重要な意思決定
IC向け基板をIBMに納入
背景
国内で信用を得られない中小企業が、海外受注に活路を求めた渡米戦略
1959年に設立された京セラは、セラミック技術を基盤とする電子部品メーカーであったが、創業数年の中小企業にすぎず、国内の大手電機メーカーからは取引先として十分な信用を得られなかった。稲盛和夫は「日本の電子機器メーカーが米国企業から技術導入している以上、その大本で採用されれば日本でも販売しやすい」と考え、従業員数100名以下、年間売上高5000万〜1億円の段階から米国市場の開拓に着手した。
1963年に京セラは滋賀県に敷地面積8000坪の新工場を建設し、量産体制の基盤を整備した。従業員数も200名に拡大し、海外からの大口受注に対応できる生産能力を確保した。中小企業が需要の見通しが立たない段階で大型工場を先行建設するのは異例であったが、稲盛は海外受注の獲得を前提に投資を決断した。
決断
IBMのIC用基板を受注し、半導体パッケージ市場への参入を果たす
1966年、京セラは米IBMから「IC用アルミナ・サブストレート基板」の受注に至った。IBMは汎用コンピュータ「System/360」の量産に向けてIC(集積回路)を本格採用しており、ICを搭載するセラミック基板の供給先として京セラを選定した。日本の中小セラミックメーカーが、世界最大のコンピュータメーカーの部品サプライヤーとなった形である。
このIBM向け基板の納入は、京セラにとって半導体向けセラミックパッケージへの本格参入を意味した。1960年代はICの普及自体が途上にあったが、1970年代以降の半導体需要の急拡大に伴い、京セラはパッケージ基板の供給者としての地位を確立していくことになる。IBM取引の獲得は、京セラが電子部品の下請けから半導体産業のサプライチェーンに参入する転換点であった。