億円(1968年10月1日現在)、従業員6,179名
  • 日経ビジネス 1979年1月15日号
    • [49]1979年時点で凸版印刷の朝霞市の工場は精密機器工場と呼ばれ、精密電子部品を生産していた

第2章 1970年〜 滋賀と朝霞に建てた精密電子工場、光学から電子ビームへの転換

筆者考察y.sugiura, author

1970年代の凸版印刷が精密電子部品で打った手は、その多くが買い物であった。多面焼付機はデービッド・ダブリュー・マン社から、クロムマスクの製造法はタウン・ラボラトリー社から、電子ビームレジストの処方はウエスタン・エレクトリック社から入れた。証券印刷の精度を60年かけて自前で磨いた会社の振る舞いとしては対照的だが、これは必然だった。半導体の集積度は数年ごとに桁を上げ、そのたびに版へ求められる精度が跳ね上がる。1975年に4キロビットだったLSI用フォトマスクは、4年後に64キロビットを扱っている。自社の研究が追いつく速度では需要に間に合わず、買える技術は買うほかに手がなかった。

買った技術を動かすには建屋が要った。0.5ミクロンの塵が一つ入るだけで結線が切れる以上、フォトマスクは既存の印刷工場の一角では作れない。1970年9月の滋賀精密工場、1974年12月の朝霞精密電子第一工場、1986年2月の同第二工場と、専用の建屋だけが増えた。ここで事業の性格が変わる。証券印刷では職人の腕が精度を決めたが、フォトマスクでは装置と環境が精度を決める。腕は使うほど上がるのに対し、装置は買った瞬間から古びるため、投資を止めた時点で精度も止まる事業になった。1997年の中華凸版電子の設立も1998年の滋賀工場フォトマスク新棟も、その止められない連なりの一部である。

LSI用フォトマスクが扱ったメモリー容量 1975年・1979年(朝霞工場)(キロビット)

4 75年 64 79年
  • 出所は TOPPAN1985 凸版印刷株式会社史、文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)。

1969年〜電卓が押し上げたLSI需要と、買って埋めた精度

マスクの需要を押し上げたのは、トランジスタではなく電子卓上計算機であった。1969年前後にアメリカで開発されたMOS型LSIの製造技術が導入され、日本ではこれを用いて電卓の小型化が一斉に進められて、LSIの需要は急速に増大した。凸版印刷が朝霞工場でLSI用マスクの試作を始めたのは1969年の秋ごろで、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まり、作図機コーディネートグラフの増設がなされた。フォトマスクは、厚さ2ミリ、一辺15センチのガラス板の表面に集積回路の超微細パターンを規則正しく描いたもので、シリコンウエハーへ回路を焼き付けるときのネガにあたる。版の精度を決めるのは描く側の能力であり、需要の立ち上がりに作図が追いつかなかった。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [50]電子卓上計算機は半導体応用技術から生まれた日本のオリジナル製品で、電卓の小型化による急激な普及と発展はトランジスタやICからLSI化を進める強力なテコとなった
    • [51]1969年前後にアメリカで開発されたMOS型といわれるLSIの製造技術が導入され、日本ではこれを用いて電卓の小型化が一斉に進められ、LSIの需要は急速に増大した
    • [52]朝霞工場でLSI用マスクの試作を始めたのは1969年の秋ごろで、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった。このためには作図機コーディネートグラフの増設がなされた
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [53]フォトマスクは厚さ2ミリ、一辺が15センチのガラス板の表面にいくつもの集積回路の超微細パターンが規則的に描画されたもので、シリコンウエハーに焼き付けるときネガの役割を果たす

