シップヘルスケアホールディングス医療コンサルと写真フィルム販売からSPD(院内物流代行)主体への転換
病院にモノを納め続けるか、病院の在庫を丸ごと引き受けるか
- 概要
- 1997年2月、創業5年目のグリーンホスピタルサプライがSPD(サプライ・プロセシング・ディストリビューション、院内物流代行)事業を始め、病院に商品を納める商社から、病院の材料在庫と院内配送を預かる事業者へ主力を移した経営判断。
- 背景
- 病院の費用は人件費と医療材料費が大半を占め、材料の発注・在庫・院内配送は病院が自前で抱えたまま手つかずに残っていた。診療報酬改定が続き、病院側にコスト削減の余地を探す動機があった。
- 内容
- 1997年2月にSPD事業を開始し、院外の倉庫から病院各部署の棚へ直接補充する院外SPDに注力した。1999年10月には祖業にあたるメディカルイメージング部門を富士フイルムメディカル西日本へ営業譲渡し、写真フィルム商権から手を引いた。
- 含意
- 病院内の棚の物品まで自社在庫となり運転資金は増えるが、1社がすべての診療材料を管理する契約のため取引は深くなる。2026年3月末のSPD受託は277件・約102,000床、メディカルサプライ事業の売上は連結の71.0%を占める。
棚を預かるという条件を選んだこと
この転換の要点は、新しい商材を見つけたところではなく、病院の在庫を自社の負担として引き受けたところにある。院外SPDでは病院内の棚に並ぶ物品まで同社の在庫となり、必要運転資金は従来の納品形態より増える。有価証券報告書はそれをリスクとして書き、同時に、1社がすべての診療材料を管理する契約であるがゆえに他社に取られれば取引ごと失うとも書いた。取りにくく、失いやすい。その代わり、いったん入れば病院の物流の内側に居続けられる。医療機器商社の値引き競争とは別の条件に賭けた選択とみられる。
賭けの対価は、祖業の商権であった。1999年10月に富士フイルムメディカル西日本へ譲ったメディカルイメージング部門は、創業3カ月後に始めた富士写真フイルム製品の販売そのものにあたる。稼ぎ頭を手放して未整備の受託業務へ資源を寄せる判断が、当時どれほどの確信に支えられていたかは記録に残っていない。ただし結果は数字で残った。1997年2月に始めた院内物流の代行は、2026年3月期に5,095億円を売る事業になっている。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
コンサルと物販を分けて並走させた創業期
1992年8月、古川國久社長は大阪府吹田市に株式会社シップコーポレーションを設立し、医療・保健・福祉の各施設を対象とする企画コンサルティング業務を始めた。その3カ月後の同年11月、別法人としてグリーンホスピタルサプライ株式会社を設け、レントゲンフィルム・自動現像機など富士写真フイルム製品と医療用機器の販売に入った。企画を売る会社と物を売る会社を分けて並走させる構えであり、現金を生んだのは後者の商品販売であった[1]。
続く数年で周辺の機能も揃えた。1994年1月に株式会社保健医療総合研究所、同年3月に日星調剤株式会社を設立し、1995年6月には医療機関等に対するリース事業を始めている。1995年12月にオルソメディコ、1997年2月には株式会社カテネットコーポレーションを設けた。病院の企画から機器・材料の供給、資金の手当てまでを一つの会社群で受ける構えは整ったが、いずれも病院に何かを納める商いであり、病院の内側の業務そのものを預かる事業はまだ持っていなかった[2]。
病院の費用構造に残されていた院内物流
病院の支出は人件費と医療材料費に偏る。同社が後年まとめた資料は、病院費用の76%が人件費と医療材料費であると示している。第3代社長の大橋太氏は、材料費が病院の経費の約4分の1を占めるまでになり、その適正な管理なしには病院の持続的な健全経営が難しい時代になったと述べた。それでも材料の発注・在庫・院内配送は病院が自前で抱えたままで、外部の事業者が引き受ける習慣はほとんどなかった[3][4]。
