竹内製作所の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

自社で設計した機械を、どの名で誰に売るかを選び直してきた。1971年9月にミニショベルを生産し始めたが販売網がなく、1975年5月からヤンマーディーゼルへOEMで供給した。供給先をトーメン、石川島播磨重工業と替えても、相手が自社生産に回るたびに受注は減った。そこで竹内明雄氏は自社の名で売ると決めたがOEM供給から竹内ブランドの直接販売へ移行する、国内では"竹内なんて聞いたこともない"と相手にされず、販売を輸出へ振り向けた。1979年2月には米国に現地法人を設け、円高で赤字が続いた時期も残った円高で採算が崩れた時期も引き揚げなかった。

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