1972年〜 大阪発のリズムマシン世界市場創出と東証一部到達の27年
- 1972年 ローランド設立
- 1972年 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシン発表
- 1973年 エフェクター製造のメグ電子(後のボス)設立
- 1973年 シンセサイザー、電子ピアノ発表
- 1981年 アムデックを設立
- 1994年 開発と生産を分け、製品企画に特化する「プロデューサー制」への開発体制改革 改良型に流れた組織をどう作り替えるか——右肩上がりの失速から生まれた開発改革
- 1996年 檀克義氏の第3代社長就任——技術先行の会社を営業出身のプロ経営者に託す 創業者はなぜ「楽器音痴」の営業畑を後継に選んだか——短命の後継者の後で
創業者・梯郁太郎氏による電子楽器専業メーカーの起点
1972年4月、梯郁太郎氏が大阪府大阪市住吉区(現住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社を設立したのが原点である。梯氏は当時44歳で、それ以前は1960年に大阪市でエース電子工業株式会社を創業し電子オルガン製造を手がけていた経歴を持つ。エース電子工業の経営権がアメリカン・サン社(当時米国Hammond社系列)へ移った1972年に、梯氏は新たに独立してローランドを立ち上げ、エース電子の電子楽器事業の延長線上に同社の事業構想を置いた。1972年8月、ローランドブランド第1号商品となるリズムマシンを発表、後のTR-808・TR-909等に連なるリズムマシン市場創出の起点を打った。 [1][2]
- ローランド 有価証券報告書【沿革】
- [1]1972年4月 大阪府大阪市住吉区(現住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立
- [2]1972年8月 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシンを発表
1972年11月にギターアンプ・エフェクター発売、1973年3月には大阪府大阪市にエフェクター製造のメグ電子株式会社(後のボス株式会社)を設立、後のBOSSブランドの源流となった。1973年4月にはシンセサイザー・電子ピアノを発表、シンセサイザー市場参入を実現し、創業1年半で電子楽器の主要カテゴリ(リズムマシン・ギターアンプ・エフェクター・シンセサイザー・電子ピアノ)を揃えた。1976年5月にオーストラリア、1978年4月に米国、1981年1月にイギリス・ドイツと販売子会社を立て続けに設立し、欧米主要国の直販体制を5年で整えた。 [3][4][5][6]
- ローランド 有価証券報告書【沿革】
- [3]1972年11月 ギターアンプ・エフェクター発売
- [4]1973年3月 メグ電子株式会社(後のボス株式会社)設立
- [5]1973年4月 シンセサイザー・電子ピアノを発表
- [6]1976年5月〜1981年1月 オーストラリア・米国・イギリス・ドイツに販売子会社を設立
創業者・梯郁太郎氏自身、従来の楽器産業が木材加工・金属加工を基本技術としていたのに対し、ローランドの電子楽器はデジタル・LSI・コンピュータ・ソフトウェアを基本技術とする点で一線を画すと位置づけ、創業当初はジャズ系・プロ向け楽器を中心に事業を展開し、一般家庭向けや教育用の楽器には手を広げなかったと1990年の講演で振り返っている。ジャズ系・プロ向けという顧客層の狭さゆえに海外進出が不可避だったとして創業以来輸出に注力し、1990年時点で売上高の70%を輸出が占めるに至ったと説明し、創業から18年目にあたる同時点で既にヤマハが80年、河合楽器が50年の歴史を持つ市場に参入していたことから、価格で下回るのではなく近い価格帯の中でむしろ一番高い値段を付ける差別化戦略を取ったとも述べている。 [7][8][9][10]
- [7]梯郁太郎は、従来の楽器産業が木材加工・金属加工を基本技術としていたのに対しローランドの電子楽器はデジタル・LSI・コンピュータ・ソフトウェアを基本技術とすると述べた
- [8]ローランドは創業当初はジャズ系・プロ向け楽器を中心に事業展開し、一般家庭向けや教育用の楽器は手掛けなかった
- [9]梯郁太郎は、狭いマーケットで事業活動するには海外進出が不可避だったとして創業以来輸出に注力し、1990年時点で売上高の70%が輸出だったと説明した
