NECプラズマ事業の買収と、デジタル家電の価格急落
慎重に投資を重ねてきた会社が社運を懸けた大勝負に出た直後、価格の急落に見舞われる——プラズマ戦略の岐路
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- 概要
- 2004年2月、カーナビ・記録型DVD・プラズマテレビのデジタル家電で高収益を上げていたパイオニアが、NECのプラズマパネル事業を約400億円で買収し、生産能力を一気に4倍へ引き上げる社運を懸けた大勝負に出た。ところが同年後半からデジタル家電の価格が急落し、10月末の中間決算で年間営業利益の見通しをほぼ半減させ、翌期に創業以来の赤字へ転落した。
- 背景
- 1990年代後半まで5,000億円台だった連結売上高は、カーナビや記録型DVD、プラズマといった新規事業の開花で数年のうちに8,000億円台へ伸び、株式市場は液晶のシャープと並ぶ家電の新たな主役と評価していた。プラズマは装置産業を自社で手掛ける初の経験であり、無理をせず売れる分だけ増設する慎重な投資を重ねてきた。
- 内容
- 韓国のサムスンや松下、富士通・日立連合が生産能力で先行するなか、パイオニアはNECのプラズマ事業を買収して短期間に規模を拡大する道を選んだ。累計投資額は1,000億円を突破し、全社平均の設備投資が年400億円前後の同社には異例の水準であった。「パネルをやらなければリスクはないが将来もない」という伊藤周男社長の判断による。
- 含意
- 買収とほぼ同時に、PC用記録型DVDドライブや家庭用DVD録画再生機の単価が急落し、収益の柱が相次いで崩れた。2005年3月期に連結最終損益は87億円の赤字へ転じ、翌期の赤字は849億円へ拡大した。市場を先駆けて創る力と、それを継続的な収益へ育てきれないもろさが、同じ時期に表れた。
市場を創る力と、育てきれないもろさ
この投資判断の核心は、市場を先駆けて創ることに長けた会社が、それを継続的な収益へ育てる力を欠いたまま、装置産業という後戻りの効かない領域へ社運を懸けた点にある。パイオニアはレーザーディスクでも記録型DVDでもプラズマでも、いち早く市場を切り開いた。だが記録型DVDが大手に押されて短期間でシェアを落としたように、先駆の優位を利益へ変え続けることは難しかった。慎重居士が慎重さを捨てた大勝負は、価格急落という市場の力の前で、そのもろさを最も重い形で露わにしたとみることができる。
パネルまで自ら作るからこそ差別化できるという伊藤社長の論理は、それ自体としては筋が通っていた。問題は、その論理が成り立つには、価格の下落を上回るコストダウンを続けられる規模と体力が要ったことにある。松下やサムスンが備えた量産の力と資本の厚みを持たないまま、パイオニアは同じ土俵に上がった。新しい市場を最初に開く才能と、その市場を長く握り続ける体力は別のものである——プラズマへの賭けが両者を取り違えた代償は、後年の撤退に至るまで尾を引いた。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
「デジタル勝ち組」としての飛躍
2000年代前半のパイオニアは、成長分野で複数の新規事業が軌道に乗り、高収益企業へと姿を変えていた。1990年代後半まで5,000億円台だった連結売上高は、カーナビゲーション、記録型DVD、プラズマテレビの開花によって数年のうちに8,000億円台へ駆け上がった。年間の営業利益は400億円規模に達し、株式市場は液晶で独走するシャープと並ぶ家電の新たな主役と評価した[1]。
プラズマ事業では、慎重な投資を旨としてきた。1997年に88億円をかけて甲府工場の第一ラインを建設し、需要を確かめながら生産ラインを増やす方式である。43インチ以上の大型・高精細のハイビジョン型に特化し、市場全体でのシェアは15〜20%を安定的に取れればよいとの構えであった。伊藤社長は、会社の規模を考えると他社のように一度に投じるのは恐ろしかったと、慎重さの理由を語っていた[2]。
装置産業という初めての領域
