東京応化工業 の歴史

創業

1940年

創業者

向井繁正

創業地

東京都川崎市

直近売上高(2025/12)

2,370億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ苛性カリの専業から出発した東京応化が、半導体材料の専業へと転じたのか
A 東京応化はもともと、炭鉱の採掘照明用安全灯に使うアルカリ電池の電解剤となる精製水酸化カリウム(苛性カリ)の生産を目的に、向井繁正が1936年に興した東京応化研究所を起源とする(1940年10月法人化)。感光材料メーカーとしてではなく苛性カリの専業として出発し、1955年のオーカシール・1964年のTPR開発を経て、1972年に国産初の半導体用ポジ型フォトレジストを実用化した
Q なぜ1960年代以降も多角化せず半導体材料1領域への集中と国内多拠点化を続けたのか
A 多角化を避けたのは、感光材料の解像力と均質性が半導体の歩留まりを左右し、専業で積んだ知見が他社の参入を妨げる利益源になると見たためである。1967年1月の相模工場を皮切りに、半導体ユーザーの量産投資へ追随して宇都宮・熊谷・阿蘇と国内拠点を立て続けに新設した。前工程はレジスト供給を止められないため、複数拠点で同一品質を作り分ける体制が納入条件となる。この集中と密着が、材料1本で営業利益率約20%を稼ぐ収益構造を生んだ
Q なぜ2012年に先端材料を別会社のTOK尖端材料として切り出したのか
A 先端ロジック・メモリ用レジストの開発速度を上げるため、本体から切り出した専門子会社が必要だったためである。半導体の微細化が数ナノメートル単位へ進むと、純度と解像性能のわずかな差が顧客の歩留まりを決め、汎用品とは別の開発体制が要る。2012年8月に設けたTOK尖端材料が先端材料のR&Dを引き受け、韓国・台湾の微細化要求に食い込んだ。フォトレジスト世界シェア首位の同社は、いまAI・HBM向け材料で海外の先端工場を連結業績の中核に据えている

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1940年〜 創業から感光性樹脂専業の確立まで、半導体材料への一点突破

東京応化工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1940年 資本金180千円をもって川崎市に東京応化工業を設立
  2. 1962年 TPR(プリント基板用フォトレジスト)の製造を開始
  3. 1967年 相模工場を新設
  4. 1968年 OMR-81(半導体用ネガ型フォトレジスト)の製造を開始
  5. 1972年 OFPR-2(国産初の半導体用ポジ型フォトレジスト)を開発
  6. 1981年 宇都宮工場を新設
  7. 1984年 塩化ビニールなど大型市場への不参入と、フォトレジストへの資源集中 大手化学各社が相次いで参入するなかで、中堅メーカーはなぜ一分野の深耕を選んだか

川崎発の感光剤メーカーが選んだ専業の道

創業は、1936年4月に現会長の向井繁正が個人企業として設立した東京応化研究所に始まる。向井は1920年ごろ東京工業試験所に入所して応用化学の分野に携わり、当時なお発祥期にあった日本の化学工業がドイツ製品の輸入に頼っていた状況を踏まえ、自ら修得した技術を世に問いたいとの情熱のもと、輸入品の国産化に力を注いだ技術者だった。東京応化研究所は、炭鉱の採掘照明に使う安全灯のアルカリ電池用電解剤となる精製水酸化カリウム(苛性カリ)の生産を目的に設立され、1940年10月に改組・法人化し、資本金18万円をもって川崎市に東京応化工業株式会社が設立された。精製苛性カリは試薬・医薬品・化粧品にも用いられた。社名の「応化」は「応用化学」を縮めたものとされるが、当初は感光材料ではなく苛性カリという基礎化学品の専業メーカーとして歩み始めた。 [1][2][3][4][5][6]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1940年10月に東京応化工業株式会社が設立された
    • [2]設立時の資本金は18万円(180千円)だった
    • [3]設立地は川崎市である
    • [4]向井繁正は大正9年(1920年)ごろ東京工業試験所に入所し応用化学に携わった技術者で、ドイツ製品等の国産化を志していた
    • [5]東京応化研究所は昭和11年(1936年)、炭鉱採掘照明用安全灯のアルカリ電池用精製水酸化カリウム(苛性カリ)の生産を目的に向井繁正の個人企業として設立され、昭和15年10月に改組して東京応化工業株式会社となった
    • [6]精製苛性カリは試薬・医薬品・化粧品にも用いられた

