京セラ の歴史

更新: Author:

創業 1959年
創業者 稲盛和夫
創業地 京都府京都市
創業
1959年4月、松風工業を退職した27歳の稲盛和夫氏が、宮木電機の宮木男也氏ら京都財界人の出資を受け、京都市中京区西ノ京原町に資本金300万円で京都セラミック株式会社を設立した。稲盛氏の持株は3,500株で出資者に次ぐ第4位にとどまり、社長には出資者が就任して、稲盛氏は取締役技術部長として出発する。所有ではなく量産実績で発言力を得る順序を選んだ。値段も納期も引き受けてから技術を開発する受注を重ね、ブラウン管テレビ用の絶縁部品を松下電子工業向けに月産20万本で量産して、創業翌年から黒字を出した。稲盛氏が社長へ就任したのは7年後の1966年5月である。
決断
本業で積んだ利益を、本業の外へ投じ続けてきた。1966年に米IBMからIC用アルミナ基板を大口受注すると、需要の見えない段階で鹿児島に工場を建てて積層パッケージを量産し、その焼成技術が参入障壁に変わって1983年にはICパッケージで世界シェア約7割へ達した。1975年9月末には自己資本比率73.56%・長短借入金ゼロに到達している。この資本を背に、1984年6月には第二電電の設立に中心企業として出資し、2000年2月には米クアルコムの携帯電話端末事業を承継した。第二電電は2000年10月にKDDIとなって主要株主の地位が残り、端末は2005年3月期に売上高2,509億円と全社の21%を占めるまでになった。
現況
利益は事業の数ではなく、資本の使い方で決まる会社に変わった。2026年3月期の連結売上高2兆702億円はソリューション1兆709億円・コアコンポーネント6,534億円・電子部品3,635億円で、営業利益はそれぞれ1,039億円・631億円・73億円だった。日本の6,038億円に対し海外が7割を占める。前期は営業利益が272億円、ROEが0.7%まで落ち、2025年2月に創業以来初の中期経営計画を取り下げた。KDDI株の一部売却と自社株買いで資本を圧縮し、2027年3月期からは事業ごとにROIC目標を設ける評価へ切り替える。多角化で増やした事業を、資本の利回りで選別する側へ転じた。
競合
訴訟で処理せず取引を続けたことが、米国での地位を作った。1960年代の米国では、注文書と出荷スケジュールが確定した後の一方的な取消しが常態だった。米国の同業各社はこれを訴訟で処理して顧客との関係を悪化させ、撤退している。京セラは日本の商習慣のまま取引を続け、1970年に米国で半導体用セラミック・パッケージの生産を始めて、この製品を長く最大の事業とした。関係を切らない姿勢は取引先を残す一方、値決めの主導権までは残さない。2026年3月期の電子部品事業は売上高3,635億円に対し営業利益73億円と利益率2.0%にとどまり、同じ社内のソリューション事業の9.7%と開いた。
京セラ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期
京セラにおける経営の転換点(その1) Q なぜ創業者が筆頭株主でない1959年の資本構成のまま、稲盛和夫氏は経営の主導権を握れたのか
A 技術はあっても信用も資本もない27歳の技術者が、京都の財界人の出資で会社を興した以上、所有では主導権を持てなかった。そこで稲盛和夫氏は、先に量産実績で稼ぎを立てて発言力を得る順序を選んだ。1959年に宮木電機の宮木男也氏ら京都財界人の出資で京都セラミックを設立したとき、稲盛氏の持株は3,500株で出資者に次ぐ第4位にとどまった。ところがブラウン管テレビ用絶縁部品『U字ケルシマ』を松下電子工業向けに月産20万本で量産し、創業翌年から黒字を出して、稼ぎが信用に転じる経営の型をこの時期に固めた
京セラにおける経営の転換点(その2) Q なぜ1966年に、京セラは国内大手ではなく米IBMの大口受注を取りにいったのか
A 国内大手電機メーカーは創業間もない京都の無名中小企業を信用せず、まともに採用しなかった。そこで稲盛和夫氏は、日本企業が技術を導入する大本の米国顧客で採用されれば、その実績を梃子に国内へ逆流させられると読んだ。従業員100名以下の段階から渡米を繰り返して米国顧客の技術要求を直接吸い上げ、1966年に米IBMからIC用アルミナ基板を大口受注した。需要の見えない段階で鹿児島に工場を建てて積層パッケージの量産に踏み切り、その焼成ノウハウが他社の真似できない参入障壁へ変わって、1983年にはICパッケージで世界シェア約7割に達した
京セラにおける経営の転換点(その3) Q なぜ2026年に、京セラは買収で事業を増やす側から不振事業を売る側へ転じたのか
A 祖業の黒字が多角化事業の慢性的な不振を支える総花経営が続き、自己資本を厚く積むほど資本効率が落ちて、前期のROEは0.7%まで低下した。谷本秀夫社長はこれを「非常にお恥ずかしい経営成績」と認め、自己資本の厚さより企業価値を上げる経営へ方針を改めた。2026年には半導体向け化学材料のケミカル事業を住友ベークライトへ約300億円で譲渡し、サザンカールソン社など計2,000億円規模の非中核事業を整理した。2027年3月期からは事業ごとにROIC目標を設けて残す事業と外す事業を選り分ける評価へ切り替え、2026年4月に経営を引き継いだ作島史朗社長がこの選別を担う