この領域を外部が一括して引き受ける仕組みがSPD(サプライ・プロセシング・ディストリビューション、院内物流代行システム)である。同社は後年の有価証券報告書で、医療機関がコスト削減と経営効率化の観点から、医療現場で用いる物品の供給・在庫・消費を一括管理する物流管理システムの導入を進めていると説明した。狙う相手は、地域の急性期医療で中心となる地域基幹病院であった。病院に商品を並べて売る競争とは、そもそも勝負する場所が違っていた[5]。
決断
1997年2月、院内物流の代行という契約を持ち込む
1997年2月、旧グリーンホスピタルサプライがSPD事業を開始した。有価証券報告書の沿革は、この一行を同月のカテネットコーポレーション設立と並べて記している。病院に対して診療材料を都度納品する取引から、発注・保管・院内配送までを契約で丸ごと受託する取引へ、商いの単位を切り替える判断であった。当時の日本の病院で、この業務を外部に切り出す例はまだ少なかった[6]。
同社が主力に据えたのは、院外の業者倉庫から病院各部署の棚へ直接物品を補充する院外SPDであった。医療機関は消費した物品だけを購入し、病院内に置かれた分を含めて在庫は同社が保有する。その分だけ必要運転資金は従来の納品形態より増える。加えて、1社の販売業者がすべての診療材料・医療用消耗品を管理・供給する契約であるため、他社に取られれば取引そのものを失う。有価証券報告書はこの二つを事業等のリスクとして明記した。重い条件を引き受ける代わりに、病院との取引を深いところまで一本化する取引条件であった[7]。
1999年10月、祖業の写真フィルム部門を手放す
1999年10月、旧グリーンホスピタルサプライはメディカルイメージング部門を富士フイルムメディカル西日本株式会社へ営業譲渡した。創業3カ月後に始めた富士写真フイルム製品の販売こそがこの物販会社の出発点であり、その部門を7年で手放した。同じ月に中国営業部(現 中国事業部、広島市西区)を開設し、2000年6月には東京営業所(現 首都圏事業部、東京都中央区)を置いている。畳んだのは祖業の商権であり、広げたのは営業の版図であった[8]。
以後の子会社化も、材料の供給網とその周辺へ寄っていく。2000年10月に誠光メディカル、2001年10月に多治川経営企画、2003年1月にユナイト、2004年6月に有限会社わかばを取り込んだ。2002年3月には親会社のシップコーポレーションが旧グリーンホスピタルサプライを吸収合併し、「グリーンホスピタルサプライ株式会社」へ商号を変えている。有価証券報告書が合併の理由として挙げたのは、経営基盤の強化と経営効率の向上であった。コンサルティング会社として登記された法人が、物販会社の名を名乗った[9]。
結果
メディカルサプライという一つの事業区分になるまで
2006年3月期の有価証券報告書で、同社の事業はトータルパックシステム・メディカルサプライ・ヘルスケアの3事業に整理された。メディカルサプライ事業は病院への診療材料・医療用消耗品の販売を担い、通常のルート営業に加えて院外SPDシステムによる販売を柱に据えている。院外SPDによる一括供給の受注先は2006年3月末で21医療機関。SPD開始から9年で、院内物流の代行は事業区分の名前を得た[10][11]。
受託はその後も積み上がった。2025年3月末のSPD受託は全国272件・約100,000床で、前期末より24件増えている。大橋社長は500床以上の病院の約8割にSPDを導入したと述べた。2026年3月末には277件・約102,000床となり、メディカルサプライ事業の売上高5,095億円は連結売上高7,181億円の71.0%を占めた。1992年に富士写真フイルム製品を売って現金を稼いだ会社の中身は、病院の在庫を預かる事業に入れ替わった[12][13][14]。
- グリーンホスピタルサプライ 有価証券報告書(2006年3月期)【沿革】【事業の内容】【事業等のリスク】
- シップヘルスケアホールディングス 2025年3月期 決算説明資料(中期経営計画 SHIP VISION 2030)
- シップヘルスケアホールディングス 2026年3月期 決算説明会資料
- 日経ESG(2022年2月17日)「シップヘルスケアホールディングス・大橋太社長「先進の物流管理システムで医療界に貢献」」
- 日経ESG(2024年4月1日)「シップヘルスケアホールディングス・大橋太社長「物流データから病院経営を支援」」