東京応化工業の歴史
沿革
1936年に向井繁正氏が興した東京応化研究所が起源。
1972年に国産初の半導体用ポジ型フォトレジストを実用化し、1986年に同製品で国内シェア7割強を占めた。海外顧客の量産ラインに拠点を設置し、海外比率85%の半導体材料メーカーである。
1940年〜東京応化工業の設立とフォトレジスト専業路線
- 東京市品川区に東京応化研究所を設立し精製水酸化カリウムの製造を開始[1]
- 資本金180千円をもって川崎市に東京応化工業を設立[3]
- 試薬水酸化カリウム、水酸化ナトリウムの製造を開始[1]
- オーカシール(白黒テレビ蛍光体接着剤)の製造を開始[1]
- TPR(プリント基板用フォトレジスト)の製造を開始[4]
- 相模工場を新設[1]
- OMR-81(半導体用ネガ型フォトレジスト)の製造を開始[4]
- OPM(プラズマ灰化剥離装置)を開発[1]
- OMR-83(半導体用ネガ型フォトレジスト)を開発[1]
- OFPR-2(国産初の半導体用ポジ型フォトレジスト)を開発[4]
- エラスロン(フレキソ印刷用感光性ゴム版)を開発[1]
- OAPM(世界初の全自動枚葉式プラズマエッチング装置)を開発[1]
- OEBR(超LSI用電子ビーム用フォトレジスト)を開発[1]
- OFPR-800(LSI用ポジ型フォトレジスト)を開発[1]
- オーディル(プリント基板用ドライフィルムレジスト)を開発[1]
- 宇都宮工場を新設[4]
- 化学薬品製造工場として熊谷工場を開設[1]
- フォトレジストへ資源集中
- 感光性樹脂版専用工場として山梨工場を開設[1]
- 阿蘇工場を新設[4]
- TSMR-8800(サブミクロン対応高解像度ポジ型フォトレジスト)を開発[1]
- 売上高
- 経常利益率
筆者所見
国産レジストの勝機は、性能の優劣より先に、輸入品が海を渡る日数にあった。フォトレジストは劣化しやすく、輸送に時間のかかる輸入品は不都合を生じやすかった[2]。1968年のネガ型OMR-81は、コダック一辺倒だった市場へこの弱点を突いて参入した[2]。鮮度を競争条件に置き換えた発想が、宇都宮・熊谷・阿蘇へ工場を分散させる配置の起点になった。フォトレジストへの資源集中も、顧客の近くで作る体制を前提に成り立った選択である。
- [2]日経ビジネス 1984年10月15日号「フォトレジスト深耕で巨人になった東京応化工業」
1986年〜東証二部上場と米国オレゴン工場の稼働
- フォトレジスト事業で上場[4]
- オーカ・アメリカへ統合[8]
- 御殿場工場を開設[1]
- 英国にオーカ(ユー・ケー)社を設立[1]
- TSMR-365iB(i線用高解像度ポジ型フォトレジスト)を開発[1]
- 米国オレゴン州にT.O.K.インターナショナル社を設立[1]
- 生野工場を開設[1]
- 東京証券取引所市場第一部に指定替え[1]
- TFR-B2(TFT-LCD用高感度ポジ型フォトレジスト)を開発[1]
- CFPR(LCDカラーフィルター製造用顔料分散型ネガ型フォトレジスト)を開発[1]
- オーカ・アメリカ社とT.O.K.インターナショナル社が合併[1]
- オーカ・アメリカ社オレゴン工場が稼働[1]
- 郡山工場を新設[1]
- TOKイタリア社を設立[1]
- TOKイタリア社のドライフィルムレジスト工場が竣工[1]
- オレゴン工場に海外初の半導体用フォトレジスト生産工場が竣工[1]
- 台湾東應化股份有限公司を設立[3]
- 台湾東應化社で剥離液・シンナー製造工場が竣工[1]
- TR50000(大型角基板対応スピンコーターシステム)を発売[1]
- 旧川崎工場跡地の新本社社屋へ本社移転[1]
- 売上高
筆者所見
伊藤毅雄社長の海外展開は、拡大の速さではなく、品質を別の土地で再現できるかを基準に置いた。伊藤社長は、フォトレジストが周辺の技術や環境に左右されやすく、米国へ持ち込んでも直ちには機能しないと判断していた[5]。1987年の米英の拠点設立から、オレゴンで半導体用フォトレジストの工場が竣工するまで十年を要した[6][7]。販売を先に置き生産を後で移す順序は、慎重さより品質保証の要件だった。米国法人の一本化で蓄えた手順が、1998年の台湾進出の下地になった。