1970年5月、凸版印刷は高精度のフォトレピータと呼ばれる多面焼付機をアメリカのデービッド・ダブリュー・マン社から導入設置した。同年7月にはタウン・ラボラトリー社とクロムマスクの製造法に関する技術導入契約を締結し、ICやLSI用マスクの精度向上と大量生産技術の確立をはかった。同年9月には滋賀精密工場が竣工した。1972年にはタウン・ラボラトリーズ社からシースルーマスクも導入した。クロムの代わりに酸化鉄の極薄膜を用いたもので、パターン以外の部分も透視できるため、半導体メーカーが素材の上にいくつものパターンを重ね合わせるときに正確な作業ができる長所があった。精度も量産技術も、この時期は自社の研究ではなく契約と装置の購入で埋められた。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [54]1970年5月に高精度のフォトレピータ(多面焼付機)をアメリカのデービッド・ダブリュー・マン社から導入設置した
    • [55]1970年7月にタウン・ラボラトリー社とクロムマスクの製造法に関する技術導入契約を締結し、ICやLSIマスクの精度向上と大量生産技術の確立をはかった
    • [57]1972年にタウン・ラボラトリーズ社からシースルーマスクを導入した
    • [58]シースルーマスクはクロムの代わりに酸化鉄の極薄膜を用いたもので、パターン以外の部分も透視できるマスクなので、半導体メーカーが素材の上に幾つものパターンを重ね合わせるときに楽に正確な作業ができる長所がある
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1970年9月、滋賀精密工場竣工

クロムマスクは、それまでのフォトマスクとは版の作り方が違った。従来のエマルジョンマスクが感光液を塗布したガラスの乾板でつくられたのに対し、クロムマスクは同じガラス基板にクロムや酸化クロムを蒸着し、その上にフォトレジストを塗布したものを用いた。焼き付けて現像したパターン部分を腐食してつくるため高価ではあったが、解像力が高く、画線はシャープでキズがつきにくいので寿命も長く、ハードマスクとも呼ばれた。1975年には、クロムマスクを使用するときに反射によって作業に影響する欠陥を補う低反射クロムマスクを開発し、以降これがクロムマスクの主流となった。印刷のカラー画像は1インチ平方内に数ミクロンから100ミクロンの微細な点を約12万個組み合わせて成り立つ技術であり、フォトマスクはその精度を数桁上げたものであった。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [59]クロムマスクはフォトマスクの一種でハードマスクともいわれる
    • [60]それまでのフォトマスクはエマルジョンマスクといわれ、エマルジョン感光液を塗布したガラスの乾板でつくられているのに対して、クロムマスクは基板は同じガラスであるがクロムや酸化クロムを蒸着し、その上にフォトレジスト(感光性樹脂)を塗布したものを用いる
    • [61]焼き付け、現像されたパターン部分を腐食してつくるのがクロムマスクで、高価ではあるが解像力が高く、画線はシャープでキズがつきにくいので寿命も長いことからハードマスクといわれる
    • [62]1975年、クロムマスクを使用するとき反射によって作業に影響する欠陥を補う低反射クロムマスクを開発し、以降これがクロムマスクの主流となった
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [63]印刷のカラー画像が1インチ平方内に数ミクロンから100ミクロンの微細な点を約12万個組合せて成り立つ技術を活用し、フォトマスクはその精度を数桁上げたものである
参考文献[50]-[63]
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [50]電子卓上計算機は半導体応用技術から生まれた日本のオリジナル製品で、電卓の小型化による急激な普及と発展はトランジスタやICからLSI化を進める強力なテコとなった
    • [51]1969年前後にアメリカで開発されたMOS型といわれるLSIの製造技術が導入され、日本ではこれを用いて電卓の小型化が一斉に進められ、LSIの需要は急速に増大した
    • [52]朝霞工場でLSI用マスクの試作を始めたのは1969年の秋ごろで、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった。このためには作図機コーディネートグラフの増設がなされた
    • [54]1970年5月に高精度のフォトレピータ(多面焼付機)をアメリカのデービッド・ダブリュー・マン社から導入設置した
    • [55]1970年7月にタウン・ラボラトリー社とクロムマスクの製造法に関する技術導入契約を締結し、ICやLSIマスクの精度向上と大量生産技術の確立をはかった
    • [57]1972年にタウン・ラボラトリーズ社からシースルーマスクを導入した
    • [58]シースルーマスクはクロムの代わりに酸化鉄の極薄膜を用いたもので、パターン以外の部分も透視できるマスクなので、半導体メーカーが素材の上に幾つものパターンを重ね合わせるときに楽に正確な作業ができる長所がある
    • [59]クロムマスクはフォトマスクの一種でハードマスクともいわれる
    • [60]それまでのフォトマスクはエマルジョンマスクといわれ、エマルジョン感光液を塗布したガラスの乾板でつくられているのに対して、クロムマスクは基板は同じガラスであるがクロムや酸化クロムを蒸着し、その上にフォトレジスト(感光性樹脂)を塗布したものを用いる
    • [61]焼き付け、現像されたパターン部分を腐食してつくるのがクロムマスクで、高価ではあるが解像力が高く、画線はシャープでキズがつきにくいので寿命も長いことからハードマスクといわれる
    • [62]1975年、クロムマスクを使用するとき反射によって作業に影響する欠陥を補う低反射クロムマスクを開発し、以降これがクロムマスクの主流となった
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [53]フォトマスクは厚さ2ミリ、一辺が15センチのガラス板の表面にいくつもの集積回路の超微細パターンが規則的に描画されたもので、シリコンウエハーに焼き付けるときネガの役割を果たす
    • [63]印刷のカラー画像が1インチ平方内に数ミクロンから100ミクロンの微細な点を約12万個組合せて成り立つ技術を活用し、フォトマスクはその精度を数桁上げたものである
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1970年9月、滋賀精密工場竣工

