住友電工 の歴史

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創業 1897年
母体 住友財閥
創業地 大阪市北区
創業
1897年、住友本店は経営難の日本製銅を買収し、大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設して伸銅製品と裸銅線の製造を始めた。別子銅山で掘った銅を地金のまま出荷せず、国内で電線・通信ケーブルへ加工するためである。1899年には大阪製銅も買収し、1900年に被覆線、1909年に通信用ケーブルと品目を積み上げた。1911年8月には伸銅場から電線製造業を分離して住友電線製造所を設置し、1920年に住友総本店から独立して資本金1,000万円の株式会社住友電線製造所となる。1939年、商号を住友電気工業へ改めた。素材の伸銅と加工品の電線が同じ工場から出発した近接が、のちの事業構成を決めている。
決断
規模を先に取り、稼ぐ力はあとから作り直してきた。1949年、架空送電線の工事と自動車用ワイヤーハーネスへ同じ年に参入し、1974年には光ファイバ・ケーブルを立ち上げた。2006年に独のワイヤーハーネスメーカーを買収して欧州完成車メーカーへの直接供給体制を得、翌2007年に住友電装を完全子会社化して、連結売上高は2006年3月期の2兆71億円から2024年3月期の4兆4,028億円へ倍増する。ただし営業利益率は長く4〜6%台にとどまり、完成車の生産台数に業績が連動する構造も同時に抱え込んだ。買収で広げた事業群を投下資本利益率で選び直し、2024年度に税引前ROIC9.3%と中期経営計画2025の目標8%を上回るまでに、20年近くを費やしている。
現況
最も利幅の厚い事業は、長く赤字だった情報通信である。2026年3月期の連結売上高5兆1,102億円は、自動車関連事業が2兆9,354億円で57%を占め、環境エネルギー関連事業1兆1,426億円、産業素材関連事業他3,665億円、エレクトロニクス関連事業3,506億円、情報通信関連事業3,150億円と続く。ところがセグメント利益では情報通信が774億円と売上の24.6%を稼ぎ、自動車の6.1%を大きく上回った。2024年3月期に115億円の損失を計上していた同じ事業が、生成AI向け光デバイスの需要で2年のうちに順位を入れ替えている。規模で稼ぐ自動車と利幅で稼ぐ情報通信という2つの収益源を得たことが、完成車の生産台数だけに業績が振れる構造を薄めた。
競合
主戦場が2つあり、相手も競い方も互いに似ていない。自動車用ワイヤーハーネスでは矢崎総業や独レオニと世界シェアを分け合い、完成車メーカーへ直接供給できる規模がそのまま参入障壁になる。一方の光ファイバでは、1975年に電電公社と共同研究協定を結んだフジクラ古河電工と同じ場所から出発しながら、コーニングやプリズミアンとの国際価格競争で長く採算を割った。前者は顧客の生産台数に、後者は世界の通信投資の波に業績を握られる。似ていない2つの周期を1社で抱えたことが、売上規模のわりに薄い利益率を長く続けさせた。
住友電工:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 銅から電線へ ── 住友財閥の素材部門 (1897年〜)

伸銅場を出発点にした非鉄素材の垂直分岐

住友電工の淵源は16世紀に住友家が産銅業[1]を始めたときに遡るが、直接には1897年に始まる。この年、住友本店は経営難に陥っていた日本製銅を買収し、大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設[2]して伸銅製品の製造を始め、その事業の一環として裸銅線の製造を開始した[3]。素材の伸銅と、加工品の電線ケーブルが同じ屋根の下から出発した点が、後の事業展開の性格を決定づけている。1899年には大阪製銅も買収して中之島分工場を開設し[4]、1900年には被覆線、1909年には通信用ケーブル[5]の試作と、電線の品目を1つずつ積み上げた。住友家は別子銅山の近代化で財を成した財閥で、その銅を国内で付加価値の高い電線・通信ケーブルに加工する垂直統合モデルを住友伸銅場[6]に託した形である。明治末期に電力事業と電話網が全国に広がり始めると国産電線の需要は拡大し、伸銅場は住友財閥の非鉄素材部門の中核として重要性を高めた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]住友電工の淵源は16世紀に住友家が産銅業を始めたときに遡る(産銅業を源流とする位置づけ)
    • [3]1897年 住友伸銅場開設に際し、伸銅製品の製造の一環として裸銅線の製造を開始
  • 住友電気工業 有価証券報告書 第155期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1897年 住友本店が日本製銅を買収し大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設、伸銅製品・電線の製造を開始(創業)
    • [4]1899年 大阪製銅を買収し住友伸銅場中之島分工場を開設
    • [5]1900年 被覆線の製造開始、1909年 通信用ケーブルの試作開始
    • [6]住友家は別子銅山を擁する財閥で、その銅を電線・通信ケーブルに加工する非鉄素材部門として住友伸銅場が出発(沿革・事業系譜と整合)