- [10]1990年時点で創業18年目、当時ヤマハは80年・河合楽器は50年の歴史があり、近い価格帯で一番高い値段を付ける差別化戦略を取った
- ローランド 有価証券報告書【沿革】
- [1]1972年4月 大阪府大阪市住吉区(現住之江区)に資本金3,300万円でローランド株式会社設立
- [2]1972年8月 ローランドブランド第1号商品となるリズムマシンを発表
- [3]1972年11月 ギターアンプ・エフェクター発売
- [4]1973年3月 メグ電子株式会社(後のボス株式会社)設立
- [5]1973年4月 シンセサイザー・電子ピアノを発表
- [6]1976年5月〜1981年1月 オーストラリア・米国・イギリス・ドイツに販売子会社を設立
- [7]梯郁太郎は、従来の楽器産業が木材加工・金属加工を基本技術としていたのに対しローランドの電子楽器はデジタル・LSI・コンピュータ・ソフトウェアを基本技術とすると述べた
- [8]ローランドは創業当初はジャズ系・プロ向け楽器を中心に事業展開し、一般家庭向けや教育用の楽器は手掛けなかった
- [9]梯郁太郎は、狭いマーケットで事業活動するには海外進出が不可避だったとして創業以来輸出に注力し、1990年時点で売上高の70%が輸出だったと説明した
- [10]1990年時点で創業18年目、当時ヤマハは80年・河合楽器は50年の歴史があり、近い価格帯で一番高い値段を付ける差別化戦略を取った
V-Drums・MIDI規格制定の1980年代と1989年大証二部上場
1981年5月、大阪市住之江区にエフェクター・キット/コンピュータ周辺機器のアムデック株式会社(現ローランドディー.ジー.株式会社)を設立、後の3D造形・カッティング機器の源流を作った。1984年11月には大阪市に音楽教室(現ローランド・ミュージック・スクール)を開設、製造業から教育サービス事業への染み出しを始めた。1985年2月にはセット式電子ドラムを発表、後のV-Drums(電子ドラム世界標準)へ繋がる電子ドラム市場創出を始めた。1986年3月、静岡県引佐郡(現浜松市)に細江工場(現本社工場)が完成、主力生産拠点を関西から浜松へ移す転換点となった。
1989年12月、大阪証券取引所市場第二部に株式を上場、創業17年で初の株式公開を果たした。梯氏は、ジャズ系中心の生産だけでは事業の安定性を欠くため一般家庭にも受け入れられる楽器を販売する必要があり、そのためには会社の知名度向上が欠かせないとして株式上場を決意したと語っている。1990年9月に浜松研究所完成、R&D拠点を浜松へ集約した。1998年6月の東京証券取引所市場第二部上場を経て、1999年9月に東京証券取引所及び大阪証券取引所市場第一部銘柄に指定された。創業27年で東証一部到達は、戦後創業の電子楽器メーカーとして相応のスピード上場である。1993年5月には本社を大阪市北区堂島浜に移転、関西発の電子楽器メーカーから東京・浜松・大阪の多極構造への組替えが進んだ。 [11][12][13][14][15][16]
- ローランド 有価証券報告書【沿革】
- [11]1989年12月 大阪証券取引所市場第二部に株式上場(創業17年で初の株式公開)
- [13]1990年9月 浜松研究所完成
- [14]1998年6月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [15]1999年9月 東京証券取引所及び大阪証券取引所市場第一部銘柄に指定
- [16]1993年5月 本社を大阪市北区堂島浜に移転
- [12]梯郁太郎は、一般家庭にも受け入れられる楽器を販売するには会社の知名度向上が必要だとして株式上場を決意したと述べた
- ローランド 有価証券報告書【沿革】
- [11]1989年12月 大阪証券取引所市場第二部に株式上場(創業17年で初の株式公開)
- [13]1990年9月 浜松研究所完成
- [14]1998年6月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [15]1999年9月 東京証券取引所及び大阪証券取引所市場第一部銘柄に指定
- [16]1993年5月 本社を大阪市北区堂島浜に移転
- [12]梯郁太郎は、一般家庭にも受け入れられる楽器を販売するには会社の知名度向上が必要だとして株式上場を決意したと述べた