創業者・竹内明雄氏は1949年、15歳で坂城町村上地区の都筑製作所に入った[1]。当時の同社は従業員5、6人の町工場で、明雄氏はベルトがけ旋盤を回し、残業手当のつかない長時間労働を『就職というより小僧に入った』[引用元]と振り返る。仕事の鬼と呼ばれた都筑社長は、真ちゅうの1ミリの切れ端にも『これは全部金だ』と無駄を戒め、合理的な仕事の進め方を厳しく教えた[2]。明雄氏は14年をこの工場で過ごし、叱られながら身につけたもの造りの考え方が後々まで役立ったと述べている。夜学は1年で諦め、油の染みた作業服で荷車を引く姿を同級生に見られるのが何よりつらかったという。
独立したいという思いは、明雄氏が22、23歳の頃から芽生えていた。豪邸や財産が目的ではなく、小さくても自分の工場で旋盤を回したいという素朴な願いだった。24、25歳の頃、優良企業表彰でホンダ本社を訪れた際、都筑社長が金メッキ[3]の手すりを握り『こういうものをやってみたいな』[引用元]と漏らしたのを、明雄氏は深く心に刻んだ。独立を切り出すと社長は『結婚もしてないのに無茶だ。信用がついてからにしろ』[引用元]と諭し、明雄氏は社長の仲人で結婚する。[4]長女に続いて跡取りが生まれた年を機に、明雄氏はついに独立を決めた。
1963年8月、竹内明雄氏は長野県埴科郡坂城町に資本金300万円[5]で株式会社竹内製作所を設立し、自動車部品メーカーの下請として営業を始めた。都筑製作所からは退職金代わりに旋盤を譲り受け、運転資金150万円の借入には社長が保証人[6]に立った。兄を含む6人で出発した工場は、明雄氏が自ら屋根を張り板を打って建て、事務所は自宅の応接間を改造して何年も使った。資金繰りは苦しく、自身の給料を5か月止め、前の会社で得ていた取引先株を換金してしのいだ時期もある。自社ブランドも販売網も持たない、地場の受託加工業者としての出発だった。
1963年の創業から8年後、1971年9月に竹内製作所は小型の油圧ショベル[7]=ミニショベルの生産を始めた。20トン級以上の大型が主流だった建設機械の世界に、トラック1台で運べる小型機を持ち込む、世界初の製品化だった。開発の着想は東京オリンピックの頃にさかのぼる。世の中にない小さな機械をつくったため『おもちゃだ』と言われ、よく壊れては直す試行錯誤の連続だった[8]。住宅地や農地、側溝、水道工事といった狭い現場の掘削は人力に頼っていたが、ミニショベルはそこを機械化する新しい市場を開いた。1972年1月には村上工場(現・本社工場)を新設し[9]、主力の生産拠点を整えた。
自前の販売網を持たない同社は、量産の受け皿をOEM供給に求めた。1975年にエンジンを採っていた縁でヤンマーディーゼルへ供給を始め、ヤンマーが自製に転じるとトーメンへ『トーメン・ジョブ』として、続いて石川島播磨重工業へ『[10]IHI』ブランドで供給先を移した。1988年からは神戸製鋼所(現・コベルコ建機)へのOEMも加えた。井戸から水道への切替え工事が各地で盛んになると、水道・造園業者[11]がミニショベルをスコップ代わりに買い、注文は生産が追いつかないほど殺到した。8月決算だった当時、1978年8月期の売上高は45億円[12]、1980年8月期には81億円へ伸びた。
建設機械以外の事業も加えた。1976年3月に双信工業から営業を譲り受けて撹拌機事業を取得し(2018年6月にエムケー精工へ譲渡)、1977[13]年9月には撹拌機を造る千曲工場を新設した。もっとも事業の主役はミニショベルで、1993年時点の売上構成はミニバックホー95%・撹拌機5%と、ほぼ建設機械の一本足だった。[14]本体側も製品を広げ、1981年1月にミニショベルを1〜5トンクラスへそろえてシリーズを完成させ、1986年9月にはクローラーローダーを開発して掘削以外の作業機械にも手を広げた。[15]創業から十数年で、同社はミニショベルを軸とする建設機械専業メーカーの形を整えた。
OEM供給先が次々と自社生産に乗り出すと、取引は先細りに向かった。やがて同社は、自社の竹内ブランドでの直接販売へ転じる。だが最初に開発した当事者でありながら世間では後発メーカーと見なされ、『竹内なんて聞いたこともない』[引用元]と相手にされなかった[16]。ブランド志向の強い日本では、名が浸透していなければ市場に入れてもらえない。創業者はこの時期を一番苦しかったと振り返る。販路を断たれかねないなかで、同社はOEM依存から自力販売への、痛みを伴う転換に乗り出した。後発の烙印を押された自社ブランドを、どこで通用させるかが次の課題となった。
国内で名が通らないなら、いっそ輸出に賭ける。同社は1978年1月にミニショベルの輸出を始め[17]、以後は輸出を主軸に据えた。後年には売上の約85%を輸出が占め、取引はL/C決済[18]で焦げ付きを避けた。販売は『1国1ディーラー』を原則とし、ひとつの国を一社の販売店に任せて深く付き合う方式をとった(地域の広いフランスのみ例外的に2社)。狭い現場向けの小型機は、古い建物を生かして内装を直す欧州の使い方と相性がよく、欧州ユーザーは日本以上に長い時間ミニショベルを使い込んだ。竹内ブランドは、国内より先に海外で浸透した。