1911年、住友伸銅場から電線製造業を分離して住友電線製造所を設置し[7]、電力用・通信用・特殊用途まで含めたあらゆる電線ケーブルを供給できる専業メーカーに組み替えた。1916年には此花区恩貴島に大阪製作所を新設して工場[8]を移し、1920年には住友総本店から独立し、資本金1,000万円の株式会社住友電線製造所として発足する。[9]同じ1920年、米国のインターナショナル・ウェスタン・エレクトリック[10]社(後のインターナショナル・スタンダード・エレクトリック社)と資本及び技術の提携を結び、これが欧米の有力電線メーカーと技術提携を重ねていく端緒となった。1931年に超硬工具ブランド『イゲタロイ』の製造を開始すると並行して東海電線(現・住友電装)に資本参加し、1937[11]年には東海護謨工業(現・住友理工)にも出資した。イゲタロイは電線伸線用ダイスの研究開発から発したもので[12]、住友電線製造所が超硬工具事業へ進出した起点となり[13]、同社を電線専業から総合非鉄素材メーカーへ押し広げた。電線という主幹から、超硬材料・ゴム・特殊金属線という枝が生え揃っていった時代で、この戦前の関係会社群が戦後に連結グループを形づくる土台となる。

  • 住友電気工業 有価証券報告書 第155期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1911年 住友伸銅場から電線製造業を分離し住友電線製造所を設置(創立)
    • [9]1920年 住友総本店から分離独立し株式会社住友電線製造所に改組(設立)、資本金1,000万円
    • [11]1931年 イゲタロイ製造開始・東海電線(現・住友電装)に資本参加、1937年 東海護謨工業(現・住友理工)に資本参加
    • [13]1931年 住友電線製造所がイゲタロイ(超硬工具)の製造を開始=当社の超硬工具事業への進出の起点(国産初の超硬合金は1929年の芝浦製作所「タンガロイ」のため『国産超硬工具の初例』の序数主張は取り下げ済み)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [8]1916年 此花区恩貴島に大阪製作所を新設し工場を移転
    • [10]1920年 米国インターナショナル・ウェスタン・エレクトリック社(後のインターナショナル・スタンダード・エレクトリック社)と資本及び技術提携を締結、欧米メーカーとの技術提携の端緒
    • [12]イゲタロイは電線伸線用ダイスの研究開発から発した超硬工具事業
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]住友電工の淵源は16世紀に住友家が産銅業を始めたときに遡る(産銅業を源流とする位置づけ)
    • [3]1897年 住友伸銅場開設に際し、伸銅製品の製造の一環として裸銅線の製造を開始
    • [8]1916年 此花区恩貴島に大阪製作所を新設し工場を移転
    • [10]1920年 米国インターナショナル・ウェスタン・エレクトリック社(後のインターナショナル・スタンダード・エレクトリック社)と資本及び技術提携を締結、欧米メーカーとの技術提携の端緒
    • [12]イゲタロイは電線伸線用ダイスの研究開発から発した超硬工具事業
  • 住友電気工業 有価証券報告書 第155期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1897年 住友本店が日本製銅を買収し大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設、伸銅製品・電線の製造を開始(創業)
    • [4]1899年 大阪製銅を買収し住友伸銅場中之島分工場を開設
    • [5]1900年 被覆線の製造開始、1909年 通信用ケーブルの試作開始
    • [6]住友家は別子銅山を擁する財閥で、その銅を電線・通信ケーブルに加工する非鉄素材部門として住友伸銅場が出発(沿革・事業系譜と整合)
    • [7]1911年 住友伸銅場から電線製造業を分離し住友電線製造所を設置(創立)
    • [9]1920年 住友総本店から分離独立し株式会社住友電線製造所に改組(設立)、資本金1,000万円
    • [11]1931年 イゲタロイ製造開始・東海電線(現・住友電装)に資本参加、1937年 東海護謨工業(現・住友理工)に資本参加
    • [13]1931年 住友電線製造所がイゲタロイ(超硬工具)の製造を開始=当社の超硬工具事業への進出の起点(国産初の超硬合金は1929年の芝浦製作所「タンガロイ」のため『国産超硬工具の初例』の序数主張は取り下げ済み)

