第2章 年〜年

テクセンドフォトマスク:滋賀・朝霞の精密電子工場と光学から電子ビームへの転換

1969年〜電卓が押し上げたLSI需要と、導入で埋めた精度

マスクの需要を押し上げたのは、トランジスタではなく電子卓上計算機であった。1969年前後にアメリカで開発されたMOS型LSIの製造技術が導入され、日本ではこれを用いて電卓の小型化が一斉に進められて、LSIの需要は急速に増大した。凸版印刷が朝霞工場でLSI用マスクの試作を始めたのは1969年の秋ごろで、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まり、作図機コーディネートグラフの増設がなされた。フォトマスクは、厚さ2ミリ、一辺15センチのガラス板の表面に集積回路の超微細パターンを規則正しく描いたもので、シリコンウエハーへ回路を焼き付けるときのネガにあたる。版の精度を決めるのは描く側の能力であり、需要の立ち上がりに作図が追いつかなかった。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [1]電子卓上計算機は半導体応用技術から生まれた日本のオリジナル製品で、電卓の小型化による急激な普及と発展はトランジスタやICからLSI化を進める強力なテコとなった
    • [2]1969年前後にアメリカで開発されたMOS型といわれるLSIの製造技術が導入され、日本ではこれを用いて電卓の小型化が一斉に進められ、LSIの需要は急速に増大した
    • [3]朝霞工場でLSI用マスクの試作を始めたのは1969年の秋ごろで、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった。このためには作図機コーディネートグラフの増設がなされた
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [4]フォトマスクは厚さ2ミリ、一辺が15センチのガラス板の表面にいくつもの集積回路の超微細パターンが規則的に描画されたもので、シリコンウエハーに焼き付けるときネガの役割を果たす

1970年5月、凸版印刷は高精度のフォトレピータと呼ばれる多面焼付機をアメリカのデービッド・ダブリュー・マン社から導入設置した。同年7月にはタウン・ラボラトリー社とクロムマスクの製造法に関する技術導入契約を締結し、ICやLSI用マスクの精度向上と大量生産技術の確立をはかった。同年9月には滋賀精密工場が竣工した。1972年にはタウン・ラボラトリーズ社からシースルーマスクも導入した。クロムの代わりに酸化鉄の極薄膜を用いたもので、パターン以外の部分も透視できるため、半導体メーカーが素材の上にいくつものパターンを重ね合わせるときに正確な作業ができる長所があった。精度も量産技術も、この時期は自社の研究ではなく契約と装置の購入で埋められた。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [5]1970年5月に高精度のフォトレピータ(多面焼付機)をアメリカのデービッド・ダブリュー・マン社から導入設置した
    • [6]1970年7月にタウン・ラボラトリー社とクロムマスクの製造法に関する技術導入契約を締結し、ICやLSIマスクの精度向上と大量生産技術の確立をはかった
    • [8]1972年にタウン・ラボラトリーズ社からシースルーマスクを導入した
    • [9]シースルーマスクはクロムの代わりに酸化鉄の極薄膜を用いたもので、パターン以外の部分も透視できるマスクなので、半導体メーカーが素材の上に幾つものパターンを重ね合わせるときに楽に正確な作業ができる長所がある
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1970年9月、滋賀精密工場竣工