創業時の1940年から敗戦の1945年までの5年間、戦時計画経済のもとで精製水酸化カリウムと精製水酸化ナトリウムはアルカリ電池の電解剤として重要視され、従来の硫酸電池より高い性能で炭鉱の採掘照明を支えた。戦後は炭鉱向けの精製苛性カリ供給を強く要請されたが、原料の塩化カリが乏しく、生産に20時間を要する工程が停電のたびに頓挫する難題を抱え、GHQに特別配線を依頼するなどして対処した。同時に、耐熱絶縁材料の塩化ナフタリンも戦後まもなく生産を再開し、占領米軍が持ち込んだC4電話機用コンデンサの充てん剤として供給したことが、後の電気・電子分野との関わりを深める契機となった。 [7][8][9]

    • [7]創業時の昭和15年(1940年)から敗戦の昭和20年(1945年)までの5年間、精製水酸化カリウム・精製水酸化ナトリウムがアルカリ電池の電解剤として重要視された
    • [8]戦後は炭鉱向け精製苛性カリの供給を要請されたが原料調達に苦労し、GHQの支援で対処した
    • [9]戦後まもなく塩化ナフタリンの生産を再開し、占領米軍のC4電話機用コンデンサ充てん剤として供給したことが電気・電子分野への関与を深める契機となった

戦後復興期には、向井が中心となって技術者を招き有機合成にも進出し、香料原料の塩化ベンジルやベンジル・アセテートとともに、後にフォトレジスト第一号の原料となる桂皮酸を開発していた。1955年5月からは、白黒テレビのブラウン管用蛍光体接着剤オーカシールの開発に成功し、ファイン・ケミカルズが直接エレクトロニクスに関与する転機となった。1964年の東京オリンピックを機にカラーテレビ需要が拡大すると、シャドウ・マスクのエッチングに使う感光剤の研究開発をNHKなど4社と進め、東京工業試験所と共同でTPR(東京応化フォトレジスト)を開発した。1967年1月には相模工場(現 TOK 技術革新センター)を新設し、量産対応と研究開発を両立する拠点を整備、創業から30年弱で感光性レジストの専業という地位を確立した。 [10][11][12][13]

    • [10]向井を中心に技術者を招へいして有機合成に進出し、香料原料とともにフォトレジスト第一号原料の桂皮酸を開発した
    • [11]昭和30年(1955年)5月から白黒テレビのブラウン管用蛍光体接着剤オーカシールを開発した
    • [12]昭和39年(1964年)の東京オリンピックを機にカラーテレビ需要が拡大し、東京工業試験所と共同でTPR(東京応化フォトレジスト)を開発した
  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1967年1月に相模工場(現 TOK 技術革新センター)を新設した
  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1940年10月に東京応化工業株式会社が設立された
    • [2]設立時の資本金は18万円(180千円)だった
    • [3]設立地は川崎市である
    • [13]1967年1月に相模工場(現 TOK 技術革新センター)を新設した
    • [4]向井繁正は大正9年(1920年)ごろ東京工業試験所に入所し応用化学に携わった技術者で、ドイツ製品等の国産化を志していた
    • [5]東京応化研究所は昭和11年(1936年)、炭鉱採掘照明用安全灯のアルカリ電池用精製水酸化カリウム(苛性カリ)の生産を目的に向井繁正の個人企業として設立され、昭和15年10月に改組して東京応化工業株式会社となった
    • [6]精製苛性カリは試薬・医薬品・化粧品にも用いられた
    • [7]創業時の昭和15年(1940年)から敗戦の昭和20年(1945年)までの5年間、精製水酸化カリウム・精製水酸化ナトリウムがアルカリ電池の電解剤として重要視された
    • [8]戦後は炭鉱向け精製苛性カリの供給を要請されたが原料調達に苦労し、GHQの支援で対処した
    • [9]戦後まもなく塩化ナフタリンの生産を再開し、占領米軍のC4電話機用コンデンサ充てん剤として供給したことが電気・電子分野への関与を深める契機となった
    • [10]向井を中心に技術者を招へいして有機合成に進出し、香料原料とともにフォトレジスト第一号原料の桂皮酸を開発した
    • [11]昭和30年(1955年)5月から白黒テレビのブラウン管用蛍光体接着剤オーカシールを開発した
    • [12]昭和39年(1964年)の東京オリンピックを機にカラーテレビ需要が拡大し、東京工業試験所と共同でTPR(東京応化フォトレジスト)を開発した