- [5]証券アナリストジャーナル(1986年10月号、24巻10号)
- [6]東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
- [7]東京応化工業 公式サイト「沿革」
2001年〜ArFエキシマレーザー用フォトレジストの開発と欧州・中国への進出
- TARF-Pシリーズ(ArFエキシマレーザー用高解像度ポジ型フォトレジスト)を開発[1]
- DELSシリーズ(プラズマディスプレイ用誘電体シート)を開発[1]
- 山梨工場のエラスロン製造ラインが竣工[1]
- TELR-Pシリーズ(有機ELディスプレイ用ポジ型フォトレジスト)を開発[1]
- シンガポール駐在員事務所を開設[1]
- 郡山工場にプラズマディスプレイ関連製造材料の専用工場が竣工[1]
- 上海駐在員事務所を開設[1]
- TMMR(MEMS用永久フォトレジスト)を開発[1]
- TOK社を設立[1]
- 長春応化(常熟)社を設立[1]
- TOKヨーロッパ社(TOKYO OHKA KOGYO EUROPE B.V.)を設立[1]
- OHKA AMERICA, INC.の社名をTOKYO OHKA KOGYO AMERICA, INC.に変更[3]
- オーカ・ヨーロッパ社からTOKヨーロッパ社に営業の全部を譲渡[1]
- 相模事業所研究棟(A1棟)が完成[1]
- 相模事業所研究棟(B3棟)が完成[1]
- TWM/TWRシリーズ(シリコン貫通電極形成システム)を開発[1]
- TR165000FCシリーズ(フロートコーティングシステム)を開発[1]
- TOKアメリカ社オレゴン工場の剥離液製造棟が完成[1]
- EPLUS(太陽電池用拡散材)を開発[1]
- 郡山工場の半導体用フォトレジスト生産ラインを増設[1]
筆者所見
2000年代の東京応化は、フォトレジストを単一製品ではなく、用途を替えて売り直せる技術の束として扱った。2001年にArF用のTARF-Pシリーズと有機ELディスプレイ用のポジ型フォトレジストを開発した[1]。2003年のMEMS用永久フォトレジスト、2009年の太陽電池用拡散材も同じ系譜にある[1]。微細化の先端を追う投資と、感光技術の転用先を開拓する投資を並行させた。半導体の世代交代を待たずに次の需要先を用意する方針が、製品群の性格を決めた。
- [1]東京応化工業 公式サイト「沿革」(2026年10月)
2012年〜装置事業の譲渡とmicro resist technologyの買収
- TOK尖端材料を設立[1]
- TOK尖端材料で開発・製造および販売を開始[1]
- 台湾東應化社銅鑼(トンロー)工場を新設[1]
- 台湾東應化社銅鑼工場を増設[1]
- TAPM(機能性フィルム)を開発[1]
- AI推進部を新設[1]
- 長春応化(常熟)社上海分公司を開設[1]
- 相模事業所研究棟(B6棟、C1棟)が完成[1]
- 横浜市立大学と理論解析共同研究室を設立[1]
- ストラテジック・アライアンス部を新設[1]
- 上海帝奥科電子科技有限公司を設立[1]
- 装置事業をAIメカテックに譲渡[1]
- 相模事業所をTOK技術革新センターに商号変更[1]
- 阿蘇工場阿蘇くまもとサイトが竣工[1]
- micro resist technology GmbHを完全子会社化[1]
- TOK尖端材料の検査棟が竣工[1]
筆者所見
2012年以降の東京応化は、装置まで抱えた事業構成を見直し、材料への資源の集中を改めて選んだ。2023年に装置事業をAIメカテックへ譲渡し、2025年にはmicro resist technology GmbHを完全子会社化した[1]。譲渡と買収は向きこそ逆でも、いずれも材料を厚くする判断である。台湾の銅鑼工場と阿蘇くまもとサイトも、顧客の近くで作る1980年代以来の配置を継ぐ[1]。装置が担った顧客との接点を外へ委ねた分、材料開発の力が問われる。
- [1]東京応化工業 公式サイト「沿革」(2026年10月)