クロムマスクは、それまでのフォトマスクとは版の作り方が違った。従来のエマルジョンマスクが感光液を塗布したガラスの乾板でつくられたのに対し、クロムマスクは同じガラス基板にクロムや酸化クロムを蒸着し、その上にフォトレジストを塗布したものを用いた。焼き付けて現像したパターン部分を腐食してつくるため高価ではあったが、解像力が高く、画線はシャープでキズがつきにくいので寿命も長く、ハードマスクとも呼ばれた。1975年には、クロムマスクを使用するときに反射によって作業に影響する欠陥を補う低反射クロムマスクを開発し、以降これがクロムマスクの主流となった。印刷のカラー画像は1インチ平方内に数ミクロンから100ミクロンの微細な点を約12万個組み合わせて成り立つ技術であり、フォトマスクはその精度を数桁上げたものであった。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [10]クロムマスクはフォトマスクの一種でハードマスクともいわれる
    • [11]それまでのフォトマスクはエマルジョンマスクといわれ、エマルジョン感光液を塗布したガラスの乾板でつくられているのに対して、クロムマスクは基板は同じガラスであるがクロムや酸化クロムを蒸着し、その上にフォトレジスト(感光性樹脂)を塗布したものを用いる
    • [12]焼き付け、現像されたパターン部分を腐食してつくるのがクロムマスクで、高価ではあるが解像力が高く、画線はシャープでキズがつきにくいので寿命も長いことからハードマスクといわれる
    • [13]1975年、クロムマスクを使用するとき反射によって作業に影響する欠陥を補う低反射クロムマスクを開発し、以降これがクロムマスクの主流となった
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [14]印刷のカラー画像が1インチ平方内に数ミクロンから100ミクロンの微細な点を約12万個組合せて成り立つ技術を活用し、フォトマスクはその精度を数桁上げたものである
参考文献[1]-[14]
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [1]電子卓上計算機は半導体応用技術から生まれた日本のオリジナル製品で、電卓の小型化による急激な普及と発展はトランジスタやICからLSI化を進める強力なテコとなった
    • [2]1969年前後にアメリカで開発されたMOS型といわれるLSIの製造技術が導入され、日本ではこれを用いて電卓の小型化が一斉に進められ、LSIの需要は急速に増大した
    • [3]朝霞工場でLSI用マスクの試作を始めたのは1969年の秋ごろで、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった。このためには作図機コーディネートグラフの増設がなされた
    • [5]1970年5月に高精度のフォトレピータ(多面焼付機)をアメリカのデービッド・ダブリュー・マン社から導入設置した
    • [6]1970年7月にタウン・ラボラトリー社とクロムマスクの製造法に関する技術導入契約を締結し、ICやLSIマスクの精度向上と大量生産技術の確立をはかった
    • [8]1972年にタウン・ラボラトリーズ社からシースルーマスクを導入した
    • [9]シースルーマスクはクロムの代わりに酸化鉄の極薄膜を用いたもので、パターン以外の部分も透視できるマスクなので、半導体メーカーが素材の上に幾つものパターンを重ね合わせるときに楽に正確な作業ができる長所がある
    • [10]クロムマスクはフォトマスクの一種でハードマスクともいわれる
    • [11]それまでのフォトマスクはエマルジョンマスクといわれ、エマルジョン感光液を塗布したガラスの乾板でつくられているのに対して、クロムマスクは基板は同じガラスであるがクロムや酸化クロムを蒸着し、その上にフォトレジスト(感光性樹脂)を塗布したものを用いる
    • [12]焼き付け、現像されたパターン部分を腐食してつくるのがクロムマスクで、高価ではあるが解像力が高く、画線はシャープでキズがつきにくいので寿命も長いことからハードマスクといわれる
    • [13]1975年、クロムマスクを使用するとき反射によって作業に影響する欠陥を補う低反射クロムマスクを開発し、以降これがクロムマスクの主流となった
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [4]フォトマスクは厚さ2ミリ、一辺が15センチのガラス板の表面にいくつもの集積回路の超微細パターンが規則的に描画されたもので、シリコンウエハーに焼き付けるときネガの役割を果たす
    • [14]印刷のカラー画像が1インチ平方内に数ミクロンから100ミクロンの微細な点を約12万個組合せて成り立つ技術を活用し、フォトマスクはその精度を数桁上げたものである
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1970年9月、滋賀精密工場竣工

1968年〜空気と水から違う建屋と、作図の自動化

1968年、埼玉県新座市にある朝霞工場にクリーンルームが完成し、フォトマスクの生産はここへ移された。クリーンルームは、30立方センチの中に0.5ミクロン以下のゴミが1万個以下の状態になるよう常に保たれた。0.5ミクロンのゴミが一つ入り込んでも結線が切れてショートしてしまうため、精密電子部品の製造にはこの環境が欠かせなかった。1970年には純水装置も設けられ、クロムマスク、シースルーマスク、低反射クロムマスクの製造が同じ工場で行われるようになり、急増するマスクの需要に対処した。技術者は顔の半分を覆うほどのマスクをかけ、真白な無塵服を着て動き回った。印刷の工場とは、空気と水から違う建屋が要った。

  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [15]1968年、埼玉県新座市・朝霞精密電子工場にクリーンルームを完成し、本格的なフォトマスクの生産を始めた
    • [16]クリーンルームは、30立方センチの中に0.5ミクロン以下のゴミが1万個以下の状態になるよう常に保たれている
    • [17]0.5ミクロンのゴミが一つ入り込んでも結線が切れてショートしてしまう精密電子部品の製造において、クリーンルームはなくてはならない環境である
    • [19]顔の半分を覆う程のマスクをかけ、真白な無塵服を着て動き回る技術者たちがクリーンルームで働く
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [18]1968年にフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、1970年には純水装置も設けてクロムマスク、シースルーマスク、低反射クロムマスクの製造を同工場で行い、急増するマスクの需要に対処した

