決断
立地も店の運営形態も、まとめて入れ替える形でしか変えてこなかった。1975年、名古屋市内に100店を構えた時点で都心の60店を5年かけて閉じ、郊外のロードサイドへ80店を振り替えた。1979年には岐阜へ"靴流通センター"1号店を出し、地名を冠した小型・駐車場付きという店舗形式を定めた。1987年3月には直営店を、粗利益の75%をオーナーへ渡す販売委託店へ切り替えた。本部の取り分を売上の約1割に抑える代わりに1店当たりの経常利益を131万円から282万円へ倍増させ、1990年1月の名古屋証券取引所第2部上場につなげている。1994年2月の不採算180店を1年で閉じる一括閉鎖も振り方は同じだった。一括で入れ替える速さは1987年2月期までの1年で253店という出店を可能にし、同じ速さが閉店の側でも働いた。
1994年2月 不採算店の一括閉鎖
不採算店の一括閉鎖個人消費の低迷と郊外型ショッピングセンターの台頭で既存店の売上が減少し、拡大を前提に積み上げた店舗網の不採算部分を一括で切り離した同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移1993 1994 1999 売上高(億円) 1,547 1,703 1,380 純利益率(%) 1.8 0.6 -2.2 1987年3月 オーナーシステムの導入
業績の推移1986 1987 1992 売上高(億円) 440 650 1,300 純利益率(%) − − 1.6 1975年 郊外ロードサイド店への転換