呉羽紡績を吸収合併(1965年・東洋紡の決断) 更新:2026/07/15 論点 合繊の出遅れを合併で挽回するか 東洋紡:業績の推移 売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所 ナイロン事業への足がかりを得るための同業大手の取り込み 何をなぜ決めたか:ナイロン事業への足がかりを得るための同業大手の取り込み 概要 1966年4月、東洋紡績は呉羽紡績を吸収合併し、同社が保有していたナイロン生産設備を取得して、ポリエステル・アクリル・ポリプロピレンとあわせ主要な合成繊維をすべて自社グループに収める体制を構築した谷口豊三郎社長主導の経営判断。 背景 1954年に英ICIからのポリエステル技術提携を見送り1956年のアクリル参入に主力を移した結果、ポリエステルで帝人・東洋レーヨンに8年出遅れ、1961年の業界誌には 『小結程度の存在』 と評されるまで地盤沈下していた。 内容 1965年11月に合併を発表し、谷口豊三郎社長は 『複合繊維時代に対処していく上で、大きな強みとなろう』 と狙いを語った。1966年4月に吸収合併を完了し、新社長に就任した河崎邦夫氏のもとで不良資産・不採算部門の整理に着手した。 含意 整理の代償として二期無配に転落したが、1967年10月期には1割配当を復活させた。1968年の講演で河崎邦夫社長は合繊部門の伸びによる業績好転を語ったが、ポリエステルそのものの技術的な出遅れは合併後も残り、犬山工場のフィルム転換など次の構造改革への布石となった。 いつ何が起きたか 8件 考察:規模の合成と技術の合成は別物 考察 考察:規模の合成と技術の合成は別物 この合併の核心は、単独の技術開発では埋めがたい8年の出遅れを、呉羽紡績が持つナイロンという"ピース"の獲得によって一気に埋めようとした点にある。もっとも、ポリエステルそのものの技術力で帝人・東洋レーヨンに追いついたわけではなく、出遅れの根本は合併後もなお残ったのだろう。 むしろこの合併が示したのは、規模を統合すること自体が新たな重荷を生むという逆説であった。二期無配という代償を払いながらも1年半で復配にこぎつけた点は評価できるが、それは河崎邦夫社長が身を切る資産整理を徹底したことの成果であり、合併という手段そのものが自動的にもたらしたものではない。そしてこの合併で切り離された犬山工場のパルプ事業は、まもなく1968年にフィルム事業へ転換する判断につながっていく。合成繊維の出遅れを埋めるM&Aが、次の構造改革の呼び水になった点に、この決断の射程の長さがうかがえる。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 参考文献 参考文献 参考日本経済新聞 1965年11月15日ダイヤモンド臨時増刊 1961年9月10日号(ダイヤモンド社)経済春秋社編『企業の歴史:明治百年』(経済春秋社, 1968)証券アナリストジャーナル 1968年 第6巻第7号東洋紡 有価証券報告書【沿革】東洋紡績 会社年鑑(単体) 次に読む決断 東洋紡の意思決定1968年東洋紡東洋紡犬山工場のフィルム転換不採算工場は閉鎖かフィルム転用か1968年1982年東洋紡東洋紡非繊維分野への多角化繊維の再建か非繊維への資源転換か1982年同じ問い:合併と経営統合1962年NSユナイテッド海運NSユナイテッド海運東邦海運と合併し新和海運に性格の異なる同業と合併するか1962年1971年三菱瓦斯化学三菱瓦斯化学日本瓦斯化学工業との合併原料系統の違う二社を対等合併するか1971年2004年S FoodsS Foodsムラチクの完全子会社化国産牛の仕入網を同業買収で得るか2004年2006年豊田通商豊田通商トーメンとの吸収合併再建中の商社を合併し総合化するか2006年2007年HOYAHOYAペンタックスの買収内視鏡のためにカメラ会社を買収するか2007年 × 出所