180店舗を閉鎖
郊外小型店モデルの前提崩壊
靴のマルトミは1970年代後半以降、郊外ロードサイドを中心に小型専門店を多店舗展開することで成長してきた。大店法の下では大型商業施設の出店が抑制されており、生活動線上に立地する単独店舗でも一定の集客が見込めた。1980年代後半にはチェーン展開を加速させ、店舗数の拡大によって売上規模を押し上げていった。
しかし1990年代に入ると前提条件が変化した。大店法の運用緩和を背景に郊外型ショッピングセンターが増加し、靴専門店が同一施設内で競合する構造が生まれた。単独立地の小型店は集客力で劣後し、価格訴求や商品回転率でも不利な立場に置かれるようになった。従来の成長モデルは制度と立地に強く依存しており、その前提が崩れ始めていた。
不採算店舗の一斉整理実行
1994年、マルトミは不採算化した店舗を中心に約180店を一気に閉鎖する決断を下した。これは段階的な縮小ではなく、短期間での大規模な整理であった。売上減少が進む小型店を温存すれば、固定費負担が連鎖的に全社収益を圧迫すると判断されたためである。
閉鎖対象となったのは、郊外ロードサイドの小規模店舗や集客力が低下した立地が中心であった。店舗網拡大による成長戦略を明確に断ち切り、収益性と事業構造の立て直しを優先する判断であった。この時点で、量的拡大よりも採算性を重視する方針へと転換した。
成長モデル転換の痛み
約180店の大量閉店は、短期的には売上規模の縮小を伴ったが、固定費圧縮という効果をもたらした。一方で、急激な店舗整理は成長企業としての勢いを失わせ、市場や取引先に対して事業の不安定さを印象づける結果ともなった。
この大量閉店は、郊外小型店モデルが構造的に限界を迎えていたことを明確に示した出来事であった。マルトミは以後、出店拡大を前提とした経営からの転換を迫られ、事業モデルそのものの再構築に向き合うことになる。1994年の大量閉店は、同社にとって不可逆的な転換点となった。