1959年の合併は、経営判断としては地味な部類に入る。買収額も交渉の経緯も記録に残らず、社史の年表では一行で済まされている。それでも、この一行が同社の後半世紀を規定した面はある。中部に工場を1つ得たことで、製品ごとに工場を割り振る多工場体制が組めるようになり、シール材という同社の中核製品を量産する場所が確保された。会社を丸ごと引き受ける方法を採ったために、立ち上げの時間を買えた点も見落とせない。
同時に、引き受けたのは製造能力だけではなかった。石綿を扱う工場を持つとは、そこで働く人と周囲に住む人の健康にかかわる長い責務を持つことでもあり、その重さが表に出るまでには40年以上が必要であった。1959年に受け入れた工場は、2003年までシール材を作り、2005年には住民説明会の会場となる地域に立ち、いまは半導体装置向けの樹脂を作っている。ひとつの工場が抱えた時間の長さが、この合併の性格をよく表している。