1968年〜空気と水から違う建屋と、作図の自動化

1968年、埼玉県新座市にある朝霞工場にクリーンルームが完成し、フォトマスクの生産はここへ移された。クリーンルームは、30立方センチの中に0.5ミクロン以下のゴミが1万個以下の状態になるよう常に保たれた。0.5ミクロンのゴミが一つ入り込んでも結線が切れてショートしてしまうため、精密電子部品の製造にはこの環境が欠かせなかった。1970年には純水装置も設けられ、クロムマスク、シースルーマスク、低反射クロムマスクの製造が同じ工場で行われるようになり、急増するマスクの需要に対処した。技術者は顔の半分を覆うほどのマスクをかけ、真白な無塵服を着て動き回った。印刷の工場とは、空気と水から違う建屋が要った。

  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [64]1968年、埼玉県新座市・朝霞精密電子工場にクリーンルームを完成し、本格的なフォトマスクの生産を始めた
    • [65]クリーンルームは、30立方センチの中に0.5ミクロン以下のゴミが1万個以下の状態になるよう常に保たれている
    • [66]0.5ミクロンのゴミが一つ入り込んでも結線が切れてショートしてしまう精密電子部品の製造において、クリーンルームはなくてはならない環境である
    • [68]顔の半分を覆う程のマスクをかけ、真白な無塵服を着て動き回る技術者たちがクリーンルームで働く
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [67]1968年にフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、1970年には純水装置も設けてクロムマスク、シースルーマスク、低反射クロムマスクの製造を同工場で行い、急増するマスクの需要に対処した

1974年12月、朝霞精密電子第一工場が竣工した。最新鋭設備と高性能クリーンルームを完備した建屋であった。凸版印刷におけるマスク類の製造は、1960年に技術研究所でのメサ型トランジスタ用マスクにはじまり、1968年に朝霞工場へ生産を移し、より高密度なものへと段階を上げた。1986年2月には朝霞精密電子第二工場が竣工している。精密電子部品は、印刷工場の一区画から、専用の建屋を連ねる事業へ変わった。

  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [69]1974年12月、朝霞精密電子第一工場竣工
    • [70]朝霞精密電子第一工場は最新鋭設備と高性能クリーンルームを完備した
    • [72]1986年2月、朝霞精密電子第二工場竣工
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [71]マスク類の製造は1960年に技術研究所でのメサ型トランジスタ用マスクにはじまり、1968年にはフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、より高密度なものの製造が開始されるようになった

超LSI以前のフォトマスクの製造工程は、精密なパターンの設計図を原寸の約200倍から400倍の大きさに拡大して作り上げ、それを写真製版の技術で縮小してシリコンの上に焼き付けるものであった。1973年、凸版印刷は朝霞工場にデービッド・ダブリュー・マン社の図形入力編集機と高速自動作図機を設置し、微細なパターンを自動的に作図するコンピュータ・エイデッド・デザインシステムを完成させて、デザインオートメーションの体制を確立した。1969年の試作では、作図部門が数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめるところから始めていた。拡大した原図を人が描き写す限り、パターンが微細になるほど作図の工数は増え続けた。

