撤退を求められても、当時の佐野實社長は、事業と投資は長期と目先の釣り合いを見て決めるのが経営者の務めだとして応じなかった。その声は、営業利益率が1.6%から動かなくなった2002年以来、途切れずに上がり続けていたものである。4年後に事業を手放すにあたり同社が掲げたのは収益性ではなく、医療機器と医薬品に経営資源を集中するという理由であり、撤退の根拠が入れ替わったというより、撤退に踏み切れる条件がこの時点でそろったとみられる。
もっとも、この判断が正しかったと言えるのは、医療と医薬が実際に伸びた後を知っているからにすぎない。撤退時点で連結売上高の3分の1にあたる672億円と、京阪神の店舗で働く従業員を手放しており、失敗すれば規模だけを失う判断でもあった。1963年に生鮮三品の鮮度で貢献できるかと問うて始めた事業を、43年後に医療への集中を理由に外す。器材が稼ぐ間に小売を育て、小売が稼ぐ間に医療を育てるという順送りの構図が、ここで最後の一巡を終えたといえる。