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

京セラの沿革1959〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1959〜1970年信用を持たない技術者が、市場のある国へ出るまで宮木男也京都セラミックの設立と、持株第4位の技術者が経営の実権を握るまで

1959年、松風工業を退職した27歳の稲盛和夫氏が、宮木電機の宮木男也氏ら京都財界人の出資を受けて京都セラミック株式会社を設立した。資本金は300万円で、稲盛氏の持株は3,500株の第4位にとどまり、社長には出資者が就いて稲盛氏は取締役技術部長として発足した。稲盛氏が社長に就いたのは、量産と利益を積み上げた7年後の1966年5月であった。

詳細を読む
★★★
稲盛和夫IC向け基板をIBMに納入★★
稲盛和夫販売会社Kyocera International, Inc.を設立
稲盛和夫積層パッケージの量産投資・世界シェア70%を確保★★
1971〜1984年寡占が生んだ利益を、本業の外へ投じるまで稲盛和夫販売会社Kyocera Fineceramics GmbHを設立
稲盛和夫大阪証券取引所市場第二部に株式上場
稲盛和夫東京証券取引所市場第二部に株式を上場
稲盛和夫米国預託証券を発行
稲盛和夫サイバネット工業・クレサンベール・日本キャスト・ニューメディカルを吸収合併★★
稲盛和夫京セラに商号変更
稲盛和夫第二電電(DDI)の設立と、京セラによる中心的出資

1984年6月、京セラ社長の稲盛和夫氏が発起人となり、通信自由化を受けて第二電電企画(後のDDI・現KDDI)の設立に出資した経営判断。ファインセラミックと電子部品を本業とする京セラが、経営の責任を負う中心企業として、巨大なNTTが独占してきた通信市場への新規参入に挑んだ。

詳細を読む
★★★
1985〜1999年通信が本体を変え、祖業が足元から崩れるまで伊藤謙介コネクタ事業のエルコインターナショナルを子会社化
伊藤謙介AVX Corporationを株式交換で子会社化★★
伊藤謙介中国東莞に製造会社Dongguan Shilong Kyoceraを設立
伊藤謙介セラミックパッケージの素材転換に失敗★★
伊藤謙介稲盛和夫氏が代表取締役会長を退任
2000〜2026年完成品への賭けと、多角化が止まらない構造の清算西口泰夫米クアルコムの携帯電話端末事業の承継と、6期連続赤字

2000年2月、京セラは米クアルコムからCDMA方式の携帯電話端末事業を承継し、キョウセラ・ワイヤレス・コーポレーション(KWC)を設けた。稲盛和夫氏が第二電電の設立以来育ててきた端末事業を一気にグローバル化する狙いがあり、京セラが部品メーカーから完成品メーカーへ事業の範囲を広げる判断でもあった。

詳細を読む
★★
西口泰夫京セラミタを子会社化
西口泰夫東芝ケミカルを株式交換方式で子会社化
川村誠三洋電機の携帯電話事業を取得(通信機器)★★
川村誠TA Triumph-Adler AGを子会社化
久芳徹夫デンマークUnimerco Group A/Sを子会社化
久芳徹夫Kyocera Vietnam Management Co., Ltd.を設立
久芳徹夫液晶ディスプレイのオプトレックスを子会社化
谷本秀夫ニューヨーク証券取引所を上場廃止
谷本秀夫空圧・電動工具でグローバル展開
谷本秀夫AVX Corporationの非支配持分を全取得し完全子会社化
谷本秀夫減収減益・電子部品で販売不調へ
谷本秀夫中期経営計画の取り下げと、非中核事業の整理

2025年2月、京セラは2023年に発表した創業以来初の中期経営計画を取り下げ、ノンコア事業からの撤退とKDDI株の一部売却を柱とする構造改革へ切り替えた。2025年3月期に営業利益が前期比7割減の272億円、ROEが0.7%まで落ちたことが直接の引き金であり、稲盛和夫氏が築いた多角化経営そのものの見直しに踏み込む判断となった。

詳細を読む
★★★
谷本秀夫トッパンNECサーキットソリューションズを子会社化
谷本秀夫米 Senco と Fastener Topco を子会社化
出典・参考
  • 京セラ 有価証券報告書 第71期(2025年3月期)【沿革】
  • 証券 1972年10月号(24巻10号・通巻283号)
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
  • 証券アナリストジャーナル 1995年11月号(稲盛和夫・第10回日本証券アナリスト大会記念講演)
  • 私の履歴書 稲盛和夫(日本経済新聞社, 2004)
  • 会社総鑑 1963年版

免責事項およびポリシー