ABCマート祖業の卸売を畳み、小売業エービーシー・マートへ一本化した業態転換

営業利益率25%の卸売を残すか、成長余地のある小売へ会社ごと寄せるか

時期 2002年3月
意思決定者(推定) 三木正浩 社長
論点 主力事業の転換と法人再編
概要
2002年3月、インターナショナル・トレーディング・コーポレーション(ITC)が連結子会社の株式会社エービーシー・マートを吸収合併し、同年8月に存続会社の商号を株式会社エービーシー・マートへ変更した。1985年以来の輸入卸から小売専業へ、事業と法人格の両方を移した経営判断。
背景
卸売の売上はホーキンスのブーム一巡で FY1996 の268億円から FY1998 の177億円へ縮んだ。一方で1990年に開いた小売のエービーシー・マートは FY1996 の43億円から FY2000 の137億円へ伸び、グループ内で主力が入れ替わりつつあった。
内容
1999年7月にショッピングセンター(SC)向けの積極出店へ方針を定め、2000年10月に株式を店頭登録。2002年3月に小売子会社を吸収合併して商号を変更し、2002年11月に東京証券取引所市場第一部へ上場した。
含意
営業利益率25%前後の卸売を捨て、地代家賃という固定費を抱える小売へ寄せた選択であった。売上原価はFY2000の142億円からFY2003の224億円へ、地代家賃は6億円から29億円へ膨らんだ一方、営業利益も66億円から90億円へ積み上がった。
筆者の見解

名前を譲るという再編の作法

この判断の面白さは、法人格の残し方にある。存続したのは祖業のITCでありながら、看板は小売子会社のものを名乗った。法務の手続きとしては珍しくない形ながら、会社が自分の来歴のどちらを外へ示すかという選択でもある。三木正浩氏は17年かけて育てた輸入卸の名を対外的に消し、社員数十名で始めた小売の屋号を全社の名前に据えた。畳んだ事業の利益率が25%前後であったことを思えば、収益の良し悪しではなく売り先の数え方で将来を測った判断であったとみることができる。

転換の後に残ったのは、店舗網そのものよりも、輸入卸として蓄えた仕入れの技術であった。ブランドとの直接の交渉、生産委託先の管理、価格の作り方——いずれも小売の売場でそのまま効く。大手ブランドが直販へ傾き、小売店を選別する時代に、その来歴が競争条件として働いている。ただし店舗網の伸びをSCの新設に頼る構造は、卸売の売り先が限られていた問題と形を変えて続いているとみられる。何に依存するかを選び直す判断は、この会社にとって一度きりの作業ではないのかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

卸売がピークを打った

1995年11月、ITCは木村拓哉氏を起用したホーキンスのテレビ広告に40億円を投じた。翌FY1996の単体売上高は268億円に達し、輸入卸としての規模はここで頂点を迎える。ところが大量の露出はブランドの需要を短い期間で使い切り、ブームが去るとFY1997は207億円、FY1998は177億円へ落ちた。特定のブランドの流行に業績の全体が連動する構造が、数字の上で露わになった[1][2]

収益性そのものが悪かったわけではない。卸売の営業利益率は25%前後と高い水準にあり、それだけを見れば畳む理由に乏しい。問題は伸びしろであった。取引先の靴専門店や量販店の数は限られ、扱うブランドを増やしても売り先の総量は変わらない。FY1998からFY2000にかけて単体売上は177億円前後で横ばいとなり、卸売のまま規模を追う道は塞がっていた[3][4]

傘下の小売が主力へ入れ替わる

小売への進出は1990年2月にさかのぼる。上野地区に「ABC-MART」1号店、渋谷地区に「GALLOP」渋谷店など4店舗を同時に開き、同年8月には靴小売を担う連結子会社「有限会社エービーシー・マート」を出資金10百万円で設立した。1997年3月に株式会社へ改組し資本金を100百万円としている。卸売が扱うブランドを、そのまま自社の売場で売る仕組みであった[5]

グループ内の力関係は数年で逆転へ向かった。小売エービーシー・マート単体の売上高はFY1996の43億円からFY2000の137億円へ伸び、同じ時期に卸売のITC単体は167億円まで下がっている。1999年7月には、大規模小売店舗法の改正で新設が相次いだSCへ狙いを定め、テナントとしての積極出店を決めた。2000年10月には日本証券業協会へ株式を店頭登録し、出店を続けるための信用と資金の裏付けも得た[6][7]