  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [73]超LSI以前のフォトマスクの製造工程は、まず精密なパターンの設計図を原寸の約200倍から400倍の大きさに拡大して作り上げ、それを写真製版の技術で縮小し、シリコンの上に焼き付けるというものだった
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [74]1973年、朝霞工場でデービッド・ダブリュー・マン社の図形入力編集機、高速自動作図機などを設置して、微細なパターンを自動的に作図するコンピュータ・エイデッド・デザインシステム(CADシステム)を完成し、デザインオートメーション(DA)の体制を確立した
    • [75]1969年の秋ごろに始めたLSI用マスクの試作は、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった
参考文献[64]-[75]
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [64]1968年、埼玉県新座市・朝霞精密電子工場にクリーンルームを完成し、本格的なフォトマスクの生産を始めた
    • [65]クリーンルームは、30立方センチの中に0.5ミクロン以下のゴミが1万個以下の状態になるよう常に保たれている
    • [66]0.5ミクロンのゴミが一つ入り込んでも結線が切れてショートしてしまう精密電子部品の製造において、クリーンルームはなくてはならない環境である
    • [68]顔の半分を覆う程のマスクをかけ、真白な無塵服を着て動き回る技術者たちがクリーンルームで働く
    • [73]超LSI以前のフォトマスクの製造工程は、まず精密なパターンの設計図を原寸の約200倍から400倍の大きさに拡大して作り上げ、それを写真製版の技術で縮小し、シリコンの上に焼き付けるというものだった
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [67]1968年にフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、1970年には純水装置も設けてクロムマスク、シースルーマスク、低反射クロムマスクの製造を同工場で行い、急増するマスクの需要に対処した
    • [71]マスク類の製造は1960年に技術研究所でのメサ型トランジスタ用マスクにはじまり、1968年にはフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、より高密度なものの製造が開始されるようになった
    • [74]1973年、朝霞工場でデービッド・ダブリュー・マン社の図形入力編集機、高速自動作図機などを設置して、微細なパターンを自動的に作図するコンピュータ・エイデッド・デザインシステム(CADシステム)を完成し、デザインオートメーション(DA)の体制を確立した
    • [75]1969年の秋ごろに始めたLSI用マスクの試作は、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [69]1974年12月、朝霞精密電子第一工場竣工
    • [70]朝霞精密電子第一工場は最新鋭設備と高性能クリーンルームを完備した
    • [72]1986年2月、朝霞精密電子第二工場竣工

1975年〜光学の限界と電子ビーム、生産を客先の側へ

1975年、4キロビットのLSI用フォトマスクの製造が始まった。同じころ超LSIが登場し、半導体素子の集積度はLSIよりはるかに高く、パターンも極端に微細化されて、1ミリの線幅の中に最高500本もの配線が張りめぐらされた。ここまで微細な回路を焼き付けるには、従来のシリコン板上に露光、現像、加工する写真の光学的な製造方法では限界があり、1ミクロンを切るサブミクロンの世界には通用しなかった。凸版印刷の技術陣が選んだのは電子ビームで、0.1ミクロン程度までビーム径を絞ることができるため微細な加工に適していた。写真製版の延長で伸ばしてきた精度が、ここで行き止まりに達した。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [76]1975年に4キロビットのLSI用フォトマスクの製造が開始された
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [77]昭和50年代に入ると超LSIが登場した。超LSIは半導体素子の集積度がLSIよりはるかに高く、パターンも極端に微細化されていて、1ミリの線幅の中に最高500本もの配線が張りめぐらされている
    • [78]そこまで微細な回路を焼き付けるためには、従来のシリコン板上に露光、現像、加工する写真の光学的な製造方法では限界があり、1ミクロンを切るサブミクロンの世界には通用しない
    • [79]電子ビームなら0.1ミクロン程度までビーム径を絞ることができるし、微細な加工には適しているとして、電子ビーム露光装置を使った電子ビームリソグラフィー技術の開発が進められることになった

