日本特殊陶業セラミックICパッケージの製造販売開始と非自動車領域への多角化

焼成技術の草分けが、なぜ後発の京都セラミックに追い越されたか

時期 1967年10月
意思決定者(推定) 経営陣 取締役会
論点 事業の柱づくりとセラミック多角化
概要
日本特殊陶業は1967年10月、ICチップを封止するセラミックICパッケージの製造販売を開始した。点火プラグの絶縁体アルミナ磁器で培った焼成技術を半導体向けへ転用し、点火プラグに次ぐ非自動車の事業柱を築く多角化であった。
背景
同社は1949年に工業用セラミック「NTKニューセラミック」の生産を始め、1947年のるつぼ・燃焼管など理化学製品から耐熱磁器・切削工具・圧電磁器へと用途を広げていた。ニューセラミックの売上比率は1960年代には全体の20〜30%台に達し、無借金の堅実経営を底で支えていた。
内容
1960年代の集積回路の普及で、ICを外気から守る封止材としてセラミックの気密性・絶縁性が求められた。磁器に金属膜を焼き付けるメタライズ封着の技術を用い、1967年に量産を開始した。ただしこの分野では、後発の京都セラミックが専業の機動力で先行していく。
含意
ニューセラミック部門は1976年3月期の59億円から1981年3月期見込みの230億円へ5年で約4倍に伸び、点火プラグに代わる「もう一つの顔」と評された。だが参入時から樹脂への素材転換の影が差し、1996年のインテルの樹脂採用を境に構造が変わっていく。
筆者の見解

草分けが先を越されたということ

この参入を「先見の明」とだけ評するのは、話を単純にしすぎる。日本特殊陶業はニューセラミックの草分けであり、1967年のICパッケージ参入も焼成技術の自然な延長であった。問われるのはむしろ、最大手の地歩を持ちながら、なぜ後発の京都セラミックに追い越されたのかという点である。無借金と現金決済を貫き「石橋をたたいて渡る」と評された堅実経営が、多品種少量で先の読みにくい新市場への本腰を遅らせた面は否めないとみられる。

もっとも、堅実さがそのまま裏目に出たわけではない。点火プラグで築いた無借金の体力があればこそ、利益の乏しい時期を耐えて、ニューセラミックを第二の柱にまで育てられた。小川修次社長が拡大を「はっきり決意した」のも、京セラに追い越された痛みを認めた後のことである。得意分野に閉じこもるか、荒波の新市場へ漕ぎ出すか——ICパッケージへの参入は、その分かれ目が技術の有無ではなく経営の構えにあることを示しているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

焼成技術が生んだ「もう一つの顔」

日本特殊陶業の技術の芯は、点火プラグの絶縁体に使うアルミナ磁器の焼成にあった。その研究の延長で、戦後は工業用のセラミックへ用途が広がっていく。1949年には「NTKニューセラミック」の生産を始め、高い電気絶縁性と耐熱性を備えた磁器材質を電子・機械・化学・繊維の各分野へ供給した。焼成という共通の基盤から製品を派生させる型が、点火プラグ一本の会社に第二の技術系統を育てていた[1]

この多角化は一朝のものではなかった。すでに1947年にるつぼや燃焼管などの理化学製品を手がけ、その後は耐熱磁器・切削工具・圧電磁器へと品目を広げてきた。ニューセラミックの売上比率は1960年代には全体の20〜30%台に達していた。無借金を貫き仕入れも現金決済で通す、「石橋をたたいて渡る」と評された堅実経営が、この地道な広がりの土台にあった[2][3]

決断

ICパッケージへの参入

1960年代に半導体の集積回路が普及すると、ICチップを外気から守る封止材として、セラミックの気密性と絶縁性が求められた。日本特殊陶業は1967年10月、セラミックICパッケージの製造販売を開始し、点火プラグに次ぐ非自動車の事業柱を立てる多角化に着手した。プラグで培ったアルミナ焼成に加え、磁器に金属膜を焼き付けて金属を鑞付けするメタライズ封着の技術が、この参入を支えた[4][5]

ただし、この分野で先んじたのは同社ではなかった。ニューセラミックの最大手だったはずの日本特殊陶業は、1959年設立の京都セラミックに「日本特殊陶業に追い付け、追い越せ」と背を追われ、昭和40年代の半ばには逆に追い越されていく。多品種少量で標準化の進まないIC向けは、量産品の点火プラグとは製造の性格が異なり、後発の京セラが専業の機動力で先行した[6][7]

結果

第二の柱への成長と素材転換の影

ICパッケージは急速に伸びた。ニューセラミック部門の売上は1976年3月期の59億円から1981年3月期見込みの230億円へ、5年で約4倍に膨らみ、全社売上に占める比率も40%台に迫った。同部門の伸びを主に作ったのはICを外気から守るICパッケージで、1980年度には部門販売額の6割を占めた。小川修次社長は、この分野の拡大に多少のリスクを冒しても力を入れると1978年に「はっきり決意した」と語っている[8][9]

もっとも、参入の時から影も差していた。1976年の講演で小川社長は、ICパッケージが価格競争でプラスチックに置き換えられ始め、磁器ではコストに合わなくなりつつあると述べていた。半導体用のセラミックパッケージは1990年代前半まで酸素センサ・セラミックフィルタと並ぶ好調3部門の一つであったが、1996年にインテルが素材を樹脂へ切り替えたのを境に構造が変わり、2009年の事業再編へつながっていく[10][11][12]

出典・参考

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