市販薬子会社・第一三共ヘルスケアのサントリーHDへの譲渡

高収益の優良事業を、なぜ2,465億円で手放すのか——革新的医薬への集中をめぐる選択

更新:

時期 2026年4月
意思決定者 奥澤宏幸・取締役会 社長兼CEO
論点 市販薬事業の切り離しと革新的医薬への集中
概要
2026年3月31日の取締役会決議を経て、第一三共は4月15日、市販薬(OTC)を手がける連結子会社・第一三共ヘルスケアの全株式をサントリーホールディングスへ譲渡する契約を締結した。譲渡価額は合計2,465億円(予定)で、2026年6月の30%譲渡を皮切りに2029年6月までに段階的に完了する見通しである。
背景
医療用医薬品を主力とする新薬メーカーが市販薬事業を切り離す動きは、新薬開発コストの膨張を背景に世界で20年ほど進んできた。第一三共は抗がん剤「エンハーツ」「ダトロウェイ」を軸にグローバルな革新的医薬品企業への転身を進めており、そのための経営資源をどこに寄せるかが問われていた。
内容
第一三共ヘルスケアは解熱鎮痛薬「ロキソニン」や総合感冒薬「ルル」などを擁し、市販薬の国内シェアは大正製薬に次ぐ2位。2025年3月期は売上高約760億円・営業利益率約17%と高収益で、純資産の約3.6倍にあたる価格が付いた。第一三共は経営資源をオンコロジー事業に集中させる方針を掲げた。
含意
4期連続で営業増益を続けた優良事業を手放す判断であり、受け皿は健康領域の開拓を進める非上場のサントリーHDとなった。両社にはかつて医療用医薬品事業を売買した縁があり、がん路線を敷いた元CEOもサントリー出身であった。移行は出資比率を漸減させる設計がとられている。
筆者の見解

集中がもたらす軽さと重さ

この判断の核心は、稼げる事業であっても本業の隣に置き続けることの意味を問い直した点にあるとみることができる。第一三共ヘルスケアは高い収益とブランドを備えた優良子会社であったが、抗がん剤の世界競争に資源を集めようとする会社にとって、市販薬は顧客も営業も流通も別に構える異質なインフラであった。好調なうちに、しかも縁の深い相手へ渡すという段取りには、事業の値を最も高く評価してくれる先へ託そうとする発想がうかがえる。切り離しの巧拙は、痛んでから手放したのではなく、価値があるうちに選んで手放した点にあらわれている。

もっとも、集中は身軽さと引き換えに退路の一つを畳む選択でもある。エンハーツとダトロウェイという2剤への依存度が高まるほど、適応拡大や後続候補の成否が業績を大きく左右する構図が濃くなっていく。安定した市販薬の収益は、その振れをならす緩衝材でもあった。渡した優良事業の対価を、集中させたがん領域がどれだけ上回る成果へ変えられるか——第一三共が選んだこの判断の当否は、これから数年の抗がん剤事業の伸びのなかで、静かに測られていくとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

新薬メーカーが市販薬を手放す潮流

医療用医薬品を主力とする大手新薬メーカーが市販薬事業を切り離す動きは、ここ20年ほどで世界的に進んできた。国内でも2004年に中外製薬がライオンへ、2006年にはアステラス製薬が第一三共へ、2021年には武田薬品工業が投資ファンドの米ブラックストーンへ市販薬事業を譲渡している。第一三共による今回の譲渡は、こうした流れのなかでは、むしろ遅い部類に入る選択であったとみることができる[1]

背景にあるのは新薬開発コストの膨張である。医薬品の開発には10年以上を要し、世界で展開するための臨床試験には数百億から数千億円がかかる一方、製品化にこぎ着ける確率は2万から3万分の1まで下がっているとされる。市販薬はこれとは異なるローカルビジネスで、顧客はドラッグストアや薬局が中心となり、流通や情報提供のための営業も別に構える必要がある。同じ資源があるなら新薬開発へ回したいと考えるのが自然な発想であったといえる[2]

