セラミックICパッケージ発売(1967年・日本特殊陶業の決断)更新:2026/07/24論点セラミック技術で電子部品に参入するか日本特殊陶業:業績の推移売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所自社技術を電子部品へ展開する非自動車領域への多角化何をなぜ決めたか:自社技術を電子部品へ展開する非自動車領域への多角化概要日本特殊陶業は1967年10月、ICチップを封止するセラミックICパッケージの製造販売を開始した。点火プラグの絶縁体アルミナ磁器で培った焼成技術を半導体向けへ転用し、点火プラグに次ぐ非自動車の中核事業を築く多角化であった。背景同社は1949年に工業用セラミック"NTKニューセラミック"の生産を開始し、1947年のるつぼ・燃焼管など理化学製品から耐熱磁器・切削工具・圧電磁器へと用途を広げていた。ニューセラミックの売上比率は1960年代には全体の20〜30%台に達し、無借金の堅実経営を底で支えていた。内容1960年代の集積回路の普及で、ICを外気から守る封止材としてセラミックの気密性・絶縁性が求められた。磁器に金属膜を焼き付けるメタライズ封着の技術を用い、1967年に量産を開始した。ただしこの分野では、後発の京都セラミックが専業の機動力で先行していく。いつ何が起きたか6件考察:草分けが先を越されたということ考察考察:草分けが先を越されたということ日本特殊陶業はニューセラミックの草分けであり、1967年のICパッケージ参入も焼成技術の自然な延長であった。問われるのはむしろ、最大手の地歩を持ちながら、なぜ後発の京都セラミックに追い越されたのかという点である。無借金と現金決済を貫き、石橋をたたいて渡ると評された堅実経営が、多品種少量で先の読みにくい新市場への本腰を遅らせた面は否めないと推察される。ただ、堅実さがそのまま裏目に出たわけではない。点火プラグで築いた無借金の体力があればこそ、利益の乏しい時期を耐えて、ニューセラミックを第二の柱にまで育てられた。小川修次社長が拡大をはっきり決意したのも、京セラに追い越された痛みを認めた後のことである。得意分野に閉じこもるか、荒波の新市場へ漕ぎ出すか。この分かれ目が技術の有無ではなく経営の構えにあることを、ICパッケージへの参入は示しているといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)日経ビジネス 1980年10月6日号証券アナリストジャーナル 1976年(14巻4号) 小川修次社長講演要旨証券アナリストジャーナル 1994年(32巻8号) 金川重信副社長講演要旨日本特殊陶業 有価証券報告書(第125期・2025年3月期)【沿革】次に読む決断日本特殊陶業の意思決定1936年日本特殊陶業日本特殊陶業日本碍子から分離独立点火プラグ・濾過器・耐酸モルタル三部門を引き継いだ独立会社の発足1936年1959年日本特殊陶業日本特殊陶業ブラジル特殊陶業を設立点火プラグの海外現地生産へ踏み出す第一歩1959年同じ問い:自社技術による隣接領域への展開1967年オムロンオムロン阪急北千里駅の無人化制御技術を社会インフラへ展開する社会システム事業と世界初の無人駅システム1967年1968年鹿島建設鹿島建設霞が関ビル完成超高層・耐震技術への先行投資と開発事業への進出1968年1968年帝人帝人未来事業本部を発足繊維一本足からの脱却を掲げた新規事業探索の専門組織づくり1968年1968年ディスコディスコ極薄砥石ミクロンカットの開発注射針・万年筆向けの砥石屋による半導体用の極薄化への開発1968年1965年堀場製作所堀場製作所排ガス測定装置の事業化自動車から出る気体を測る装置の製品化と、世への送り出し1965年×出所