1974年12月、朝霞精密電子第一工場が竣工した。最新鋭設備と高性能クリーンルームを完備した建屋であった。凸版印刷におけるマスク類の製造は、1960年に技術研究所でのメサ型トランジスタ用マスクにはじまり、1968年に朝霞工場へ生産を移し、より高密度なものへと段階を上げた。1986年2月には朝霞精密電子第二工場が竣工している。精密電子部品は、印刷工場の一区画から、専用の建屋を連ねる事業へ変わった。

  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1974年12月、朝霞精密電子第一工場竣工
    • [21]朝霞精密電子第一工場は最新鋭設備と高性能クリーンルームを完備した
    • [23]1986年2月、朝霞精密電子第二工場竣工
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [22]マスク類の製造は1960年に技術研究所でのメサ型トランジスタ用マスクにはじまり、1968年にはフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、より高密度なものの製造が開始されるようになった

超LSI以前のフォトマスクの製造工程は、精密なパターンの設計図を原寸の約200倍から400倍の大きさに拡大して作り上げ、それを写真製版の技術で縮小してシリコンの上に焼き付けるものであった。1973年、凸版印刷は朝霞工場にデービッド・ダブリュー・マン社の図形入力編集機と高速自動作図機を設置し、微細なパターンを自動的に作図するコンピュータ・エイデッド・デザインシステムを完成させて、デザインオートメーションの体制を確立した。1969年の試作では、作図部門が数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめるところから始めていた。拡大した原図を人が描き写す限り、パターンが微細になるほど作図の工数は増え続けた。

  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [24]超LSI以前のフォトマスクの製造工程は、まず精密なパターンの設計図を原寸の約200倍から400倍の大きさに拡大して作り上げ、それを写真製版の技術で縮小し、シリコンの上に焼き付けるというものだった
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [25]1973年、朝霞工場でデービッド・ダブリュー・マン社の図形入力編集機、高速自動作図機などを設置して、微細なパターンを自動的に作図するコンピュータ・エイデッド・デザインシステム(CADシステム)を完成し、デザインオートメーション(DA)の体制を確立した
    • [26]1969年の秋ごろに始めたLSI用マスクの試作は、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった
参考文献[15]-[26]
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [15]1968年、埼玉県新座市・朝霞精密電子工場にクリーンルームを完成し、本格的なフォトマスクの生産を始めた
    • [16]クリーンルームは、30立方センチの中に0.5ミクロン以下のゴミが1万個以下の状態になるよう常に保たれている
    • [17]0.5ミクロンのゴミが一つ入り込んでも結線が切れてショートしてしまう精密電子部品の製造において、クリーンルームはなくてはならない環境である
    • [19]顔の半分を覆う程のマスクをかけ、真白な無塵服を着て動き回る技術者たちがクリーンルームで働く
    • [24]超LSI以前のフォトマスクの製造工程は、まず精密なパターンの設計図を原寸の約200倍から400倍の大きさに拡大して作り上げ、それを写真製版の技術で縮小し、シリコンの上に焼き付けるというものだった
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [18]1968年にフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、1970年には純水装置も設けてクロムマスク、シースルーマスク、低反射クロムマスクの製造を同工場で行い、急増するマスクの需要に対処した
    • [22]マスク類の製造は1960年に技術研究所でのメサ型トランジスタ用マスクにはじまり、1968年にはフォトマスクの生産を高度のクリーンルームを備えた朝霞工場に移し、より高密度なものの製造が開始されるようになった
    • [25]1973年、朝霞工場でデービッド・ダブリュー・マン社の図形入力編集機、高速自動作図機などを設置して、微細なパターンを自動的に作図するコンピュータ・エイデッド・デザインシステム(CADシステム)を完成し、デザインオートメーション(DA)の体制を確立した
    • [26]1969年の秋ごろに始めたLSI用マスクの試作は、作図部門で数十枚から数百枚におよぶ部分設計図を一つにまとめる仕事から始まった
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1974年12月、朝霞精密電子第一工場竣工
    • [21]朝霞精密電子第一工場は最新鋭設備と高性能クリーンルームを完備した
    • [23]1986年2月、朝霞精密電子第二工場竣工