がん企業への転身と第一三共ヘルスケア

第一三共は目下、グローバルな抗がん剤企業への転身を進めるさなかにあった。2019年に米国で初めて承認された乳がん・胃がん治療薬「エンハーツ」は、1剤で2025年度に8,000億円規模を売り上げると見込まれ、2024年末に承認された抗がん剤「ダトロウェイ」も急拡大していた。この2剤の適応を広げる臨床試験がいくつも並行して進み、後継の抗がん剤候補の育成も控えるなかで、経営資源をどこへ寄せるかが問われていた[3]

手放す対象となった第一三共ヘルスケアは、切り離すのが惜しいほどの優良事業であった。2025年3月期の売上高は約760億円で、その6割ほどを市販薬が占め、解熱鎮痛薬「ロキソニン」や総合感冒薬「ルル」を主力とする。市販薬の国内シェアは大正製薬に次ぐ2位で、4期連続の営業増益と約17%の営業利益率を示していた。本業のがん事業とは顧客も営業のかたちも異なる別インフラであった点が、切り離しの前提にあった[4]

決断

2,465億円・段階譲渡という設計

2026年3月31日の取締役会決議を経て、第一三共は4月15日、第一三共ヘルスケアの全株式をサントリーホールディングスへ譲渡する契約を締結したと発表した。譲渡価額は合計2,465億円(予定)で、純資産の約3.6倍にあたる。奥澤宏幸社長は、サイエンスとテクノロジーの強みを活かして経営資源をイノベーティブ医薬品事業、とりわけオンコロジー事業に集中させる方針を、譲渡の目的として掲げた。市販薬という収益源を切り離してでもがんへ資源を寄せる意思が、そこに表れていた[5]

譲渡は一括ではなく段階的に組まれた。2026年6月にまず発行済株式の30%をサントリーHDへ渡し、2029年6月までに完了する予定となっている。同時代の報道は、第一三共の出資比率を漸減させるこの設計を、波乱なく体制移行を進めるための工夫と読み解いた。ブランド力の高さや高収益ぶりを踏まえれば、純資産の約3.6倍という価格は妥当な水準とみられていた[6]

サントリーとの縁と受け皿の狙い

受け皿となったサントリーHDにとって、この買収は健康領域の開拓と結びついていた。アルコール離れなどで国内酒類市場が縮む中、同社は海外展開に加えて健康分野に力を注ぎ、サプリメントや特定保健用食品をグループ内で多数手がけている。市販薬と健康食品・飲料の親和性は高く、そこに第一三共ヘルスケアのブランドを加えれば、予防から不調時の対処までを一貫して担えるとみていた。医療用医薬品には関心がなく、あくまで市販薬と健康事業の重なりに狙いがあったといえる[7]

両社にはかつて事業を売買した縁もあった。旧・第一製薬は2002年、サントリーが手がけていた医療用医薬品事業を買収しており、2010年から2019年まで第一三共のCEOを務め、現在の抗がん剤路線へと会社を導いた中山譲治氏は、このときサントリーから移籍した人物であった。現在の日本事業を率いる上野司津子取締役も同じくサントリー出身であり、譲渡先としてのサントリーHDは、第一三共にとって縁の深い相手であったとみることができる[8]

結果

優良事業を手放す代償と移行の設計

この譲渡が、単純な不採算事業の切り離しではなかった点に注意がいる。手放すのは4期連続で営業増益を重ねてきた高収益事業であり、その製品はこれまで第一三共の研究開発力やブランドという後ろ盾に有形無形に支えられてきた。売られる側の社員の胸中は複雑であるとみられ、営業の役割も、市販薬では適正使用や副作用の情報提供が欠かせない点で、サントリーのサプリメント事業とは異なっていた。優良事業を渡す代わりに得た資金と身軽さを、がんへの集中でどこまで生かせるかが問われる[9]

移行は2026年6月の30%譲渡から始まり、2029年6月の完全子会社化までおよそ3年をかけて進む。譲渡価額の2,465億円は現時点の概算であり、契約に定める価格調整によって最終額が修正される余地が残されている。第一三共は市販薬という収益の一角を手放し、稼ぐ力をエンハーツやダトロウェイに代表される抗がん剤へ振り向ける構図へと移った。この選択が実を結ぶかは、渡した事業の対価と、集中させた領域から生まれる成果との比較にかかっているとみられる[10]

出典・参考