積層パッケージの量産投資・世界シェア70%を確保
米フェアチャイルドからの開発要請で、単層から積層への技術転換に挑む
1960年代後半、京セラは米フェアチャイルド社からセラミック製の積層パッケージの開発要請を受けた。従来の半導体パッケージは単層構造であったが、ICの集積度が高まるにつれて配線層を重ねる積層構造が求められるようになった。セラミックの多層焼成は技術的に難度が高く、開発は難航したが、1968年に京セラはセラミック積層パッケージの試作に至った。
しかし1968年時点で積層パッケージに対する市場需要は未知数であった。ICの集積度がどこまで進むのか、積層パッケージがどの程度の規模で採用されるのかは予測できず、京セラは市場が存在するかどうかも不確かな新製品に対して量産投資の判断を迫られた。
需要が不透明な段階で鹿児島に量産工場を新設し、先行投資を断行
京セラは1969年に鹿児島県・川内に新工場を建設し、セラミック積層パッケージの量産体制を構築した。1973年3月期時点の川内工場への投下資本(土地・建物・機械)は5.6億円であり、当時の京セラの売上高70億円前後に対して相応の規模の投資であった。稲盛和夫はこの投資判断について「ギャンブルに近いこと」と振り返っている。
需要が顕在化する前に量産設備を先行して整備するこの判断は、半導体産業の成長を見越した賭けであった。1971年には鹿児島県・国分にも新工場を建設し、生産能力をさらに拡大した。京セラはセラミック焼成の高度な技術を量産工程に落とし込むことで、他社の追随を困難にする参入障壁を構築した。
世界シェア70%を握り、売上高65億円から503億円への急成長を実現
1970年代を通じて半導体市場が急拡大し、京セラのセラミックパッケージ事業は急成長を遂げた。高度な焼成技術が要求されるため競合の参入は限定的であり、1983年には世界シェア約70%を確保するに至った。売上高は65億円(FY1971)から503億円(FY1978)へと拡大し、当期純利益も11億円(FY1971)から68億円(FY1978)へと増加した。
先行投資によって量産体制を早期に確立したことが、高シェア・高収益の両立を可能にした。需要が顕在化してから投資するのではなく、需要が不透明な段階で設備を整えたことで、市場の立ち上がりと同時に供給を開始できた。京セラは急成長ベンチャーとして注目を集め、1971年の株式上場へとつながった。