1975年〜光学の限界と電子ビーム、生産を客先の側へ

1975年、4キロビットのLSI用フォトマスクの製造が始まった。同じころ超LSIが登場し、半導体素子の集積度はLSIよりはるかに高く、パターンも極端に微細化されて、1ミリの線幅の中に最高500本もの配線が張りめぐらされた。ここまで微細な回路を焼き付けるには、従来のシリコン板上に露光、現像、加工する写真の光学的な製造方法では限界があり、1ミクロンを切るサブミクロンの世界には通用しなかった。凸版印刷の技術陣が選んだのは電子ビームで、0.1ミクロン程度までビーム径を絞ることができるため微細な加工に適していた。写真製版の延長で伸ばしてきた精度が、ここで行き止まりに達した。

  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [27]1975年に4キロビットのLSI用フォトマスクの製造が開始された
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [28]昭和50年代に入ると超LSIが登場した。超LSIは半導体素子の集積度がLSIよりはるかに高く、パターンも極端に微細化されていて、1ミリの線幅の中に最高500本もの配線が張りめぐらされている
    • [29]そこまで微細な回路を焼き付けるためには、従来のシリコン板上に露光、現像、加工する写真の光学的な製造方法では限界があり、1ミクロンを切るサブミクロンの世界には通用しない
    • [30]電子ビームなら0.1ミクロン程度までビーム径を絞ることができるし、微細な加工には適しているとして、電子ビーム露光装置を使った電子ビームリソグラフィー技術の開発が進められることになった

1977年、アメリカのウエスタン・エレクトリック社との技術提携が実現した。同社は基板上に塗布する感光剤樹脂である電子ビームレジストの処方とプロセスを開発済みで、凸版印刷はその技術を得ることができた。技術陣は同社の研究部門であるベル研究所を訪れることもでき、帰国後に電子ビーム技術は飛躍的に進歩した。1978年に電子ビームレジスト評価装置、1979年5月に新鋭の電子ビーム露光装置を導入し、回路設計の段階に計算機を利用する技術を確立して、同年12月に64キロビットのLSI用フォトマスクの製造に成功した。断絶を越える手はここでも自社開発ではなく、材料の処方を外から買うことであった。

  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [31]1977年、アメリカのウエスタン・エレクトリック社と技術提携が実現した
    • [32]ウエスタン・エレクトリック社では電子ビームレジスト(基板上に塗布する感光剤樹脂)の処方とプロセスを開発済みであり、凸版印刷はその技術を得ることができた
    • [33]凸版印刷の技術陣はウエスタン・エレクトリック社の研究部門であるベル研究所を訪れることもでき、帰国後に凸版印刷の電子ビーム技術は飛躍的に進歩した
    • [34]1978年に電子ビームレジスト評価装置、1979年5月に新鋭の電子ビーム露光装置を導入し、回路設計の段階にコンピューターを利用する技術を確立して、1979年12月に64キロビットのLSI、それに継ぐ超LSI用フォトマスクの製造に成功した

1991年の時点で、テレビ用のシャドーマスクや液晶用カラーフィルターなどの精密部品事業は、凸版印刷の売上高の10%を占めるまでに育っていた。精密部品のベースは印刷技術であり、点で構成する印刷の中にさらに小さな点を打つ微細な加工技術が元になっていた。顧客となる半導体などエレクトロニクス産業の急成長に伴って、この分野には高い成長が期待された。1997年3月、凸版印刷は中華映管股份有限公司、揚博科技股份有限公司と合弁で中華凸版電子股份有限公司を設立した。1998年8月には滋賀工場でフォトマスク新棟が竣工した。版をつくる場所は、顧客の半導体工場の側へ寄せられていった。

