クボタ旧神崎工場の石綿疾病の公表と、周辺住民への見舞金・救済金の支払い
因果関係が決まる前に払うのか、決まるまで待つのか——法的責任が定まらない段階での選択
- 概要
- 2005年6月29日、クボタが旧神崎工場(兵庫県尼崎市)で78人の社員が石綿を原因に死亡し15人が療養中であると発表し、あわせて工場の周辺住民に石綿との関連が疑われる患者がいることを明らかにして、中皮腫を発症した住民3人へ1人200万円の見舞金を支払うと言明した経営判断。幡掛大輔社長の下で、因果関係が確定しない段階の支払いに踏み込んだ。
- 背景
- 社内で最初の石綿疾病による死亡者が出たのは1979年2月で、以後は労災申請と会社独自の上積み補償で処理されてきた。旧神崎工場では石綿管の製造に従事した者の47.8%が石綿疾病を発症していた。2005年4月、地元議員を通じて工場の周辺に患者がいるとの情報が初めて社に入った。
- 内容
- 見舞金には支援団体を通じていること、中皮腫の診断書、石綿を扱う職歴がないこと、1954年から1995年までの間に近隣に居住していたことという基準を置いた。翌2006年4月には患者・家族・支援団体との協議を経て、最低2,500万円・最高4,600万円の救済金支払い規程へ改めた。
- 含意
- 石綿健康被害救済金等として2006年3月期に33億円、2007年3月期に29億円を特別損失に計上した。周辺住民の被害で企業の責任を認めた初の判決は2012年8月で、支払いはそれを7年先んじていた。救済金の対象は2025年12月末までに414名に達している。
認定を待たずに払うということ
「言い逃れはしない」という言葉が誌面に残ったのは2005年7月であった。だが社内で最初の石綿疾病死亡者が出た1979年2月から26年間、会社はこの問題を労災申請の枠内で処理し、上積み補償の合意書には請求権の放棄と機密保持の条項を置いていた。外へ開いたのは、周辺住民の患者が現れてからである。幡掛大輔社長自身が、住民の被害がなければこの形での公開はなかったかもしれないと認めており、公表を自発的な決断と読むのは難しい。
ただ、開いた後の速さは別に見る値打ちがある。中皮腫の住民3人への200万円の見舞金は、1年足らずで最低2,500万円・最高4,600万円の救済金規程に置き換わった。因果関係を認める判決が出たのは2012年8月で、支払いはそれを7年先んじている。幡掛社長自身が発症までの潜伏期間の長さに触れていたことを踏まえれば、認定を待たない支払いには、待てない人に届くという意味があったとみられる。累計261名という社内の記録は、今も年ごとに更新されている。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
労災の枠内で処理された26年
クボタの社内で最初の石綿疾病による死亡者が出たのは1979年2月であった。以後は労災申請の手伝いと、労災認定を受けた者への会社独自の上積み補償で対応してきた。1990年代前半には療養中の在籍社員に一時金1,500万円、死亡時に1,700万円を支給する制度を整えている。上積み補償は1人当たり3,000万円前後、累計で20億円強に達し、発生した期ごとに福利厚生費として処理されていた[1][2]。
工場の内側の実態は重かった。旧神崎工場で石綿管の製造に従事した者のうち47.8%が石綿疾病を発症しており、在籍10年以上ではほぼ半数に及んだ。青石綿を使っていたのは1954年から1975年までである。幡掛大輔社長は、当時の生産過程では石綿にこれほどの害があるという認識がなく、発症までの潜伏期間が長いこともあって早期の対策を打てなかったとし、今になって言えば確かに配慮は足りなかったと述べた[3][4]。
工場の外に出た被害
事態が動いたのは2005年3月からであった。二つの市民団体を通じて患者からの相談が尼崎市議に持ちかけられ、クボタ労組出身の同僚議員と協力して会社と接触する。4月12日の初回の会談で会社側はデータ提供の求めに応じなかったが、4月21日の二度目の会談で対応を変え、ほぼ要望どおりの情報を開示した。4月26日には患者住民3人を加えて会談し、5月下旬に見舞金の支払いを内規として決めている[5]。
