ニチアス国内外のアスベスト含有製品の製造・販売を全面終了

政令が残した限定使用の例外を、使わずに畳むという選択

時期 2006年12月
意思決定者(推定) 川島吉一 社長
論点 石綿含有製品からの全面撤退
概要
ニチアスは、国内では2006年12月末日、海外では2007年3月末日をもってアスベスト含有製品の販売を中止した。1896年の創業から110年、石綿を扱ってきた同社が、その取扱いを終えた判断である。
背景
2005年6月のクボタによる被害公表を機に、石綿関連企業の被害実態の公表が相次いだ。経済産業省が同年7月に公表した石綿製品製造企業89社の調査では、ニチアスの被害者数が165人と最も多かった。2006年3月には石綿健康被害救済法が施行されている。
内容
2006年9月1日施行の労働安全衛生法施行令の改正により、石綿および石綿を重量の0.1%を超えて含有するすべての物の製造・輸入・譲渡・提供・使用が禁止された。同社は例外として限定使用が許された製品についても、顧客から代替化推進の理解を得て販売を取りやめた。
含意
撤退の直後にあたる2007年3月期は単体売上高1647億円・経常利益142億円と業績が伸びた一方、同年10月には耐火材の性能偽装が発覚し、300億円の補修費用を特別損失に計上して2008年3月期は119億円の純損失となった。
筆者の見解

素材を返上した後に残ったもの

110年扱った素材から手を引くという判断は、実務としては最後の数%を落とす作業でしかなかった。主力のシール材も摩擦材も建材も、2004年までに石綿を外し終えている。それでも2006年12月と2007年3月という2つの期日が意味を持つのは、法が例外として残した余地を自分から返上した点にある。使える権利を使わないという決め方は、損益の計算からは出てこない。

一方で、素材を替えることと組織のふるまいを替えることは別であった。石綿含有製品の販売を終えた半年後に耐火材の性能偽装が表に出て、補修費用300億円が計上され、翌期は赤字となる。素材の名を社名から外して26年、製品から外して2年が経った時期の出来事であった。ニチアスは現在も製品中アスベスト情報の検索サイトを公開し、過去に売った製品の石綿含有の有無を誰でも照会できる状態を保っている。手放した素材との関係は、販売終了の期日では終わらなかった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

2005年、被害の公表が業界を横断した

2005年6月29日、クボタが旧神崎工場(兵庫県尼崎市)で従業員78人が石綿が原因とみられる病気で死亡し、15人が療養中であると公表した。周辺住民3人にも中皮腫の発症が確認され、同社は1人200万円の見舞金の支払いを決めている。石綿被害で企業が周辺住民に見舞金を払うのは初めてであった。この開示を受けて、被害の事実を明らかにしてこなかった各社が公表へ動く。週刊東洋経済は、かつてアスベスト建材最大手であったニチアスをその代表格と伝えた[1]

経済産業省は2005年7月15日、石綿製品を製造する企業89社の被害調査結果を公表した。死亡者374人、療養中88人、被害に遭った従業員は退職者を含めて462人にのぼる。このうちニチアスは165人(うち死亡者144人)と被害者数で突出していた。同社は7月9日に住民説明会を開き、退職者や季節労働者の被害を把握するため全国紙に社告を載せて健康診断などの個別対応を進めると説明している。石綿を1970年代に危険と認め、1971年に青石綿製品の製造を中止した会社であっても、被害の広がりは残った[2][3]

救済と禁止、2つの制度が2006年に動いた

制度の側も2006年に動いた。3月27日、石綿による健康被害の救済に関する法律が施行される。労災保険の対象とならない工場周辺の住民などを救済するための仕組みで、中皮腫、肺がん、著しい呼吸機能障害を伴う石綿肺および びまん性胸膜肥厚を指定疾病とし、医療費や療養手当、特別遺族弔慰金などを給付する内容であった。企業ごとの補償に委ねられていた領域に、公的な受け皿が設けられた[4]

続いて2006年9月1日、労働安全衛生法施行令の改正が施行され、石綿および石綿を重量の0.1%を超えて含有するすべての物について、製造・輸入・譲渡・提供・使用が罰則つきで禁止された。ただし、代替品がまだ確立していない一部の用途には、当面の限定使用が認められる。石綿を主原料として110年商ってきた同社にとって、この例外を使い続けるか、使わずに終えるかが残された選択であった[5]

決断

例外を使わず、期日を切って畳む

同社は、限定使用が許されたアスベスト含有製品についても販売を続けない道を選んだ。多くの顧客から代替化を進めることへの理解を得たうえで、国内では2006年12月末日、海外では2007年3月末日をもって販売を中止している。政令が禁止したのは製造・輸入・譲渡・提供・使用であり、例外の範囲であれば商いは続けられた。それを国内3カ月、海外6カ月の期限を切って自ら閉じた点に、この判断の内容がある[6]

顧客の理解という条件は、シール材や断熱材の商いでは軽くない。プラントや船舶の配管に入るガスケット、パッキンは、設計図と施工基準に品名で書き込まれており、素材を替えるには相手方の仕様を書き替えてもらう必要がある。1971年の特定化学物質等障害予防規則への指定を機に無石綿化へ入ってから35年、代替品の性能を顧客に認めさせる作業を積み重ねたうえで、最後の一部を落とす段になっていた[7]

最後に残っていたのは主力ではなかった

2006年に終えた石綿含有製品は、当時の同社の売上を支える製品群ではない。同社が公表した製造経緯によれば、羽島工場のグランドパッキンとうず巻き形ガスケットは2003年まで、王寺工場の軟質・硬質摩擦材は2004年まで、袋井工場と王寺工場の石綿ジョイントシート・石綿糸・石綿織布は1999年までで石綿を含む製造を終えていた。建材は1992年10月に全製品が無石綿化されている[8][9]

それでも、この終了は同社にとって象徴の意味を持った。1896年4月に大阪市福島区で石綿製品の取扱いを始めてから110年、社名も「日本アスベスト」であった会社が、石綿を含む製品を1つも売らない状態に入る。1981年に社名から素材の名を外し、1992年に建材を無石綿化し、2003年から2004年にかけてシール材と摩擦材を終え、最後に限定使用の例外を返上するという順序であった[10]

結果

撤退の翌年に来た別の損失

石綿を落としても事業の規模は縮まなかった。海外での販売終了を含む2007年3月期の単体業績は、売上高1647億円、営業利益145億円、経常利益142億円、当期純利益76億円で、前期の売上高1395億円から伸びている。設備投資需要の好調と買収した事業の上乗せが効いた期であり、110年扱った素材を手放したことによる目立った落ち込みは、この年の損益には表れていない[11][12]

損失は別の方向から来た。2007年10月16日に匿名の内部告発文書が同社へ届き、住宅の軒裏などに使う耐火材の性能偽装が明らかになる。2001年2月から2005年8月にかけて国土交通大臣が認定した20件で耐火性能を水増しし、うち16件は基準の3分の2程度の性能しかなかった。偽装された製品はすでに4万棟で使われており、同社は補修費用として300億円を特別損失に計上した。2008年3月期は119億円の当期純損失となる[13][14]

出典・参考

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