半導体量産投資に追随する首都圏内陸への多拠点化

1968年6月に東京応化は店頭公開を果たし、同年4月には新潟県内の関連子会社を整理して経営基盤を固めた。日本の半導体産業が国家プロジェクトとして VLSI(超 LSI)共同研究を立ち上げる1970年代に向け、フォトレジスト供給で先行する立ち位置を準備した時期にあたる。半導体の集積度が上がるほど、回路を焼き付ける感光材料の解像力と均質性が歩留まりを左右するため、専業メーカーの技術蓄積に対する半導体各社の依存が強まった。1981年6月には宇都宮工場を新設し、1983年9月に熊谷応化(株)を設立、同年12月には熊谷工場を新設と、首都圏内陸部に立て続けに新工場を構えて量産能力を引き上げた。 [14][15][16]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1981年6月に宇都宮工場を新設した
    • [15]1983年9月に熊谷応化(株)を設立した
    • [16]1983年12月に熊谷工場を新設した

半導体ユーザーの設備投資が増えるのに同期して生産能力を増強する動きが、第1期の後半に集中した。1984年12月には阿蘇工場を新設して九州にも生産拠点を構え、首都圏から東北・九州へ生産網を広げた。半導体の前工程は工場ごとにレジストの供給を止められないため、複数拠点で同一品質の材料を作り分けられる体制が、納入先を増やす条件となる。創業から44年で感光性レジストの専業メーカーとして全国的な供給体制を整え、半導体ユーザーの量産投資に追随できる生産規模を備えた。この生産基盤の厚みが、続く1986年7月30日の東証二部上場を支える土台となり、当時の伊藤毅雄社長は上場に際し「創立以来の展開を考えると、誠に感慨深いものがある」と創業からの歩みを振り返っている。 [17][18]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1984年12月に阿蘇工場を新設した
    • [18]1986年7月30日に東京証券取引所市場第二部へ上場し、伊藤毅雄社長が上場に際し「創立以来の展開を考えると、誠に感慨深いものがある」と振り返った
  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1981年6月に宇都宮工場を新設した
    • [15]1983年9月に熊谷応化(株)を設立した
    • [16]1983年12月に熊谷工場を新設した
    • [17]1984年12月に阿蘇工場を新設した
    • [18]1986年7月30日に東京証券取引所市場第二部へ上場し、伊藤毅雄社長が上場に際し「創立以来の展開を考えると、誠に感慨深いものがある」と振り返った

1986年〜 半導体材料専業としての海外展開と東証一部上場

  1. 1986年 東証二部への株式上場と生産能力投資の資金基盤の確保 寡占の責任か、増産の原資か——創業50年目に非公開をやめた理由
  2. 1987年 米国現地法人の設立と1992年の二社統合による北米供給体制の構築 輸出比率3%の専業メーカーは、なぜ顧客の量産ラインの隣に拠点を置いたか
  3. 1993年 オーカ・アメリカ社オレゴン工場が稼働
  4. 1994年 郡山工場を新設
  5. 1995年 TOKイタリア社を設立
  6. 1997年 オレゴン工場に海外初の半導体用フォトレジスト生産工場が竣工
  7. 1998年 台湾東應化股份有限公司を設立

二部から一部への上場が支えた生産能力投資

1986年7月の東京証券取引所市場第二部上場を起点に、東京応化工業は資本市場での評価を半導体材料の供給能力増強につなげる段階に入った。創業から46年を経ての本格上場であり、それまで利益剰余金と銀行借入に依存していた設備投資の原資に、株式市場からの調達という選択肢が加わる。1984年12月の阿蘇工場で九州生産拠点を整えた直後の上場であり、1987年6月には御殿場工場を新設して国内生産能力をさらに増強した。中堅化学メーカーから電子材料の準大手へと移る過程で、半導体ユーザーの設備投資循環に追随できる財務基盤を固めた時期にあたる。 [19][20][21]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1986年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場した
    • [20]1984年12月に阿蘇工場を新設した
    • [21]1987年6月に御殿場工場を新設した

1990年9月には東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなり、東証一部上場企業としての開示水準とガバナンス、資金調達基盤を獲得した。半導体ユーザーが国内外で量産投資を競う中、フォトレジストの安定供給には先行した生産能力投資が不可欠であり、一部市場での評価はその投資の原資を厚くした。1992年10月にはティーオーケーエンジニアリング(株)を設立して製造装置・付帯設備の内製化に踏み込み、1994年2月の郡山工場新設で東北地区の生産能力も整えた。材料の品質を左右する塗布・現像プロセスの装置まで自社で抱えることで、顧客の微細化要求への対応速度を上げる体制を作った。 [22][23][24]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1990年9月に東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなった
    • [23]1992年10月にティーオーケーエンジニアリング(株)を設立した
    • [24]1994年2月に郡山工場を新設した
  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1986年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場した
    • [20]1984年12月に阿蘇工場を新設した
    • [21]1987年6月に御殿場工場を新設した
    • [22]1990年9月に東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなった
    • [23]1992年10月にティーオーケーエンジニアリング(株)を設立した
    • [24]1994年2月に郡山工場を新設した