戦時体制期の総合電気工業化と上場

1939年、社名を住友電線製造所から住友電気工業株式会社[14]に変更した。1929年のOFケーブルの応用製品OF蓄電器の発明[15]、1931年以降のイゲタロイ超硬工具、1932年の耐酸ニッケル線など特殊金属線、続くピアノ線、1943年の防振ゴム、1948年の焼結製品と[16]、電線の外側へ品目を広げていた実態に、社名が追いついた形である。特殊金属線とピアノ線は後の特殊線事業部の発端となり、超硬工具と焼結製品は粉末合金事業部の発端となった[17]。防振ゴムや航空機用燃料タンクなどの工業用ゴム製品にも進み[18]、電線絶縁材料で蓄えた技術を別の用途へ振り向けた。1941年には伊丹市に伊丹製作所を[19]、1943年には名古屋製作所を開設し[20]、戦時下の軍需増産に合わせて生産拠点を拡張した。主力工場だった大阪製作所と新設の伊丹製作所は、戦後長く量産拠点の中核となった。戦時中は陸海軍向けの特殊電線や超硬工具の生産に動員され、住友財閥の中でも軍需色の強い事業会社となった。終戦直前には資本金1億2,000万円・従業員約[21]1万5,000名にまで膨らんだが、大阪製作所と名古屋製作所は空襲で大きな被害を受けた[22]。1945年の敗戦後は民需転換を迫られ、財閥解体の直撃を免れる形で住友電工本体は会社組織を維持しながら戦後の再出発を図った。

  • 住友電気工業 有価証券報告書 第155期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1939年 社名を住友電線製造所から住友電気工業株式会社に改称
    • [16]1932年 耐酸ニッケル線など特殊金属線の製造開始、1943年 防振ゴムの製造開始、1948年 焼結製品の販売開始
    • [19]1941年 伊丹市に伊丹製作所を開設
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [15]1929年 OFケーブルの応用製品OF蓄電器を発明
    • [17]特殊金属線・ピアノ線が特殊線事業部の発端、超硬工具・焼結製品(粉末合金)が粉末合金事業部の発端
    • [18]防振ゴム・航空機用燃料タンクなど工業用ゴム製品に進出(電線絶縁材料の技術蓄積を基礎とする)
    • [20]1943年 名古屋製作所を開設
    • [21]終戦直前の資本金は1億2,000万円、従業員は約1万5,000名
    • [22]終戦時、大阪製作所と名古屋製作所が空襲で大きな被害を受けた

財閥解体で住友本社が解散し販売の整備を迫られたため、1946年に東京・名古屋[23]・福岡へ支店・出張所を開設して販売網を全国に張り直した[24]。戦後復興は早く、1948年には電線の生産が戦前の水準を回復している[25]。1949年には戦後の財閥解体と証券市場再開を受けて東京・大阪・名古屋の3証券取引所に株式を上場した[26]。同じ1949年、架空送電線工事部門に進出し、後に主力事業[27]となる自動車用ワイヤーハーネス事業にも参入している。送電網の建設工事と、自動車の配線束(ハーネス)という2つの新事業が同じ年に立ち上がり、戦前からの電線メーカーが送電・自動車・通信という戦後の巨大インフラ産業に足場を築く構図がほぼ出揃った。戦後の復興期を経て1950年代以降は日本の電力9社の送電網整備や、トヨタ・日産をはじめとする国産自動車メーカーの量産立ち上がりに歩調を合わせ、送配電ケーブルとワイヤーハーネスの安定供給で存在感を強めた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [23]財閥解体による住友本社の解散で販売の整備を迫られ、1946年に東京・名古屋・福岡へ拠点を開設
    • [25]1948年 電線の生産が戦前の水準を回復
  • 住友電気工業 有価証券報告書 第155期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1946年 東京・名古屋・福岡に拠点(東京支店・名古屋出張所・福岡出張所)を開設
    • [26]1949年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式を上場
    • [27]1949年 架空送電線工事部門に進出・ワイヤーハーネス事業に参入
  • 住友電気工業 有価証券報告書 第155期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1939年 社名を住友電線製造所から住友電気工業株式会社に改称
    • [16]1932年 耐酸ニッケル線など特殊金属線の製造開始、1943年 防振ゴムの製造開始、1948年 焼結製品の販売開始
    • [19]1941年 伊丹市に伊丹製作所を開設
    • [24]1946年 東京・名古屋・福岡に拠点(東京支店・名古屋出張所・福岡出張所)を開設
    • [26]1949年 東京・大阪・名古屋の各証券取引所に株式を上場
    • [27]1949年 架空送電線工事部門に進出・ワイヤーハーネス事業に参入
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [15]1929年 OFケーブルの応用製品OF蓄電器を発明
    • [17]特殊金属線・ピアノ線が特殊線事業部の発端、超硬工具・焼結製品(粉末合金)が粉末合金事業部の発端
    • [18]防振ゴム・航空機用燃料タンクなど工業用ゴム製品に進出(電線絶縁材料の技術蓄積を基礎とする)
    • [20]1943年 名古屋製作所を開設
    • [21]終戦直前の資本金は1億2,000万円、従業員は約1万5,000名
    • [22]終戦時、大阪製作所と名古屋製作所が空襲で大きな被害を受けた
    • [23]財閥解体による住友本社の解散で販売の整備を迫られ、1946年に東京・名古屋・福岡へ拠点を開設
    • [25]1948年 電線の生産が戦前の水準を回復