1977年、アメリカのウエスタン・エレクトリック社との技術提携が実現した。同社は基板上に塗布する感光剤樹脂である電子ビームレジストの処方とプロセスを開発済みで、凸版印刷はその技術を得ることができた。技術陣は同社の研究部門であるベル研究所を訪れることもでき、帰国後に電子ビーム技術は飛躍的に進歩した。1978年に電子ビームレジスト評価装置、1979年5月に新鋭の電子ビーム露光装置を導入し、回路設計の段階に計算機を利用する技術を確立して、同年12月に64キロビットのLSI用フォトマスクの製造に成功した。断絶を越える手はここでも自社開発ではなく、材料の処方を外から買うことであった。

  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [80]1977年、アメリカのウエスタン・エレクトリック社と技術提携が実現した
    • [81]ウエスタン・エレクトリック社では電子ビームレジスト(基板上に塗布する感光剤樹脂)の処方とプロセスを開発済みであり、凸版印刷はその技術を得ることができた
    • [82]凸版印刷の技術陣はウエスタン・エレクトリック社の研究部門であるベル研究所を訪れることもでき、帰国後に凸版印刷の電子ビーム技術は飛躍的に進歩した
    • [83]1978年に電子ビームレジスト評価装置、1979年5月に新鋭の電子ビーム露光装置を導入し、回路設計の段階にコンピューターを利用する技術を確立して、1979年12月に64キロビットのLSI、それに継ぐ超LSI用フォトマスクの製造に成功した

1991年の時点で、テレビ用のシャドーマスクや液晶用カラーフィルターなどの精密部品事業は、凸版印刷の売上高の10%を占めるまでに育っていた。精密部品のベースは印刷技術であり、点で構成する印刷の中にさらに小さな点を打つ微細な加工技術が元になっていた。顧客となる半導体などエレクトロニクス産業の急成長に伴って、この分野には高い成長が期待された。1997年3月、凸版印刷は中華映管股份有限公司、揚博科技股份有限公司と合弁で中華凸版電子股份有限公司を設立した。1998年8月には滋賀工場でフォトマスク新棟が竣工した。版をつくる場所は、顧客の半導体工場の側へ寄せられていった。

  • 日経ビジネス 1991年10月21日号
    • [84]1991年時点で、テレビ用のシャドーマスクや液晶用カラーフィルターなど精密部品事業が凸版印刷の売上高の10%を占めるまでに育ってきた
    • [85]精密部品のベースは印刷技術であり、点で構成する印刷の中にさらに小さな点を打つ微細な加工技術が元になっている
    • [86]顧客となる半導体などエレクトロニクス産業の急成長に伴って今後とも高い成長が期待できる分野である
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [87]1997年3月、中華映管股份有限公司、揚博科技股份有限公司と合弁で中華凸版電子股份有限公司(現 中華科盛德光罩股份有限公司)を設立
    • [88]1998年8月、滋賀工場でフォトマスク新棟竣工
参考文献[76]-[88]
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [76]1975年に4キロビットのLSI用フォトマスクの製造が開始された
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [77]昭和50年代に入ると超LSIが登場した。超LSIは半導体素子の集積度がLSIよりはるかに高く、パターンも極端に微細化されていて、1ミリの線幅の中に最高500本もの配線が張りめぐらされている
    • [78]そこまで微細な回路を焼き付けるためには、従来のシリコン板上に露光、現像、加工する写真の光学的な製造方法では限界があり、1ミクロンを切るサブミクロンの世界には通用しない
    • [79]電子ビームなら0.1ミクロン程度までビーム径を絞ることができるし、微細な加工には適しているとして、電子ビーム露光装置を使った電子ビームリソグラフィー技術の開発が進められることになった
    • [80]1977年、アメリカのウエスタン・エレクトリック社と技術提携が実現した
    • [81]ウエスタン・エレクトリック社では電子ビームレジスト(基板上に塗布する感光剤樹脂)の処方とプロセスを開発済みであり、凸版印刷はその技術を得ることができた
    • [82]凸版印刷の技術陣はウエスタン・エレクトリック社の研究部門であるベル研究所を訪れることもでき、帰国後に凸版印刷の電子ビーム技術は飛躍的に進歩した
    • [83]1978年に電子ビームレジスト評価装置、1979年5月に新鋭の電子ビーム露光装置を導入し、回路設計の段階にコンピューターを利用する技術を確立して、1979年12月に64キロビットのLSI、それに継ぐ超LSI用フォトマスクの製造に成功した
  • 日経ビジネス 1991年10月21日号
    • [84]1991年時点で、テレビ用のシャドーマスクや液晶用カラーフィルターなど精密部品事業が凸版印刷の売上高の10%を占めるまでに育ってきた
    • [85]精密部品のベースは印刷技術であり、点で構成する印刷の中にさらに小さな点を打つ微細な加工技術が元になっている
    • [86]顧客となる半導体などエレクトロニクス産業の急成長に伴って今後とも高い成長が期待できる分野である
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [87]1997年3月、中華映管股份有限公司、揚博科技股份有限公司と合弁で中華凸版電子股份有限公司(現 中華科盛德光罩股份有限公司)を設立
    • [88]1998年8月、滋賀工場でフォトマスク新棟竣工