半導体クラスタ各地への現地供給拠点

上場で得た基盤を使い、東京応化工業は米国・台湾といった半導体産業集積地への現地拠点展開を進めた。1987年3月に OHKA AMERICA, INC. を設立して北米半導体ユーザーへの直販と試作対応体制を整え、1989年4月には TOK INTERNATIONAL INC. を設立した。1992年12月には TOK INTERNATIONAL INC. が OHKA AMERICA, INC. と合併し、社名を OHKA AMERICA, INC. に統一して米国拠点の機能を集約した。フォトレジストは出荷後の品質維持と短納期対応が競争力を左右するため、顧客の量産ラインに近い場所で在庫と技術支援を持つ体制が、北米市場での取引を支えた。 [25][26][27]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1987年3月に OHKA AMERICA, INC. を設立した
    • [26]1989年4月に TOK INTERNATIONAL INC. を設立した
    • [27]1992年12月に TOK INTERNATIONAL INC. が OHKA AMERICA, INC. と合併し社名を OHKA AMERICA, INC. に統一した

1998年1月には台湾東應化股份有限公司を設立し、半導体ファウンドリの集積地である台湾へ材料を直接供給する体制を整えた。台湾はこの時期に受託製造の世界拠点へと成長しており、ファウンドリの量産に同期した材料供給は同社の海外売上を伸ばす柱となる。2000年7月には川崎市に本社社屋が完成し、本社・研究・営業の中枢機能を集約した。2003年11月の流通センター(海老名市)新設、2006年1月の OHKA AMERICA, INC. から TOKYO OHKA KOGYO AMERICA, INC. への社名変更によるグループブランドの「東京応化」統一を経て、現在の半導体材料企業としての地理的骨格がこの第2期で整った。 [28][29][30][31]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1998年1月に台湾東應化股份有限公司を設立した
    • [29]2000年7月に川崎市に本社社屋が完成した
    • [30]2003年11月に流通センター(海老名市)を新設した
    • [31]2006年1月に OHKA AMERICA, INC. を TOKYO OHKA KOGYO AMERICA, INC. へ社名変更した
  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1987年3月に OHKA AMERICA, INC. を設立した
    • [26]1989年4月に TOK INTERNATIONAL INC. を設立した
    • [27]1992年12月に TOK INTERNATIONAL INC. が OHKA AMERICA, INC. と合併し社名を OHKA AMERICA, INC. に統一した
    • [28]1998年1月に台湾東應化股份有限公司を設立した
    • [29]2000年7月に川崎市に本社社屋が完成した
    • [30]2003年11月に流通センター(海老名市)を新設した
    • [31]2006年1月に OHKA AMERICA, INC. を TOKYO OHKA KOGYO AMERICA, INC. へ社名変更した

2006年〜 先端材料への集中と AI 需要への対応

東京応化工業の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2006年 OHKA AMERICA, INC.の社名をTOKYO OHKA KOGYO AMERICA, INC.に変更
  2. 2012年 TOK尖端材料を設立
  3. 2014年 台湾東應化社銅鑼(トンロー)工場を新設
  4. 2023年 装置事業をAIメカテックに譲渡
  5. 2024年 相模事業所をTOK技術革新センターに商号変更
  6. 2025年 micro resist technology GmbHを完全子会社化

先端材料専門子会社の設立と技術出身トップからの交代

2012年8月に TOK 尖端材料株式会社を設立し、先端ロジック/メモリ用フォトレジストの開発・量産を強化する体制を整えた。半導体微細化の進展に対応して感光性樹脂の解像力・線幅制御性を高める競争が激化する中、先端材料の R&D 専門子会社を設けて開発スピードを上げる狙いだった。経営面では阿久津郁夫氏(半導体材料の技術畑育ち、台湾現法経験者)が代表取締役社長を務め、2019年に種市順昭氏(営業・新事業開発出身の生え抜き)へ社長を交代した。阿久津氏は代表取締役会長に退き、技術出身トップから営業・事業開発出身トップへとリーダー像の比重を移している。 [32][33][34][35]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2012年8月に TOK 尖端材料株式会社を設立した
  • 東京応化工業 有価証券報告書(役員の状況)
    • [33]阿久津郁夫が代表取締役社長を務めた
    • [34]2019年に種市順昭が社長に就任した(阿久津から交代)
    • [35]阿久津郁夫は社長を退いた後に代表取締役会長へ退いた