プラズマパネルの生産は、部品を組み立てるそれまでの事業とは性格が異なる装置産業であった。パネルまで自社で作り込む初の経験に、パイオニアは市場の動きを注意深く観察し、確実に売れる分だけ生産能力を増やす鉄則を貫いてきた。もっとも、この慎重さは規模の面で不利にも働いた。累計投資700億円を投じてなお、生産能力ではライバルに水をあけられていた[3]。
追い上げは急であった。安価な標準画質パネルで攻めるサムスンなど韓国勢がシェアを伸ばし、松下は単独展開、富士通・日立連合も独自方式で規模を追った。ハイビジョン対応の高精細パネルに特化したパイオニアのシェアは、NECと並ぶ3番手集団に位置していた。装置産業で安定的に稼ぐには、技術的な参入障壁の高い高精細パネルでの優位に加え、固定費を吸収できるだけの絶対的な規模が要る、と証券アナリストは指摘していた[4]。
決断
NEC事業買収という社運を懸けた大勝負
2004年2月3日、パイオニアはNECのプラズマパネル事業を担うNECプラズマディスプレイの買収を発表した。買収金額は負債の肩代わりを含めて400億円前後で、同社にとって過去最大級の投資であった。両社を併せたパネル生産能力は、新工場が稼働する2005年度に年間110万台規模と世界トップクラスに達し、パイオニアの生産能力は一気に4倍へ拡大する見通しであった。記者会見で伊藤社長は「社運を懸けている」「液晶にも勝つ」と強気の決意を述べた[5]。
慎重に投資を重ねてきた会社が、大勝負へ踏み切った。買収費用を含めたプラズマ事業への累計投資額は1,000億円を突破し、全社の平均設備投資が年400億円前後だった同社には考えられない水準へ膨らんだ。装置産業への賭けが誤りではなかったかという問いに、伊藤社長は、キーデバイスのパネルまで自分で作り込むからこそ差別化できる、パネルをやらなければリスクはないが将来もない、と即座に答えていた[6]。
価格急落という誤算
買収からほどなく、事業環境が暗転した。2004年10月末の中間決算合同説明会で、連結営業利益は前年同期比24%減にとどまり、年間の営業利益見通しは当初からほぼ半減の270億円(前年比38%減)へ引き下げられた。市販用で独走してきたカーナビが減速し、前期に100億円超の利益を稼いだPC用記録型DVDドライブは単価の急落でほとんどが吹き飛び、家庭用のDVD録画再生機も単価下落で赤字へ転落した。在庫も想定以上に積み上がった[7]。
伊藤社長は、好調を実力と取り違えた甘さを認めた。前年度はDVD関連もカーナビもすべてがうまくいき、それを自分たちの実力と錯覚して商品企画やコストに甘さが出た、という反省である。プラズマ事業を統括する専務は、年率2割の価格ダウンを前提に、それを上回る速さでコストダウンを進めると語った。装置産業のパネル事業で耐えられそうなのは松下とサムスンくらいだ、との声も業界から漏れ始めていた[8]。
結果
赤字転落と社長交代
価格急落は、業績の数字に直ちに表れた。2005年3月期の連結最終損益は87億円の赤字へ転じ、9期ぶりの赤字となった。買収した旧NECの鹿児島工場も、同社最大の山梨新ラインも低い稼働にあえいだ。旧NECのプラズマ事業はもともと業務用とソニーへのパネル販売が柱で、そのソニーの購入量が2004年度に入って減っており、買収前から稼働率が悪化していた工場を、パイオニアはそれを承知で引き受けていた[9]。
2005年12月、業績の悪化を受けて伊藤社長が退き、須藤民彦氏が社長に就いた。2006年3月期には連結営業損益が164億円、最終損益が849億円の赤字へと傷が広がり、プラズマへの集中投資の負担が経営に重くのしかかった。市場を先駆けて創ったプラズマは、継続的な収益事業へは育たず、同社はやがて2008年にプラズマテレビからの撤退と大規模な人員削減へ追い込まれていく[10]。
- 週刊東洋経済 2003年10月18日号「KeyPerson 伊藤周男/パイオニア社長」
- 週刊東洋経済 2004年2月14日号「フラットパネル大戦争 大勝負に出たパイオニア」
- 週刊東洋経済 2005年1月15日号「『ソニー撤退』に揺れるプラズマビジネス」
- パイオニア 有価証券報告書(連結・2005年3月期)
- パイオニア 有価証券報告書(連結・2006年3月期)