  • 日経ビジネス 1991年10月21日号
    • [35]1991年時点で、テレビ用のシャドーマスクや液晶用カラーフィルターなど精密部品事業が凸版印刷の売上高の10%を占めるまでに育ってきた
    • [36]精密部品のベースは印刷技術であり、点で構成する印刷の中にさらに小さな点を打つ微細な加工技術が元になっている
    • [37]顧客となる半導体などエレクトロニクス産業の急成長に伴って今後とも高い成長が期待できる分野である
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1997年3月、中華映管股份有限公司、揚博科技股份有限公司と合弁で中華凸版電子股份有限公司(現 中華科盛德光罩股份有限公司)を設立
    • [39]1998年8月、滋賀工場でフォトマスク新棟竣工
参考文献[27]-[39]
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
    • [27]1975年に4キロビットのLSI用フォトマスクの製造が開始された
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
    • [28]昭和50年代に入ると超LSIが登場した。超LSIは半導体素子の集積度がLSIよりはるかに高く、パターンも極端に微細化されていて、1ミリの線幅の中に最高500本もの配線が張りめぐらされている
    • [29]そこまで微細な回路を焼き付けるためには、従来のシリコン板上に露光、現像、加工する写真の光学的な製造方法では限界があり、1ミクロンを切るサブミクロンの世界には通用しない
    • [30]電子ビームなら0.1ミクロン程度までビーム径を絞ることができるし、微細な加工には適しているとして、電子ビーム露光装置を使った電子ビームリソグラフィー技術の開発が進められることになった
    • [31]1977年、アメリカのウエスタン・エレクトリック社と技術提携が実現した
    • [32]ウエスタン・エレクトリック社では電子ビームレジスト(基板上に塗布する感光剤樹脂)の処方とプロセスを開発済みであり、凸版印刷はその技術を得ることができた
    • [33]凸版印刷の技術陣はウエスタン・エレクトリック社の研究部門であるベル研究所を訪れることもでき、帰国後に凸版印刷の電子ビーム技術は飛躍的に進歩した
    • [34]1978年に電子ビームレジスト評価装置、1979年5月に新鋭の電子ビーム露光装置を導入し、回路設計の段階にコンピューターを利用する技術を確立して、1979年12月に64キロビットのLSI、それに継ぐ超LSI用フォトマスクの製造に成功した
  • 日経ビジネス 1991年10月21日号
    • [35]1991年時点で、テレビ用のシャドーマスクや液晶用カラーフィルターなど精密部品事業が凸版印刷の売上高の10%を占めるまでに育ってきた
    • [36]精密部品のベースは印刷技術であり、点で構成する印刷の中にさらに小さな点を打つ微細な加工技術が元になっている
    • [37]顧客となる半導体などエレクトロニクス産業の急成長に伴って今後とも高い成長が期待できる分野である
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
    • [38]1997年3月、中華映管股份有限公司、揚博科技股份有限公司と合弁で中華凸版電子股份有限公司(現 中華科盛德光罩股份有限公司)を設立
    • [39]1998年8月、滋賀工場でフォトマスク新棟竣工

筆者考察

1970年代の凸版印刷が精密電子部品で打った手は、その多くが買い物であった。多面焼付機はデービッド・ダブリュー・マン社から、クロムマスクの製造法はタウン・ラボラトリー社から、電子ビームレジストの処方はウエスタン・エレクトリック社から入れた。証券印刷の精度を60年かけて自前で磨いた会社の振る舞いとしては対照的だが、これは必然だった。半導体の集積度は数年ごとに桁を上げ、そのたびに版へ求められる精度が跳ね上がる。1975年に4キロビットだったLSI用フォトマスクは、4年後に64キロビットを扱っている。自社の研究が追いつく速度では需要に間に合わず、買える技術は買うほかに手がなかった。

買った技術を動かすには建屋が要った。0.5ミクロンの塵が一つ入るだけで結線が切れる以上、フォトマスクは既存の印刷工場の一角では作れない。1970年9月の滋賀精密工場、1974年12月の朝霞精密電子第一工場、1986年2月の同第二工場と、専用の建屋だけが増えた。ここで事業の性格が変わる。証券印刷では職人の腕が精度を決めたが、フォトマスクでは装置と環境が精度を決める。腕は使うほど上がるのに対し、装置は買った瞬間から古びるため、投資を止めた時点で精度も止まる事業になった。1997年の中華凸版電子の設立も1998年の滋賀工場フォトマスク新棟も、その止められない連なりの一部である。

LSI用フォトマスクが扱ったメモリー容量 1975年・1979年(朝霞工場)(キロビット)

4 75年 64 79年
  • 出所は TOPPAN1985 凸版印刷株式会社史、文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)。

出典・参考

4件
出典・参考
  • テクセンドフォトマスク 有価証券報告書【沿革】
  • TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史(凸版印刷株式会社社史編纂委員会 編纂, 1985)本編第3章第3節 精密電子部品の製造
  • 文化に根ざした情報・生活産業(ポケット社史, 1990)新分野エピソード 製版技術で精密電子分野へ進出
  • 日経ビジネス 1991年10月21日号

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