種市社長のもとで、半導体市場の循環に左右される収益を AI 半導体・HBM 用先端材料の需要拡大で押し上げる路線が定着した。FY21売上140,055百万円、営業利益20,707百万円、純利益17,748百万円と過去最高益を更新し、コロナ禍を経た半導体特需期に同社の収益構造は一段上のレンジへ移った。FY22は売上175,434百万円・営業利益30,181百万円・純利益19,693百万円と更新を続け、FY23は半導体市況の調整で売上162,270百万円・営業利益22,706百万円・純利益12,712百万円へ一時減益した。

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2012年8月に TOK 尖端材料株式会社を設立した
  • 東京応化工業 有価証券報告書(役員の状況)
    • [33]阿久津郁夫が代表取締役社長を務めた
    • [34]2019年に種市順昭が社長に就任した(阿久津から交代)
    • [35]阿久津郁夫は社長を退いた後に代表取締役会長へ退いた

AI/HBM 向け先端材料の旺盛な需要を取り込んだ FY24-FY25

FY24は売上200,966百万円・営業利益33,090百万円・純利益22,683百万円と過去最高を更新、半導体市況の回復と AI 関連需要の本格化が始まった。FY25は売上237,029百万円(前年比+18%)・営業利益47,386百万円(前年比+43%)・純利益33,345百万円(前年比+47%)と更に過去最高を更新し、営業利益率約20%を維持する高付加価値モデルが定着した。AI/HBM 向けフォトレジスト・高純度化学薬品の旺盛な需要を取り込み、半導体ファウンドリ/IDM/OSAT 各層への材料提案で台湾・韓国・米国の半導体クラスタとの取引が連結業績の中核である。

東京応化工業は1940年の創業以来、感光性樹脂・フォトレジストという単一技術領域に特化してきた。総合化学のような多角化路線を採らず、研究開発・生産・営業をすべて半導体材料1本に集中する経営判断は、半導体市況の変動を業績に直接受けるリスクと引き換えに、技術深耕の継続性と顧客との緊密な関係を生んだ。微細化が数ナノメートル単位に進むと、材料の純度や解像性能のわずかな差が顧客の歩留まりを左右し、専業で蓄積した知見が他社との取引参入障壁となる。AI 時代の半導体微細化・先端パッケージング技術への要求が高まる中、創業85年を経た同社の専業モデルは、むしろ強みとして再評価されている。技術出身の阿久津元社長から営業・事業開発出身の種市社長への交代を経ても、この専業に徹する基本方針は変わっていない。 [36]

  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1940年の創業から85年を経た
  • 東京応化工業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]1940年の創業から85年を経た

東京応化工業の沿革1936〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
東京市品川区に東京応化研究所を設立し精製水酸化カリウムの製造を開始★★
資本金180千円をもって川崎市に東京応化工業を設立
TPR(プリント基板用フォトレジスト)の製造を開始★★
相模工場を新設
OMR-81(半導体用ネガ型フォトレジスト)の製造を開始
OFPR-2(国産初の半導体用ポジ型フォトレジスト)を開発★★
宇都宮工場を新設
塩化ビニールなど大型市場への不参入と、フォトレジストへの資源集中大手化学各社が相次いで参入するなかで、中堅メーカーはなぜ一分野の深耕を選んだか 詳細を読む★★★
阿蘇工場を新設
東証二部への株式上場と生産能力投資の資金基盤の確保寡占の責任か、増産の原資か——創業50年目に非公開をやめた理由 詳細を読む★★★
米国現地法人の設立と1992年の二社統合による北米供給体制の構築輸出比率3%の専業メーカーは、なぜ顧客の量産ラインの隣に拠点を置いたか 詳細を読む★★★
オーカ・アメリカ社オレゴン工場が稼働
郡山工場を新設
TOKイタリア社を設立
オレゴン工場に海外初の半導体用フォトレジスト生産工場が竣工
台湾東應化股份有限公司を設立
TARF-Pシリーズ(ArFエキシマレーザー用高解像度ポジ型フォトレジスト)を開発
TOK社を設立
長春応化(常熟)社を設立
TOKヨーロッパ社(TOKYO OHKA KOGYO EUROPE B.V.)を設立
OHKA AMERICA, INC.の社名をTOKYO OHKA KOGYO AMERICA, INC.に変更
TOK尖端材料を設立
阿久津郁夫台湾東應化社銅鑼(トンロー)工場を新設
種市順昭装置事業をAIメカテックに譲渡★★
種市順昭相模事業所をTOK技術革新センターに商号変更
種市順昭micro resist technology GmbHを完全子会社化★★
出典・参考

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