会社の側にその想定はなかった。幡掛社長は、周辺住民に患者がいると最初に聞いたときの心境を「まさか」という気持ちだったと語り、過去に濃度を測定した範囲では基準値を超えたことがなく、外部からの情報やクレームもまったくなかったと説明している。同時に、周辺住民の被害がなければ自然体としてこのような形で公開することはなかったかもしれないとも認めた。公表の引き金は社の内側ではなく、外からの申し入れにあった[6]。
決断
2005年6月29日の公表
2005年6月29日、クボタは旧神崎工場で出入り業者4人を含む78人の社員が石綿を原因に死亡し、15人が療養中であると発表した。小田原工場でも1人が死亡、3人が療養中とした。あわせて旧神崎工場の近隣住民に石綿との関連が疑われる被害者がいることを明らかにし、中皮腫を発症した住民3人へ1人200万円の見舞金を支払うと言明した。石綿被害の公表が各社で相次ぐなかで、最初に開示に踏み込んだ企業となった[7]。
幡掛社長は公表の理由を、因果関係の有無という次元ではなく、その地域で操業していた石綿使用企業として情報公開を含めきちんと対応すべきと考えたためだと説明した。過去のことだ、違法なことはやっていない、因果関係が証明されていないといった言い逃れをするつもりはまったくない、少しでも言い訳的な目で見れば事実は曇ってくる、それを行っては絶対に駄目だと自分から全社に強く言っていると語っている。因果関係についても、可能性はあると思っていると述べた[8][9]。
見舞金から救済金へ
見舞金の支払いには基準を置いた。支援団体を通じていること、中皮腫による死亡または治療中の診断書があること、石綿を扱う仕事をしていなかった職歴の証明があること、旧神崎工場で石綿を使用していた1954年から1995年までの間に近隣に居住していた証明があることの四つである。幡掛社長はこれを株主への説明責任のためと説明し、患者の発見や治療法の開発のための公的な基金ができるなら関連企業として応分の負担をしたいとも述べた[10]。
支払いの水準は1年足らずで書き換わった。クボタは2005年12月25日の患者家族の会でさらに踏み込んだ新たな対策を表明し、治療を受けている本人や家族、支援団体の代表との協議を経て、2006年4月17日に旧神崎工場周辺の石綿疾病患者と家族に対する救済金支払い規程を定めた。金額は最低2,500万円、最高4,600万円である。対象は石綿による健康被害の救済に関する法律の認定を受け、石綿を扱う職業歴がなく、1954年から1995年の間に原則として同工場から1km以内に1年以上居住していた者とした[11]。
結果
決算と司法が示した帰結
費用は決算に表れた。石綿健康被害救済金等として2006年3月期に33億円、2007年3月期に29億円を特別損失に計上し、2期で累計61億円となった。公表前年の2005年3月期は連結売上高9,832億円・営業利益868億円で、幡掛社長は前期が史上最高益であったと述べている。今製造している商品が対象ではないとして業績を揺るがすリスクは小さいとみる一方、経営に与える影響の大小を基準にして問題に取り組んでいるわけではないと付け加えた[12][13]。
司法の判断は7年後に出た。2012年8月7日、神戸地裁は旧神崎工場から約200メートル離れた別の工場で21年間働いていた男性について、中皮腫の発症は旧神崎工場から飛散した石綿粉じんへの暴露が原因と認め、約3,190万円の賠償を命じた。工場労働者や運搬作業員ではなく工場周辺の人の健康被害で企業の責任を認めた判決は、これが初めてであった。会社の支払いは、この認定を7年先んじていた[14][15]。
- 週刊東洋経済 2005年7月30日号「緊急インタビュー 幡掛大輔クボタ社長に聞く 言い逃れはしない、住民被害の因果関係解明に協力したい」
- 週刊東洋経済 2005年7月30日号「SPECIAL REPORT 増殖するアスベスト被害 10万人死亡説でもまだ少ない! 石綿“地雷”招いた官民の大罪」
- クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
- クボタ「石綿問題への対応状況について」(2025年12月31日時点)
- 日本経済新聞 2012年8月7日「石綿訴訟、クボタに賠償命令 住民被害初めて認定」
- クボタ 有価証券報告書【沿革】
- クボタ 有価証券報告書(2005年3月期・連結・米国会計基準)