決断

親会社が小売子会社を吸収し、その名を名乗る

2002年3月、ITCは連結子会社の株式会社エービーシー・マートを吸収合併した。存続したのは祖業を営むITCの側であり、消えたのは伸びている小売会社の法人格という順であった。ただし同年8月、存続会社は商号を株式会社エービーシー・マートへ変更している。法人としてはITCが残り、名前と事業の中身は小売側が引き継ぐ形の再編であった[8][9]

合併は単独の一手ではない。2000年4月には端株制度を単位株制度へ改めるため、形式上の存続会社である連結子会社の五榮建設と合併しており、2001年からは地方展開で組んだ合弁会社の株式を取得して本体へ束ねている。2002年11月には東京証券取引所市場第一部へ上場した。資本の制度、地方の店舗運営、事業の中身、上場市場の順に、卸売の会社を小売の会社へ組み替える作業が3年ほど続いた[10][11]

高い利益率を手放して固定費を抱える

経営の判断としては、利益率の高い事業を残して低い事業を切るのが定石にあたる。ここではその逆を選んだ。営業利益率25%前後の卸売を畳み、家賃と人件費を毎月払い続ける小売へ会社を寄せている。売り先の数に上限がある商売と、店舗を増やせば売上が増える商売のどちらに将来を賭けるかという比較で、伸びしろの側を採った選択であった[12]

売場の性格も一つに絞らなかった。SCテナントとしての出店で初期投資を抑えつつ、2000年10月には銀座6丁目に土地を取得して営業面積631平方メートルの店を開いている。2000年3月期にはこの銀座店の土地取得に19億円を投じた。郊外SCで数を稼ぎ、都心の路面店で商品の見せ方と価格帯の上限を示すという、二つの売場を並べる構えであった[13]

結果

固定費を売場の数で回収する会社になった

転換の代償と成果は、費用の構成に現れた。FY2000からFY2003にかけて売上原価は142億円から224億円へ、地代家賃は6億円から29億円へおよそ5倍に膨らんだ。同じ期間に広告宣伝費は19億円から16億円へ抑えられている。卸売時代のように広告で需要を作るのではなく、売場の数と立地で客に会う会社へ移った様子が費目の増減に表れた。営業利益も66億円から90億円へ積み上がった[14][15]

店舗数の伸び方は卸売時代の売上の伸び方を上回った。国内グループの店舗数はFY1999の21店からFY2011の650店、FY2019にはSCとその他を合わせて1,016店へ増えている。20年で約48倍にあたる。連結売上高は2003年2月期の389億円から2026年2月期の3,786億円となり、卸売のピークであった268億円は、転換から四半世紀を経た現在の規模の1割に満たない[16][17]

商社であった来歴が小売の武器になった

小売へ寄せた後も、卸売時代に築いたブランドとの関係は切れなかった。2022年、大手ブランドが小売店を選別して直接販売を強める変化のなかで、週刊東洋経済は「靴や衣料品の輸入販売商社が祖業のエービーシー・マートは、現在もナイキなどと強いパイプを持つ」と記し、市場関係者の見方として「エービーシー・マートの独り勝ち」を伝えた。仕入れの交渉力は法人格の組み替えでは失われなかった[18]

一方で、SCテナントを主軸に置いた店舗網は、SC市場の拡大という外部の条件に業績が結びつく構造でもある。SC店舗は2012年の317店から2022年の616店へ倍増し、1,000店体制の中核を占めた。新設ペースが鈍り、通販が広がる場面では、同じ構造が客足の細りに直結する。卸売の売り先が限られていたことを理由に転換したはずの会社が、別の外部条件に依存する形は残った[19]

出典・参考
  • エービーシー・マート 有価証券報告書【沿革】
  • エービーシー・マート 有価証券報告書(連結)
  • エービーシー・マート DATA BOOK 2001
  • エービーシー・マート 有価証券報告書・FACT BOOK
  • 戦略経営者 2000年7月号
  • 週刊東洋経済 2022年7月23日号「ナイキの「選別」で激震 靴小売りを揺さぶる地殻変動」
  • エービーシー・マート公式サイト「ABC-MART の歴史」

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