1979年2月、同社は米国にTAKEUCHI MFG[19].(U.S.), LTD.を設立した。創業16年目での海外現地法人は、長野の地場中小企業としては早い決断で、後年の北米依存の出発点となった。円高で各社が北米から引き揚げるなかでも赤字を辛抱して残り[20]、撤退しなかった判断が後に生きた。国内では1984年4月に戸倉工場を新設して生産能力を広げた。非上場の同族企業として、1993年時点の株式は創業者・竹内明雄氏が40%、東京中小企業投資育成が20%、専務・竹内好敏氏が10%、トーメン[21]が2%を保有した。世界初という製品優位を持ちながら、同社は名を売る苦労を輸出で乗り越え、ミニショベル専業メーカーの地位を固めた。
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|---|---|---|---|---|
| 1963〜1994年自動車部品下請から世界初ミニショベルへ──独立と輸出立国への道 | 竹内明雄 | 竹内製作所を設立し自動車部品下請を開始 | ★ | |
| 竹内明雄 | ミニショベルを開発し生産を開始 | ★★ | ||
| 竹内明雄 | ヤンマーディーゼルへのミニショベルOEM生産を開始 | ★★ | ||
| 竹内明雄 | 双信工業より営業譲渡を受け撹拌機事業に参入 | ★★ | ||
| 竹内明雄 | OEM供給依存から竹内ブランドでの直接販売への転換 世界で初めてミニショベルを製品化しながら自前の販売網を持たなかった竹内製作所が、ヤンマーディーゼル・石川島播磨重工業・トーメンなどへの相手先ブランド供給への依存をやめ、竹内ブランドでの直接販売へ転じた判断。国内で名が通らないため、1978年1月に輸出を始めて主軸を海外へ移した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 竹内明雄 | 米国現地法人の設立と、円高下でも引き揚げなかった北米残留 竹内製作所が1978年1月の輸出開始の翌年、1979年2月に米国へTAKEUCHI MFG.(U.S.), LTD.を設立し、その後の円高で他社が北米から引き揚げるなかでも赤字を抱えたまま残留した判断。竹内明雄社長は本社の社長を務めながら米国法人の代表も兼ねた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 竹内明雄 | ミニショベルのシリーズ完成(1〜5トン) | ★ | ||
| 竹内明雄 | 戸倉工場を新設 | ★ | ||
| 竹内明雄 | クローラーローダーを開発し生産を開始 | ★★ | ||
| 竹内明雄 | 神戸製鋼所へのミニショベルOEM生産を開始 | ★ | ||
| 1995〜2007年欧州三拠点の構築とJASDAQ上場による成長基盤づくり | 竹内明雄 | HBM/NOBASと油圧ショベル共同生産を開始 | ★ | |
| 竹内明雄 | 現地事務所を開設 | ★ | ||
| 竹内明雄 | TAKEUCHI MFG.(U.K.)を設立 | ★ | ||
| 竹内明雄 | ISO9001の認証を取得(ショベル・クローラーキャリアの設計・製造) | ★ | ||
| 竹内明雄 | 本社工場内に開発センターを新設 | ★ | ||
| 竹内明雄 | TAKEUCHI FRANCEを設立 | ★ | ||
| 竹内明雄 | GEHL CompanyへクローラーローダーOEM生産を開始 | ★ | ||
| 竹内明雄 | JASDAQ登録・上場による同族非公開企業から公開企業への移行 創業から39年、竹内製作所が2002年12月に株式を日本証券業協会(JASDAQ)へ登録し、2004年12月にジャスダック証券取引所へ上場した判断。創業家が株式の過半を握る非公開の同族企業から、公開企業への移行にあたる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 竹内明雄 | 本社工場内に第二工場を新設 | ★ | ||
| 竹内明雄 | 竹内工程機械(青島)有限公司を設立 | ★ | ||
| 2008〜2024年リーマンショック直撃から海外回復・世代承継までの再構築 | 竹内明雄 | 東京証券取引所市場第一部に指定替え | ★ | |
| 竹内明雄 | 普通株式1株につき3株の割合で株式分割を実施 | ★ | ||
| 竹内明雄 | 本社工場(第3工場)・生産技術棟が完成し操業開始 | ★ | ||
| 竹内明雄 | 撹拌機事業をエムケー精工へ譲渡 | ★★ | ||
| 竹内敏也 | 欧州パーツセンターを開設 | ★ | ||
| 竹内敏也 | 初のリチウムイオン電池式ミニショベル「TB20e」を出荷開始 | ★ | ||
| 竹内敏也 | クローラーローダー生産工場を新設し生産を開始 | ★ | ||
| 竹内敏也 | 青木工場を新設 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(竹内製作所)