第3章 2000-2021 (気が向いたら執筆します!) DuPont Photomasks 買収から始まる米欧アジアの生産網

第4章 2022-2026 (気が向いたら執筆します!) インテグラルの49.9%出資と東証プライム上場

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歴史年表 1961〜2025年

テクセンドフォトマスクの沿革1961〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1900〜1969年証券印刷の製版技術からシリコントランジスタ用マスクへ凸版印刷がシリコントランジスタ製造用フォトマスクの試作に成功★★
朝霞工場精密部品棟にクリーンルームが完成しシリコントランジスタマスクの量産を開始★★★
1970〜1999年滋賀と朝霞に建てた精密電子工場、光学から電子ビームへの転換滋賀精密工場が竣工★
朝霞精密電子第一工場が竣工★
朝霞精密電子第二工場が竣工★
中華映管、揚博科技との合弁で台湾に中華凸版電子(現 中華科盛德光罩)を設立★★
2000〜2021年DuPont Photomasks 買収から始まる米欧アジアの生産網朝霞第三工場が竣工★
DuPont Photomasks の株式取得を完了し米国事業を統合★★★
上海凸版光掩模(現 上海徐匯科盛徳半導体)の持分28.5%を買い取り完全子会社化★
中華凸版電子(現 中華科盛德光罩)の株式を取得し子会社化★
上海凸版光掩模が新工場を建設しフォトマスクの生産能力を増強★
Toppan Photomasks Round Rock を設立しGlobalFoundries向けに供給開始★★
2022〜2026年インテグラルの49.9%出資と東証プライム上場二ノ宮照雄無対価での事業承継と、投資ファンドによる49.9%取得

2022年4月1日、テクセンドフォトマスク(当時トッパンフォトマスク)は、凸版印刷とトッパンエレクトロニクスプロダクツのフォトマスク事業を無対価の吸収分割で承継し、事業を開始した。同時に凸版印刷が保有株の49.9%を独立系投資ファンドのインテグラルグループへ譲渡し、凸版印刷50.1%・インテグラル49.9%の合弁会社として発足している。 凸版印刷の連結では、この譲渡は連結の範囲の変更を伴わない子会社株式の非支配株主への一部売却にあたり、資本剰余金が3,600百万円減っただけで損益には表れていない。売った側にとっては支配を手放さない資本取引であった。

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二ノ宮照雄本社を汐留シティセンターに移転★
二ノ宮照雄商号をテクセンドフォトマスクに変更★★
二ノ宮照雄東京証券取引所プライム市場に上場★
出典・参考 9件
出典・参考
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【事業の内容】
  • 日本経済新聞 1959年12月3日付(TOPPAN1985 凸版印刷株式会社史 所引)
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)2篇 日本会社史 45_諸工業「凸版印刷」の項
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)3編 企業の歴史「凸版印刷」の項
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
  • 日経ビジネス 1979年1月15日号
  • 日経ビジネス 1991年10月21日号

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