ペンタックス買収と事業ポートフォリオの入れ替え

2008年実施

複数のニッチ事業を束ねるHOYAは、なぜ医療用内視鏡のためにペンタックスを買い、カメラを切ったのか

更新:

時期 2007年5月
意思決定者 鈴木洋氏(社長)
論点 事業ポートフォリオの入れ替え
概要
2007年、複数のニッチ事業を分散して抱えるHOYAが、医療用内視鏡事業の獲得を主目的にペンタックス(旧・旭光学工業)をTOBと株式交換で子会社化し、2008年3月に吸収合併した経営判断。赤字続きのデジタルカメラ(イメージング)事業は2011年10月にリコーへ譲渡し、医療用内視鏡を残してカメラを切った。
背景
HOYAはメガネレンズや半導体マスクブランクスなど参入障壁の高いニッチ事業を束ねる高収益企業で、光学の技術を応用した医療分野を次の成長の柱に据えていた。相手のペンタックスはカメラ・光学機器メーカーで、2006年12月に両社は2007年10月の合併を発表していた。
内容
2007年4月にペンタックスが合併合意を白紙化し社長が交代する混乱を経て、HOYAは同年5月にTOB(1株770円)と株式交換による子会社化へ切り替えた。夏に発行済株式の過半を取得し、10月に2008年3月31日付の合併契約を締結、社名はHOYAに統一しペンタックスのブランドは残した。
含意
買収後、赤字のデジタルカメラ部門は生産の海外集約と人員の適正配置による事業構造改革を迫られ、2009年3月期には金融危機と円高でのれん等270億円超の減損を計上した。HOYAは医療用内視鏡を残してイメージング事業をリコーへ譲渡し、買収と売却を組み合わせて事業の中身を入れ替えた。
筆者の見解

買収と売却で、事業の中身を入れ替える

この判断の核心は、ひとつの会社を丸ごと欲したのではなく、その中の一事業だけを狙って買い、残りを切り離した点にある。HOYAが求めたのは医療用内視鏡であり、赤字のデジタルカメラは初めから手元に残す前提ではなかった。対等の合併という建前で始まった統合は、ペンタックス側の白紙化という混乱を経て、HOYAが主導権を握るTOBと吸収合併へ姿を変えた。名目こそ揺れたが、内視鏡を取りにいくという狙いは終始ぶれなかった。

買って終わりにしないところに、この会社の資本規律がよく表れている。買収から3年余りで減損という痛みを引き受け、そのうえでカメラ事業をリコーへ譲り、ブランドだけを他社の下で生かした。複数のニッチを束ねて景気変動に強い体質を保つというHOYAの流儀からすれば、伸びしろのある医療を柱に加え、勝ち目の薄いカメラを手放すのは筋の通った組み替えである。買収と売却を組み合わせ、企業の中身を入れ替える——ペンタックスをめぐる4年は、HOYAが繰り返す事業ポートフォリオの入れ替えを、最も鮮明に示す事例である。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

複数のニッチを束ねた高収益企業と、次の柱としての医療

HOYAは光学ガラスを源流に、メガネレンズや半導体用マスクブランクス、光学レンズといった、顧客が限られ参入障壁の高いニッチ事業を分散して抱える会社である。ひとつの市場に頼らない構えは景気の変動に強く、2007年3月期の連結売上は3,900億円、営業利益は1,072億円で、利益率は27%を超えた。潤沢な利益と手元資金を、光学の技術を応用した医療(メディカル)分野という次の成長の柱に振り向けようとしていた[1]

統合相手ペンタックスと、2007年10月の合併合意

相手のペンタックスは、旭光学工業を前身とするカメラ・光学機器メーカーである。一眼レフカメラで知られる一方、医療用内視鏡も手がけていた。2006年12月21日、両社は2007年10月1日に合併すると発表した。規模ではHOYAが上回るなかでの経営統合で、HOYAが狙いを定めていたのは、ペンタックスのカメラ技術そのものより、医療用内視鏡という高収益で伸びしろの大きい事業のほうであった[2]

決断

合併合意の白紙化と、TOBによる子会社化

合意は長くもたなかった。2007年4月10日、ペンタックスはHOYAとの合併を断念したと発表し、同日付で浦野文男社長が退いて綿貫宜司氏が社長に就いた。カメラ事業の切り離しへの警戒が、いったん決まった合併を白紙へ戻す動きにつながったとされる。もっとも、ペンタックスは合併そのものは白紙にしつつ、HOYAとの広い意味での経営統合は今後も検討を続けるとしていた。決裂ではなく、条件を組み替えての再交渉の余地を残す幕切れであった[3][4]

対等の合併という枠組みが崩れると、HOYAは主導権を握る形へ手を打った。2007年5月31日、HOYAはペンタックスを子会社化すると正式に発表する。手段は株式公開買付け(TOB)で、買い付け価格は1株770円とした。買い付けの後には、HOYA株式を対価とする株式交換でさらに持ち株比率を高め、完全子会社化する計画を描いた。ペンタックスは6月に再び社長が交代し、この年の夏のTOBで、HOYAは発行済株式の過半を握った[5][6]

狙いは医療用内視鏡、社名はHOYAへ

TOBで過半を握ったHOYAは、統合を吸収合併の形で仕上げにかかる。2007年10月29日、両社は2008年3月31日付の合併契約を締結したと発表した。当初うたわれた対等の合併ではなく、HOYAを存続会社としてペンタックスを取り込む合併である。かつて「2007年10月」を目標に置いた統合は、白紙化とTOBを経て、半年遅れで別の形に着地した[7][8]

合併後の社名はHOYAに統一された。ただしカメラなどの製品の知名度を考え、「ペンタックス」のブランド名は製品に残す形をとった。買収の主目的は、光学の知識と経験を医療へ応用する内視鏡事業の獲得にあった。HOYAは、アイケアとペンタックスの医療用内視鏡を主力とする医療(メディカル)分野を戦略的な成長分野に据え、ここへ経営資源を優先して振り向ける方針を明確にした。カメラのために買ったのではなく、内視鏡のために買った——それがこの合併の本質であった[9][10]

結果

重い構造改革と減損、そしてイメージング事業のリコーへの譲渡

買い取った事業の中身は、そろって順調だったわけではない。合併後、ペンタックスのデジタルカメラ部門は収益的に最も厳しく、HOYAは生産拠点の海外への集約や人員の適正配置といった事業構造改革を進めた。ペンタックス板橋事業所の工場閉鎖や、益子の資産の遊休化もこの過程で生じている。さらに2008年秋の金融危機と円高が追い打ちをかけ、2009年3月期にはペンタックス部門ののれんやその他固定資産について、270億円を超える減損損失を特別損失に計上した[11][12]

そして2011年7月、HOYAはカメラそのものを手放すと発表した。同年10月1日付で、PENTAXブランドのデジタルカメラや交換レンズなどイメージング事業をリコーへ譲渡する契約である。ペンタックスのブランドは、リコーの下で残った。会見でCEOの鈴木洋氏は、半導体関連は続けつつ、レンズや画像処理を医療分野へ応用する事業を広げていくと語った。買収から4年で、内視鏡=医療を手元に残し、カメラを切り離す入れ替えが完結した[13][14]

出典・参考