重要な意思決定
丸富靴店を開業
背景
下駄から靴への転換期
1950年、冨永光行(靴のマルトミ創業者)は名古屋市内に「丸富靴店」を開業し、靴の販売事業に参入した。当時の日本では日常履きの主流は下駄であり、靴は一部の都市部サラリーマンが用いる高級品であった。このため、靴は職人が一人ひとりの足を測って仕立てる高価格な注文品が中心で、価格は大卒初任給に匹敵する水準にあり、一般庶民が気軽に購入できる商品ではなかった。
冨永はこの状況を、市場が未成熟である一方、価格と供給方法を変えれば需要が顕在化する余地があると捉えた。靴が高価なのは品質ではなく生産方式に起因していると考え、従来の注文靴とは異なる提供方法を模索していた。
決断
既製靴による低価格販売
冨永は靴工場を回り、流れ作業による既製靴の製造を提案した。当時は靴を既製品として大量生産する発想自体が珍しく、工場側からは否定的な反応も多かったが、1足600円での製造を実現した。丸富靴店ではこれを1000円で販売し、従来の注文靴に比べて大幅に低い価格帯を打ち出した。
この価格設定は、靴を特別な耐久財ではなく日常消耗品として位置づけ直すものであった。夫婦2人による小規模経営ながら、仕入れと販売に集中した結果、既製靴は飛ぶように売れ、短期間で大きな利益を生み出した。丸富靴店の創業は、後の多店舗展開において、低価格商品の大量販売というチェーン店方式の原型となった。