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住友電工の沿革1897〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1897〜1949年銅から電線へ ── 住友財閥の素材部門住友本店による日本製銅の買収と住友伸銅場の開設、銅線製造の開始

1897年、住友本店は日清戦争後の不景気で経営が行き詰まった日本製銅を買収し、直営事業として大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設した。銅板・銅棒とともに銅線の製造を始め、住友電気工業は現在もこの年を創業として数えている。別子銅山で掘った銅を国内で製品へ変える工程を、住友が自ら抱え込んだ判断であった。

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★★★
被覆線の製造開始
住友伸銅場からの電線製造業の分離と住友電線製造所の設置

1911年8月、住友は住友伸銅場から電線製造業を分離し、住友電線製造所を設けた。伸銅場から建物・機械・原料品などの資産と負債を引き継ぎ、200人足らずで発足した電線ケーブルの専業体制で、住友電気工業はこの年を創立としている。同じ年の秋には電力用鉛被紙ケーブルの実用化に日本で初めて成功した。

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★★★
エナメル線の製造開始、大阪製作所の地に新工場が竣工
住友総本店から独立し住友電線製造所として設立
イゲタロイ(超硬工具)製造開始、東海電線に資本参加★★
社名を住友電気工業に商号変更
岸要焼結製品の販売開始
岸要東京・大阪・名古屋の各証券取引所に上場
岸要ワイヤーハーネス事業と架空送電線工事に参入
1950〜2005年光ファイバと半導体、海外ハーネス ── 非鉄素材メーカーの多角化岸要太陽電設工業に資本参加
北川一栄横浜製作所を開設
北川一栄電子線照射イラックスチューブの製造開始、本社を移転
北川一栄電子線照射電線の製造開始
鍋島綱利交通管制システムを事業化
鍋島綱利FPC(フレキシブルプリント回路)の製造開始
阪本勇化合物半導体の製造開始
亀井正夫光ファイバ・ケーブルの製造開始★★
亀井正夫営業年度を年1回に変更
亀井正夫ナイジェリア大規模通信網工事を受注
亀井正夫初の時価発行増資を実施
川上哲郎合成ダイヤモンド単結晶製品の事業化
川上哲郎スミトモ エレクトリック ワイヤリング システムズを設立
倉内憲孝スミトモ エレクトリック ライトウェーブを設立
倉内憲孝ブレーキ・ABS事業を住友電工ブレーキシステムズに営業譲渡
倉内憲孝高分子機能製品事業を住友電工ファインポリマーとして分社化
岡山紀男高圧電力用電線事業をジェイ・パワーシステムズに営業譲渡★★
岡山紀男ADSL事業・特殊金属線・巻線事業を会社分割
2006〜2023年自動車ワイヤーハーネス事業の世界展開と利益の振れ幅松本正義独ワイヤーハーネスメーカーの買収と住友電装の完全子会社化

2006年3月、住友電気工業と住友電装はドイツのフォルクスワーゲン ボードネッツェ社を買収し、翌2007年8月には議決権の53.9%にとどまっていた住友電装を株式交換で完全子会社とした。松本正義社長のもとで、自動車用ワイヤーハーネスをグループの主力に据え直す一連の判断であった。

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★★★
松本正義住友電装を完全子会社化、日新電機を子会社化★★
松本正義リーマンショックで営業利益が急減★★
松本正義ジェイ・パワーシステムズを完全子会社化、住電日立ケーブルを子会社化★★
井上治井上治氏が社長に就任(松本正義から交代)
井上治茨城製作所を開設、テクノアソシエを子会社化
井上治日新電機・テクノアソシエを完全子会社化★★
井上治独の電力ケーブルメーカー、ズートカーベル ゲーエムベーハーを子会社化
井上治通期売上高・営業利益とも過去最高を更新
井上治住友電設売却・住友理工完全子会社化を公表★★
出典・参考
  • 住友電気工業 有価証券報告書 第155期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)

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