決断
社名も主原料も返上して、断熱とシールという機能だけを残した。1970年代後半に欧米で石綿規制が現実化すると、1981年10月、創業以来85年使った日本アスベストの商号を返上し、主原料を代替素材へ切り替える転換に入った。素材の差し替えはガラス繊維・セラミック繊維・ロックウールへ順に進んだ。2005年6月のクボタによる周辺住民の被害公表を経て、2006年5月には羽島工場の石綿含有製品で社内基準値を超える飛散を公表し、出荷を停止する。同年12月に国内、翌2007年3月に海外でアスベスト含有製品の製造・販売を全面的に終えた。1987年4月の事業部制で分けた工業製品・建材・工事という区分は、素材を入れ替えたあとも残った。
2006年12月 アスベスト製品を全廃
アスベスト製品を全廃石綿の全面禁止を定めた政令の施行と、被害公表が相次いだ社会環境のもとで、法が残した限定使用の例外も使わずに石綿含有製品の製造・販売を国内外で終えた判断同じ経営論点に直面した企業 | 事業売却・撤退業績の推移2006 2011 売上高(億円) 1,395 1,441 営業利益率(%) 7.2 7.8 1981年10月 アスベストを社名から除外
業績の推移1980 1981 1985 売上高(億円) 500 633 712 経常利益率(%) 3.4 4.6 3.8 1959年10月 祖岳製作所を合併